Story 3 -Part.2-
次の日、僕はミサトが教えてくれた死の海へと向かった。サトミと会えるかもしれない僅かの希望を胸に抱きながら、長距離バスに乗ってそこに降り立ってはみたが、目の前には数少ない観光客と、その向こうに茫漠たる海が広がっているにすぎなかった。僕は、泥の浜辺を歩きながらその水を舐めてみたが、あまりの塩辛さに口が歪みそうになった。これでは、魚が一匹たりとも棲めないことも頷けた。その後、浜辺を中心にしばらくの間サトミを探してみたが、やはり若い女性の影を見出すことはできなかった。来た時は天頂に君臨していた太陽も、既に荒野の果てに没しかかり、僕はただ呆然としながら目の前の海を眺めるしかなかった。結局のところ、僕はサトミに会えないばかりか、彼女が置いていった言葉すら理解できなかった。そして、その気だるい笑顔が見られないことにやるせなさを覚え、やがて絶望的な虚しさとなって僕自身を深く覆っていった。
『大丈夫。あなたはもう、その答えを知っているわ。ただ、そのことを認めたくないだけなのよ。ありのままを受け入れさえすれば、真実は必ずあなたの胸の中にあるわ』
神の啓示のような、そして天使のように透き通るその声に僕が後ろを振り返ると、そこには現地の女の子が夕闇に浮かぶように佇んでいた。十歳くらいに見える彼女は、イスラムの神秘的な目をこちらに向けながら、僕に何かを訴えかけていた。初めのうちは、彼女が言ったと感じた言葉だったが、実はその右手に握られていたテープレコーダーからだった。そしてその声は、さらに僕に向かって真実を語りかけてきた。
『確かに私はあなたに宿命を感じたし、現にあなたのことが大好きよ。でも、あなたといても、私はもうどこにもいけないの。私はこれまで、非日常の中にリアリティーを求める生き方をしてきたし、だからこそ私の絵も輝いていたの。でもあなたといると、私は日常の中に身を埋もらせて、そこに安住してしまいそうな気がするの。もちろん、それはそれで幸せなんだろうけど、少なくとも私は今それを求めてはいないの。刺激的な非日常の中で、私自身を、そして何より私の絵を描き続けていきたいの。だから、あなたとはやはり付き合うことはできません。その意味であなたと出会えたことが宿命なら、別れることもまた宿命だったのかもしれない。でも、私は後悔していないわ。何故なら、それはあなたを宿命的に愛していたから……。私はしばらく日本には帰らないでしょう。この十分に非現実的なイスラム世界で、自分自身をもっと求めていきたいと思っているから。だから、もしあなたが偶然にもここに立ち寄ったなら、この声を最後に私のことは忘れてください。いつかどこかで、あなたの小説が読めるのを楽しみにしています』
テープの声はそこで終わっていた。目の前の女の子は、なおも僕に何かを投げかけているように思えたが、やがて薄暮の闇にその姿を隠してしまった。僕は再び孤独になり、黄昏色に染まる海を見ながら、サトミの言葉の一つ一つを噛み締めていた。確かに僕らは、お互いに宿命的な想いを抱いていたし、非日常的な世界に自分自身を求めようとしていたが、僕がサトミとの関係の中から非日常を見出したのに対して、おそらくサトミは僕との関係の中から日常を見出してしまったのだ。サトミにとっても僕にとっても、宿命への安住よりも非日常性の追求が大切なのは疑いようがなかった。何故なら、それこそが自分自身の根源であり、最も人間らしく躍動感のある人生を送るための具体的な手段だったからだ。だから、サトミが僕の中に日常しか見出せないのだとしたら、それは仕方のないことだった。でも、少なくとも僕はサトミを求めていたし、僕自身の中にある非日常性を理解してほしかったのだ。たとえ表面的には、日常性の象徴のようなしがない会社員であったとしても。