Story 2 -Part.5-
次の日、僕は会社を定時で上がるとそのまま電車に乗ってチサトの住む町に向かった。夕べのミサトとのやり取りが未だに頭全体を覆っていて、仮にチサトと話したとしても、その二の舞になることは十分に承知していたが、それでも僕はあえてチサトと会うことにした。むしろそのことで、一刻も早く会いたい欲求に駆られたのだ。そう、僕は純粋にチサトに謝りたかったのだ。宿命的な想いを抱いていなかったにもかかわらず、その居心地のよさに甘え続けていたばかりか、結果的に一度ならず二度までも傷つけてしまったことに対して、ただひたすらにその罪を償いたかったのだ。たとえ、それが決して許されないことであったとしても。
約一ヶ月ぶりに訪れたその町は、相変わらず小ぢんまりとしていたが、あの時僕に寄り添っていたチサトの姿は既になかった。夜の七時を目前にして昼間の暑さは影を潜めていたが、駅前通りを十分ほど北に向かい、狭い路地に入った場所にある真っ白なアパートを目にした時には、やはり体中から汗が滲み出していた。僕はさっそく一階の角にある部屋の前に立ち、ドアの横にあるブザーを押してみたが、目の前にあの淡色系の空間が広がることはなかった。僕は諦めずに何度もブザーを押してみたが、結果は同じだった。考えてみれば、チサトの会社からではこの時間に辿り着くことは難しく、まして残業や飲み会があればいなくても当然だったが、そんな周知の事実を忘れるほど、僕自身はひどく慌てていたのだ。ただ何かに突き動かされるようにここに来てしまったのだ。僕はその辺でチサトの帰りを待とうかとも思ったが、結局そのまま自分のアパートに帰ることにした。冷静になってみると、勢いのままに来てしまったことで、自分の気持ちの伝え方を用意していなかったこともあったし、正直なところチサトに会うこと自体が怖かったせいもあった。でも何より、実際に会って話をするよりも、何か他の形で自分の想いを伝えたほうが確実だと思ったからだった。チサトを傷つけないためにも、そして何より自分が傷つかないためにも。そう、僕はここに至って急に臆病になっていたのだ。
家に帰ると、僕はさっそくテーブルの上に便箋とボールペンを置き、冷蔵庫から取り出した缶ビールをその脇に添えた。手紙でも小説でも、最初の書き始めに時間がかかるのが昔からの癖だったからだ。僕はビールを一気に飲み干してから、目の前にある真っ白な空間を見つめた。そこに何かの暗示があるかとも思ったが、物事はそうたやすいものではなかった。僕はひとしきり頭を巡らせてから、おもむろにボールペンを手に取った。
チサトへ
もしかしたら、君はこの手紙を読んでくれないかもしれない、封を切らずに捨てられてしまうかもしれないけれど、それでも俺は、このことだけは言わなければいけない、書かなければいけないと思ってペンを手にしました。
俺は、ただ純粋に君に謝りたい。君の許しを乞いたい。大学の時も、そして今回も、本当にすまなかった。いや、そんな軽い言葉だけで許されるとは思っていないけれど、今の俺にはこう言う以外に術がありません。もちろん、全ての原因は俺にあります。君は全く悪くない。結局のところ俺は君に甘え続け、そして君の心を弄んでしまった。あろうことか君の姉さんと付き合い、決定的に君を傷つけてしまった。自分の気持ちだけを考えて、君を含めた周りの人のことなど考えてもいなかった。だから、いつかは俺にも天罰が下りそうな気がします。俺自身も早晩決定的に傷つくでしょう。
今さら言い訳はしません。いや、する資格もありません。君には罪の償いようもないけれど、とにかく幸せになってください。陰ながら祈っています。そして、今まで数々の想い出をありがとう。
それだけを書き切ると、僕は肩の荷を下ろしたような安堵感を味わうと同時に無性に寂しくなった。心の中を抉り取られたような虚無感に苛まれた。そして次の瞬間、自分自身に対する腹立たしさが地中から噴き出そうとするマグマのように猛然と湧き出てきて、僕を完膚なきまでに覆っていった。もはやビールさえも、その勢いを押しとどめることはできなかった。僕は傍らにあった携帯電話を手にすると、ただ一直線にサトミの番号を指で辿った。もう僕にはサトミしかいなかった。今となってはサトミだけが宿命の女であり、唯一の救いだったのだ。