Story 2 -Part.6-
でも僕は、その救いの声を聞くことができなかった。次の日もまた次の日も、僕は昼夜を分かたずに数え切れないほどの電話をかけたが、ただの一度も繋がることはなかった。最初の頃は携帯を家に置き忘れたり、あるいは電源を切っているのだろうとも思ったが、金曜日の夜に至って底知れぬ不安に苛まれた僕は、翌日の午前中にサトミのアパートへ向かった。
駅のそばにある踏み切りを横切って大通りを南へ向かうと、背後から通り抜ける風が僕の頬を優しく撫でていった。朝の眩い日差しは未だに夏の暑さを感じさせたが、風の流れには明らかに秋の気配があった。僕は、洗いたてのジーンズが脚に触れるのを感じながら歩を進め、やがて薄青色のアパートに辿り着いた。足早に階段を上り、二階にある部屋のブザーを押したが、何度繰り返してもサトミのあの気だるそうな顔を見ることはできなかった。僕は、ようやくサトミが部屋にいないことを理解すると、階段を下りて一階の管理人室を訪ね、彼女のことについて何か聞いていないか尋ねてみた。案の定サトミは出かけていて、半月は帰らない旨を管理人に告げていた。でも、その行く先を耳にした僕はどうしようもなく途方に暮れてしまった。そして、半月どころではなく当分の間は帰らないであろうことを直感した。おそらくサトミは、完成間近のあの絵の何かに疑問を持ち、もう一度現物を目の当たりにして確かめたい欲求に駆られて飛び出したのだ。荒野の中にひっそりと佇むあの遺跡のあるイスラムの地へと。
僕は急いで自分のアパートに戻ると、取りあえずの荷物をまとめて駅から電車に飛び乗った。サトミに二度と会えないかもしれないという想いだけが、ただ僕を突き動かしていた。今サトミと離れてはいけないという本能が働いたのかもしれなかったが、少なくとも彼女がしばらくは戻ってこないことだけは確かだった。何事においても、特に自分が好きなことには納得がいくまで突き詰めるのが彼女の流儀であることを、僕は体験的によく知っていたからだ。
成田空港に着くと、僕はさっそく必要なだけの金を下ろし、それから航空券の手配をした。一人で中近東に行くことにかなりの不安はあったが、何よりサトミに会いたい欲求のほうが遥かに強かったのだ。そして、一通りの準備が終わると、飛行機の出発時間まで喫茶店でコーヒーを飲み、それからウチノに電話をかけた。
「ああ、ホリベか。何か用か?」
「実は今、成田にいるんだけど、急にまた中近東に行くことになったんだ」
「何だって。今から行くのか?」
「ああ。理由はまた帰ってきたら話すけど、会社のほうには適当に言っておいてくれないかと思ってさ」
「適当にって言ったって、中近東じゃ二、三日って訳にはいかないんだろ?」
「まあそうなんだけど、どうしても行かなきゃいけないんだ。だから何とか頼むよ」
「……わかった。理由はともかく、お前がそこまで言うんなら余程のことがあったんだろう。職場のほうには何とか適当に言っておくから、納得がいくまで行ってこいよ」
「ありがとう。恩に着るよ」
「でも一つだけ。土産だけは忘れるなよ。あと、体にも気をつけてな」
ウチノの配慮と励ましに感謝しながら僕は電話を切り、それから改めて、これから自分のしようとしていることを考えてみた。確かに、冷静になってみると馬鹿げた行為だし、仮に向こうに行ってもサトミに会える保証は全くなかった。何事もなかったように、半月で完成された絵を持って帰ってくるかもしれなかった。でもやはり、僕は今行かなければならなかった。一刻も早くサトミに会って、お互いの間にある宿命を確かめ合いたかったのだ。これからの二人のためにも、そして何より自分の人生を救うためにも。