ex.1. 飴玉
糖分補給用短編。プロット段階で予定していた迷子エピソードが消滅したため、お蔵入りになった閑話です。
メレディスとの授業を終え部屋へと戻る途中のこと。
滅多に人のいない廊下で珍しく人影があるのを見つける。
騎士の制服を着た小柄な男と、派手な髪色の長身の男。ベルクトとアリオールだ。
見つめているとこちらに気づいたのかベルクトが片手を上げて軽くひらひらと振った。
柚希は二人の方へと早足で近寄って声をかけた。
「今日はこちらに来てたんですか?」
「支局長に呼ばれてな。今後の打ち合わせとか何とか、そんなところだと思うんだが」
仕事の話なのにベルクトはのんびりと他人事のように喋る。
「ところで嬢ちゃんは? 帰るところなのか」
「はい、今日の分の授業は終わりましたので」
だからこの後は部屋に戻るだけだと伝えた。
「では気をつけて帰りなさい。もう道に迷うことは無いでしょうけれど」
黙っていたアリオールが口を挟む。しかも大騒ぎとなった迷子事件を引き合いに出す。
ある日、中庭へと入り込んだときのこと。植物の多い環境を満喫しながら考え事をして歩くうち、気付いた時には元来た道を見失ってしまっていた。中庭なのだから適当に外壁を探れば分かる場所に出そうなものだが、意外に広くて動きまわる間に疲れ果て、もう歩けないとその場に座り込んでしまったのだ。
その後、見つけてもらえたものの、発見と同時にいい歳して大泣きした、ああ恥ずかしい。
「ああ、そんなこともあったなあ。嬢ちゃん、道は覚えたのか?」
途端にベルクトが過保護になる。まるで親戚のおじさんのような気の遣いようだ。
「ええと、いつも同じ道を歩くので。覚えたというよりは迷う道に行かないだけですけれども」
恥ずかしながら変化した生活に慣れるのに必死で、研究所の敷地内を移動するので手一杯だ。それに迷子の時の不安感を思い出すと知らぬ場所に勝手に出て行くのも憚かられたから。
「そうか。どこか用があるときには手の空いてる連中を使っていいから。うちのところの詰所は知ってるな?」
「でも良いんですか? 研究所の外には出てはいけないんじゃないかと」
ベルクトの言葉に疑問を挟む。詰所は今歩く廊下の向こう端、研究所の敷地を出てすぐの場所だ。しかし近所ではあっても、厳密にいえばあそこは「外」であろう。
「ああ大丈夫なんじゃないか? 嬢ちゃんが迷子になったら、どうせうちが探すことになるんだ。予防だよ
、何か起きる前に手を打っておくってことで」
「それって、公私混同……」
「遠慮すること無いんだぞ」
柚希一人のためにこの人はいろいろと規則をねじ曲げているような気がする。こんなことで騎士団は平気なのか。
微妙な表情をしていたのが分かったのか、アリオールが「まあまあ」と口を挟んできた。
「騎士団は男所帯ですから、この間みたいに女性に涙を見せられると弱いのです。隊長なんて丸一日書類に手を付けなかったくらいですし、その始末が私の方に回ってきてどれだけ苦労したかと」
「あーあーあーあー、なんだ、あれだ、嬢ちゃんを見てると心配なもんだからな。勝手が分からなくて泣いているんじゃないかとか、家族を恋しがって泣いてるんじゃないかとか」
多分、書類絡みの嫌味に対して取り繕っているのだろうけれど、ベルクトが早口でしゃべる。だけど、なんで柚希が泣き虫キャラに認定なのかと。
「もしかして私は子供扱いされているということでしょうか?」
そりゃ、男性の平均身長180センチ超のこちらの基準で言えば150センチ代前半の柚希はチビすけなのだけれど。
「こう見えても十九歳なんです。こちらでは十六歳で成人扱いでしたっけ」
「いや、こっちの生活に慣れてないんだから子どもと変わんない」
おそらく本音だろう、ベルクトがぽろりと一言。
「失礼です。下手な新人よりは彼女の受け応えはしっかりしてますよ。子供扱いは良くない」
「そりゃうちの馬鹿で面倒な新人は基本的なとこから叩きこむ必要はあるが、あれとこれとは別だろ? 嬢ちゃんは自分で身を守る手段が無い上に、危険な目に会う理由もある」
魔法が使えないことと、異世界からの希少な召喚生物であることを言っているのだろう。だったらなおさら騎士団の人たちに甘えてしまっては迷惑かもしれない。
「すいません、私のことで手間がかかっているんですね。皆さんがお気遣いしてくれているので気が付きませんでした」
ペコリと頭を下げた。あまり我儘を言わず、許された範囲だけを移動している方が無難だ。そう結論づけようとしたのだが。
「そういう意味で言ったんじゃないんだがなあ」
ぽりぽりとベルクトは頭を掻く。
「嬢ちゃんを見てると真面目だからさ。面倒なことに巻き込まれたっていうのに、妙に物分かりが良すぎるってのが」
「もっと反応が激しい生き物を保護することもありますからね。なのでここまで規則を守る人も珍しいのは確かです」
要するにこの人達の基準では柚希の態度は扱い易すぎるということなのだろう。なので様子を見るついでに構いたくなるということか。「良い子」に対してのご褒美という側面もあるのかもしれない。
「こちらで何が出来るのか知らないので、何を頼んでいいのか分からないんです。身の回りのことは困らないですし」
