スーパーの中の戦争
――この風。この肌ざわりこそ『戦場』(いくさば)だ。
懐かしいものを感じながら、並み居る強敵たちを押し退け、押し行き、押し通った。
僕自身もまた押され、時に肘や爪が入り、罵倒されたりしながらも、なんとか目的のものを勝ち取る。
あとは押される動きにある程度任せていれば、自然と抜けられるものだ。
ただし、一度自分の物としたものは死守しなければならない。
ここは戦場で、ハイエナはどこにでもいるのだから。
「――ぷはっ」
生還した。
そんな想いとともに、僕は息を吐き、新鮮な空気を吸い込む。
「……うん。無事無事」
呟く僕の両手には、卵のパック。Mサイズで10個入り。それが三つある。
どれもひとつとして割れていない。その事実に、自分の腕がまだ鈍っていないことを確信する。
と、そうしていると小さな影が僕の方に近寄ってきた。影は声付きで、
「ふぉあ〜。さすが九郎さんです!」
「いやいや。これくらい大したことないよ。三つしか取れなかったんだけど、良かったかな? 確か、お一人様五つまでの大盤振る舞いって聞いたんだけど」
「じゅーぶんすぎます!」
戦利品を近寄ってきた影の主である、彼女に手渡す。
彼女はそれを、ははー、と言いながらまるで賞状でも渡されたかのように、妙にうやうやしい態度で受け取ると、大切そうに買い物カゴの中に入れて、
「卵、げっとです! 九郎さん、ありがとうであります!」
びしっと敬礼。
そのまま警察か軍隊のマスコットになれそうくらい愛らしく、微笑ましい仕草だ。
「どういたしまして、ルフ」
彼女の名前は、蘭堂 ルフ。
僕のクラスメイトであり、幼馴染みであり、良き友人だ。
銀色のポニーテールに、パープルの瞳。
見てのとおり、純粋な日本人ではないが、日本語はとても流暢。
なにせ、産まれたときから日本住まいだ。寧ろ英語は苦手という微妙に詐欺っぽい弱点があるくらい。
服装は僕と同じ制服。ただ、こちらは当然ながら女生徒用のもの。
そして首には銀色のチェーンが付けられていて、彼女の胸元では、そのチェーンを通された大きな『鍵』型のアクセサリーが揺れている。
この銀色の鍵に付いて話していると長くなるので置いておくけど……一言で片付けるならば、これの鍵はルフの宝物だ。
さすがに学校内ではここまで堂々と着けてはいないけれど、それでも肌身からは離すことのない、ルフの大切な逸品なのだった。
「これなら暫く卵に困りません! 卵フィーバーです! 超卵トリロジーです!」
「食べ過ぎて痛風にならないようにね」
テンションがクライマックスになってジャンプしているルフの頭を撫でる。
ルフの身体は小さくて、とても撫でやすい位置に頭がある。
身長、目測で140後半。
体重、とても軽い。
上から下まですとん。そんな言葉が当て嵌まる――まぁ、いわゆる幼児体型。
とても僕と同じ年には見えない。
僕らの学校の、スーツケースを少し縮めたようなカバンよりも、ランドセルの方が似合いそうだいそうだ。お人形さん、という言葉がぴったり嵌まる。
「はいっ。気をつけますっ。えへへ……九郎さんが援護に来てくれて助かりましたっ」
人懐こく笑みを浮かべ、ルフは此方に体を寄せてくる。
さすがに密着すると彼女が女の子だと確認できる――いやまぁ、確認するまでもなく、そうなんだけどね。
柔らかくて、ほんの少しだけ、甘い匂いがする。
「やはり九郎さんは、ルフのヒーローです! 英雄です! どこにバイク停めても駐禁切られないです!」
「いや、そもそもバイク乗らないしね」
あと、あの手の特撮ヒーローは駐禁以前にまず違法改造で捕まりそうだ。
「えっへっへー。そうでしたっ!」
子猫のような純真さを持った紫色の瞳で、ルフがこちらを見上げてくる。昔から、彼女にはこうして懐かれているのだった。
今日の僕は、ルフの買い物に付き合っている。
