夢見るままに待ちいたり
本日は日曜日。
つまりはお休みの日。
神様が世界を六日で作り、七日目に休んだ、というのが由来だと、何処かで聞いたことがある。
そしてこの日は、多くの学生にとっては一週間待ち望んだ解放の日だ。
それは僕も例外ではなく――今日は、外出する予定。
青春を謳歌する。
健全な学生として、当然の行為だ。
とは言ったものの、メンバーは何時もどおり。
蘭堂 ルフ、新都 茉莉、家井 弾、そして僕、泰多 九郎。特に色気があるわけじゃない。
そんなわけで、お出掛けの準備をしているのだけど……。
「プリマリアさん、本当にいっしょに行かない?」
僕がこの台詞を彼女に言うのは、昨日から数えてもう五回目だ。
「はい。私は此処で、ご主人様をお待ちしております」
そして五回目もこういう返事を返された。
彼女の名前は、プリマリア・ティンダロス。
僕の、メイドさんだ。
「本当に? 遠慮しなくていいんだよ?」
「ご主人様がご命令なさるというのであれば、お供をさせていただきますが……如何いたしましょうか?」
いや、ただ遊びに行くだけだから。
命令とかそんなのは……なにか、違う。違うと思うのだ。
かといって、プリマリアさんを独りで置いていくのは申し訳なく思うし、それに――プリマリアさんも交えて、みんなで遊びたいとも、思う。
「……ふふっ」
そうして悩んでいると、プリマリアさんが笑った。
優しく、慈しむような笑み。
「ええと……どうしたの?」
「いいえ。ご主人様の優しさに胸を打たれていたまでです。私が犬ならキビダンゴがなくとも鬼退治にお供をするところです」
優しさって言うか、ただプリマリアさんとも遊びたいなーってそれだけなんだけどなぁ。猿も雉も仲間にする予定はないし。
それならば、ついてこいと『命令』すれば良いだけの話なのだけど……どうも、こんなことを命令するのは気が引けるというか。
時折どうしようもなく、自分が抑えられなくなって命じてしまうような時もあるのだけど、今は、そんなテンションでもない。
「ご主人様。私のことは、お気になさらず」
「うーん……解ったよ」
時間的にはそろそろ出なければならない。残念だけど、諦める事にした。
「ええっと、なにか買ってきてほしいものとかあるかな。お土産とか」
「お土産……ですか。でしたら、ふたつ、お願いがございます」
「うん。なに?」
晩ご飯の買い物だろうか。そう思った。
プリマリアさんはにっこりと笑って、
「一つめのお願いは……どうか、楽しい時間を目一杯にお過ごしになることを」
「……え?」
やってきた言葉は予想とは大きく違っていたもの。
理解が遅れ――それがようやく染み込んで来た頃には、プリマリアさんは言葉を重ねていて、
「どうか、貴方の愛しき日常の謳歌を」
そうして、プリマリアさんはスカートの端を摘んで、優雅にお辞儀をした。
「……そっか」
思い起こすのは、このひとの『過去』。
何があったのか、詳しくは知らない。だけど、予想することは、出来た。
きっと彼女には。
青春も、日常も。
謳歌する権利すら、なかったのだと。
「解ったよ。プリマリアさん」
「有り難うございます、ご主人様」
「いや、お礼を言うのはこっちだよ……二つめは?」
「はい。二つめは、事故や怪我などされぬよう、元気なお姿でお戻りください」
そうして、またプリマリアさんは笑った。
「貴方をお待ちすることも、私の幸せです。ですから、私は此処で。唯、貴方をお待ちしています。ですが――」
もう一度、ですが、と言葉を重ねたとき。
彼女の笑みの色が、変わった。
優しい、柔らかな。そんな色ではなく。
淋しくて、影のある。そんな色に。
「必ず、此処に。お戻りください」
その、寂しくて。
でも、それを押し殺そうとして。
だけど、殺し切れていない。
子供が我慢をしているような。
そんな表情が耐えられなくて。
僕は――
「あ……」
――彼女の金髪に、指を通していた。
「んっ」
指通りの良い良質な髪と、頭皮の感触。
「うん。帰ってくるよ、此処に。プリマリアさんのいる、この場所に」
彼女には、なにもない。
僕に出会うまで彼女は、きっと。
真っ赤で、真っ黒で、真っ暗で。
それは、生きているのではなく。
使われているだけだったのだろう。
どれほど手を赤く染め、顔を黒く染め、足を暗く染め。
彼女は存続してきたのだろう。
僕には、いや、誰にも。
想像なんて出来やしない。
それは、彼女だけの『過去』(もの)だから。
だけど、今。
彼女はそれら総てを捨て、生きている。
彼女は人生を謳歌し始めたばかりなんだ。
僕に教えられた、拙い歌を。だけど、確かに。
彼女は今、口ずさんでいる。
だから、僕は。
「僕の帰りを待ってて。プリマリア」
「はい、お待ちしております」
今日は、精一杯に楽しもう。
そして、それが終わったら、彼女の元へ帰ろう。
生まれたてで、寂しがり屋で。
だけど、寂しさに耐えて。
健気に僕の帰りを待つ、子犬のところへと。
―――――――――――
「行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
ご主人様が、お遊びに出ていかれます。
「ん……」
ドアが閉まったのを確認してから、自分に、触れます。
触れる場所は、ご主人様に撫でていただいた、髪です。
まだ感触が残っているような、不思議で、愛おしい感覚。
「……えへへ」
まるで少女のような声が、知らずのうちに出ていました。
今日は、はじめて。
ご主人様が頭を撫でてくださいました。
そして、嬉しい約束もしていただけました。
必ず帰る、と。
「……ご主人様。ありがとうございます」
大袈裟な、と。
重い女だ、と。
そう思われてなければ良いと、思います。
だけど、私は不安なのです。
ご主人様が傍にいない。ただそれだけで。
……あの頃に、戻ってしまうような気がして。
それは、私だからこその不安なのでしょう。
生き物の命は簡単に消えてなくなると。
幸せが壊れるときは、何時だって唐突で突然だと。
誰よりも、『簡単に消し去って』、『唐突に突然に壊して』きた、この私だからこそ。
それでも私は、あの方を追うことはしません。
それは、あの方が教えてくださったからです。
待っていて貰えることの嬉しさを。
あの時消えようとした私を引き止めて――待っていると言ってくれて。
そしてあのひとは、確かに待っていてくださいました。
こんな私を。
赤く染まるほどに潰し、黒く染まるほどに滅し、暗く染まるほどに殺した私を。
待っていて、くれた。
それがどれほどに有り難く。
それがどれほどに愛おしく。
それがどれほどに胸を打たれたことか。
きっと、誰にも解らない。
いいえ、解らせません。
この気持ちは、私一人だけのものだから。
そして、それ故に。
私は主人を待つのです。
あの日の夢を想い、うなされながら。
愛しい貴方の夢を想い、焦がれながら。
「嗚呼、嗚呼。ご主人様、早くお戻りになられないでしょうか……」
唯、夢見るままに待ちいたり――。