「そういうところが『違い』なのでしょうか」
「はい?」
アリオールの言葉の意味がわからずに聞き返す。
「礼儀正しくて控えめなところですよ。もっと分かりやすく欲しい物を言ってもらえれば頭を悩ませる必要もないので」
ああ、そういうこと。自己主張が少なすぎて、こちらが何を考えているかわからないということか。
「それに、こっちじゃあまりいないタイプなんでな。気にしすぎて仕事サボろうとする奴がチラホラと」
「釘を差すついでに訓練量を増やすのも限度というものが」
子供というか、小動物扱いか。珍しい生き物なので情報が入らないと騎士の人たちが様子を探るために仕事を抜けだそうとするらしい。
「事情はわかりましたが、そんなに召喚生物って珍しいものなんでしょうか?」
「珍しいちゃ、そうなんだが。こう警戒心が薄いのも見てて心配だ」
「『平和ボケ』でしたか? 治安が良いところに長い間住んでいると、犯罪にあった時にどうして良いかわからないとか。騎士団としては治安向上への努力は欠かしていないつもりですが、それでも平和ボケを誘うほどこの街の治安は良好ではありません」
だからこその保護なのだとアリオールは続ける。
「あまり我々の目の届かないところには行かないで欲しいというのが本音でしょうか。だからといってこの建物周辺だけでは、狭い場所に閉じ込めているようで心苦しい。そんなところです」
「誰かの目があれば安心できるということですね。こっそり行方不明にならなければ大丈夫だと」
柚希の示した結論に騎士二人は頷いていた。
「まあ、もうちょっと暇があれば俺が嬢ちゃんを連れ出してやれるんだがなあ。そうすりゃ欲しい物も分かるだろうし、こっちの様子ももう少し理解できると思うんだが。だけどどうも最近、忙しいもんだから」
「忙しいのは誰のせいですか。今週も提出期限の迫った書類を貯めていたくせに」
「あれは別に大事なのがあったから後回しにしただけで」
「誰が尻拭いすると思ってるんですか?」
急に口喧嘩が始まった。
他愛のない内容だが、仕事関連のことだから聞いていては拙いだろうか。そう思いつつ、立ち去るタイミングが分からない。
少し距離を置こうと後退ると、背中のちょうどいい高さに窓枠が当たる。そこへ体をもたせ掛け中庭から注ぎこむ光にしばし意識を向けた。初めて中庭に入った時に感じた相変わらずの柔らかい光、気持ちのよい気温と授業の終了した気安さ。それらがないまぜとなったふわふわとした空気に身を任せていると、とろりとした眠気におそわれる──。
「どうしましたか?」
「おーい、起きてるかあ?」
だから声をかけられた時にとっさに返事ができず。顔をのぞき込んでいる二人の男に対して目を瞬かせ。
「すいません、少しぼんやりしてました」
慣れない環境で疲れているのではと言い訳してみると、とたんにアリオールが心配そうな表情になる。
「精神的な疲労ですか。それはいけない」
すぐに腰ベルトに下げた小さなバッグの中を漁った。そして取り出されたのは小さな紙片に包まれた指先ほどの塊。
差し出された物を受け取り、開いてみる。
「飴?」
ピンク色をした半透明の塊は、元の世界でもおなじみの飴玉であった。こちらでもほぼ同じ物があるのだと感心しているとベルクトとアリオールの言い争いが再び始まった様子。
「なんだよ、どっちが子供扱いしてるんだか」
「集中力が途切れがちなときはケットーチが低いって。だから甘いモノを補給しなければいけないんです」
ケットーチって血糖値のことか。
「リリ部長がそのようなことを」
やや興奮気味のアリオール。いつもは厳格なこの人が焦っているのを見るのは初めてな気がする。
「もしかしてアリオールさんは甘いモノがお好きなんですか?」
頭脳労働者だし、上司はデスクワーク嫌いだし。隠れて飴玉をガリガリかじっているのかも。
「ふーん、いいこと聞いたぞ。甘いもの好きね」
「いや、あくまでも疲労時の特効薬として」
珍しくベルクトがアリオールを言葉で追い詰めていた。含み笑いが漏れそうになり、それを誤魔化そうと口元を手で隠す。
「飴の一つや二つ、持っているのがそんなにおかしいですか? 非常食にもなるんです──」
「ずいぶん楽しそうじゃないか」
突然、後ろから声をかけられた。振り返るといつの間にかノヴァが立っている。
「待っていても君たちが一向に来ないから探しに来たんだよ」
騎士二人はその場で直立。
「えー、保護対象の状態に気を配るのも、我々の任務の一つとして──」
「私が呼び止めてしまったんです」
完全棒読みのベルクトが遅刻のいいわけをひねり出そうとするのに被せ、柚希は必死で弁明する。その様子にノヴァが吹き出していた。
「まあ緊急事態というわけじゃないから僕はそれほど怒っていないよ。だけどこんな仲良しの連中に僕が入れないのは悔しいだろ」
そう言って支局長室の方を指し示した。
「だから続きは僕の部屋でね。ユウキも付いておいで、守秘義務のある話ではないから同席しても構わないよ」
大きな猫そっくりの笑みを浮かべる。すっかり馴染みとなった表情だ。
「お茶菓子を用意してあるからね。ケットーチとやらも何とかなると思うよ」
だから、それは血糖値。声には出さず柚希は心の中で訂正を入れた。