狙いはもちろん、時間帯による安売り。俗に言うタイムサービスと言われるものだ。
ルフは元気で活発な娘で、スポーツの成績は決して悪くない。寧ろかなり良いほうだ。
しかし、それは小回りの効く種目においての話。
彼女には力と……もっと言えば、体格。身長とか、そう言うものにあまり恵まれていない。
よってこういうぶつかり合い、押し合いとなる種目は苦手なのだ。
そんなルフの為の助っ人として、僕はこうして久しぶりにスーパーマーケットに足を運んだ。
ほんの少し前までは今のルフと同じように一人暮らしだったため、よく足を――時にはルフとふたりで――運んでいたが、今、うちには優秀なメイドさんがいる。
だから、こういうイベントへの参加は久し振りのことだったのだけど、なんとかルフの期待には応えられているようだ。
「ルフ、次はどこに?」
「えーとですねー。あ、鳥肉です! そろそろ鳥さんが安くなります!」
「それは見逃せないな。行こう、ルフ」
「了解であります!」
鳥肉はルフの大好物だ。
可能であるなら、今度は取れるだけ取ってあげたい。
そう思い、僕はルフと共に精肉コーナーに向かうのだった。
――――――――
「……あれ?」
精肉コーナーには見慣れた姿があった。
ヘッドドレスに飾られた、クセの無い金髪。
フリルとリボンが目を引くメイド服。
そして、瞳と同じ、鮮やかな紅の『首輪』。
恐らくこの辺りで同じ姿をしたひとは、一人もいないことだろう。
「〜♪」
上機嫌に歌いながら合い挽き肉を物色しているのは、我が家のメイドさん。プリマリア・ティンダロスさんだった。
ちなみに、歌っているのは休みの日の朝にやっている女の子向けアニメのオープニングだ。メロディーが響いて今からストーリーが始まるような歌詞だった。
……外でもノリノリだった。
恥ずかしくはないらしい。
「あら……ご主人様?」
声をかける前に、プリマリアさんは歌を止め、こちらに顔を向けてきた。彼女の気配察知能力はAランクのようだ。
僕の傍らのルフが、プリマリアさんに向かって元気良く手を振って、
「プリマリアさぁ〜ん! こんにちわであります!
「こんにちわ、蘭堂様」
「プリマリアさん。買い物?」
「はい。本日はこちらのお店がいろいろとお安くなると聞きましたので」
「そっか……」
やはりプリマリアさんも台所を預かる身として、本日のイベントは見逃せなかったようだ。
既にカゴの中にはいろいろな商品が入っており、そのどれにも値引きを示すシールが貼られていた。
「ふぉあっ、やはりプリマリアさんは凄いです!」
ルフが飛び上がって驚いているが、さっきから飛んだり跳ねたりして卵が心配だ。カゴを預かるべきだろうか。
「ふふ。猟犬と呼ばれた私には雑作もないことです」
このくらいの修羅場は慣れたものらしかった。
まぁ、このひとの過去は――うん、今は、良いだろう。そんなことは。
謙遜しつつも嬉しそうなプリマリアさんを見て、ルフは右の人差し指を咥える。
正確には、ルフはプリマリアさんの胸を見て、
「やはりルフと違ってエネルギータンクが大きいから、必殺技撃ち放題で堅牢な防備を突破できるのでありましょうか……」
「いや、そこは関係ないと思うけど……」
体格差はあるような気がするが、胸は関係ないと思う。
それにプリマリアさんの場合は、潜り抜けてきた戦場が違うと言うのが、正しいだろう。
突っ込みを入れていると、それを掻き消すくらい威勢の良い声が届いてきた。
それは今から鳥肉を安くすると宣言するもので、国産の鳥の股肉がびっくりするほどお安い値段にされていた。
あっという間に人の群がりが発生し、塊となる。
「ふぉあっ!? 出遅れました!?」
「しまった……!」
今からで間に合うだろうか。いけなくはないと思うが――
「――ご主人様。なにか、お忘れになっていませんか?」
「ふへ?」
突然にそう言われて、変な声が出る。
忘れているって、何を……?
わけがわからない、という思いを得ているとプリマリアさんは、わふぅ、と独特の溜め息を吐いた。
「ご主人様、どうして私を頼ってくださらないんですか……?」
「え、あ……」
彼女のその言葉と、寂しそうな瞳で理解が出来た。
プリマリアさんは、自分の活躍の場を求めていたのだ。
「いや、でも」
そんなことまで頼んで良いものだろうか。
そう思い、何かを言おうとして――プリマリアさんが、僕の手を掴んだ。
突然の捕縛に驚いている間に、彼女は僕の手を、自らの首輪へと持っていく。
革と、金具。
彼女を縛り付ける、首輪の感触だ。
冷たくはなく、寧ろ、彼女の体温で暖かい。
それが生々しさとして、彼女の首を絞めているような錯覚を得る。
「私はご主人様のお役に立ちたい。ただそれだけです」
「う……」
「ご主人様はただ、お命じになられるだけで良いのですよ。飼い犬にそうするように、私に、『取ってこい』、と」
その微笑み。
貴方にすべてを捧げますと。
彼女の服従が、平伏が感じられる、微笑み。
背中に、冷たさのような、熱さのようなものが奔る。
「っ……」
僕は、熱に浮かされたように、或いは、寒さで凍らされたかのように。その感覚に流されるように。
「プリマリア――取っておいで」
彼女を呼び捨てにして、『命令』した。
「――わんっ」
彼女は、心底から嬉しそうに。
まるで玩具を与えられた犬のように一吠えした。
そして、僕の視界から消失した。
「ふぉあっ!? プリマリアさん!?」
ルフの驚く声がする。
「上だよ、ルフ」
「ほへ? ふぉ、ふぉあああ!?」
僕に言われたとおりにルフが上を見上げ、僕もそうした。
彼女は――『プリマリア』は既に空中だ。高く、高く。跳躍の最中だ。
先ほどルフがしていたような飛び上がりとは比べものにならない、人間さえ飛び越す大跳躍。
上から行った。
既に入り乱れた状態となっている人の波へ、彼女は空から降下して、波へと乗った。
「申し訳ございません。失礼致します」
謝罪とともに、彼女は人間の頭を、背中を、肩を。足場として駆け抜けた。
恐ろしいのは、それによって一切の事故が発生しないことだ。
踏まれ、抜かれ、乗られた彼らは、彼女にそうされたということさえ気付かずに、己の戦いに夢中となっている。
時折、行かれたあとに頭や肩に触れる者もいるが、気のせいだったかという風に首を捻ったり、すぐさま他者に揉まれ、忘れていく。
まるで羽根が舞い、落ち、また舞っていくようだ。
高速で抜けてゆき、荒波の中心部の辺りで彼女は『回った』。
人波の上に乗りながら、側転を敢行したのだ。
無茶苦茶な動き。
しかし、その無茶苦茶を、彼女は二度、連続した。
二連の側転を終えた彼女の手には、鳥肉が――正確には、鳥肉が入ったパックが六つ。
細い指の間に器用に挟み込むようにして、片方の手に三パックずつが確かに確保されていた。
「側転で手を着くときに、抜いていったのか」
「れ、冷静に分析してます!」
いやだって、それくらいしか考えられないし。
二度の横回転により、鳥肉を鮮やかに回収したプリマリアはそこから再び大跳躍。
結果として、人の波を割り裂いたような直線軌道で彼女は抜けていった。
金髪とヘッドドレスの靡きが、人蓄まりの向こうへと消えていく。
「ふぉ、ふぉあぁぁ〜。すっごいでありますよ〜」
ルフが感嘆の吐息とともに、拍手する。
「ありがとうございます、蘭堂様」
「ふぉああああ!?」
『プリマリアさん』は既に、笑顔でルフの後ろにいた。
後ろから突然に話し掛けられて驚いたルフが、先ほどのプリマリアさん程ではないが上へと飛ぶ。カゴの中の卵が心配だ。
「こちら、蘭堂様に」
プリマリアさんはルフへ笑みを見せながら、鳥肉が詰まったパックを三つ、ルフのカゴに投入した。
さっきまでの化け物じみた動きはどこへやら。のんびりとした動きだ。
同時に、僕の方も――『あの感覚』は消えているのだけど。
そして鳥肉を渡されたルフは、一瞬だけ目を丸くした。
そして、すぐに買い物カゴを感極まったように掲げ、
「おおおう……鳥腿肉! げっとであります! 感謝感激であります!」
「ふふ。喜んで頂けて何よりです」
「……お疲れ様、プリマリアさん」
労いの言葉を掛ける。
プリマリアさんはこちらへ向き、紅い瞳を弓にして、
「あぉんっ♪」
主人に褒められた飼い犬のように、嬉しげに鳴くのだった。
相変わらず、このひとは凄いひとだ。
―――――――
「ルフもプリマリアさんのように動ければ、パワーがなくとも安売りで戦果を上げられるでありましょうか……」
「いや、真似できる技術じゃないと思うけどなぁ」
「蘭堂様、申し訳ございません。【生体加速】(クロックアップ)は我が一族に伝わる秘奥義ですので、簡単にはお教えするわけには参りません」
「プリマリアさんも、変にノらないでよ」
「ふふ。申し訳ありません。つい、家井様の真似がしたくなりまして」
お茶目なひとでもあった。
初後書き。
短篇というか、短篇集なこの作品。楽しんでくれているでしょうか。
友達兼幼なじみ、蘭堂さん初登場回です。間を空けて残りの二人の友人も、登場相成ります。
それでは、次回もお楽しみに。