風邪を引いたら暖めて
「ご主人様」
「……あ、なに?」
朝ご飯を食べているときに、唐突にプリマリアさんからの呼び掛けが来た。
しかし僕の反応はワンテンポ遅く――それが確信となったのだろう。プリマリアさんは僕の額に、自分の手の平を押しつけてきた。
「うひっ」
不意打ち気味な接触に、変な声が喉から迫り出す。
プリマリアさんは神妙な面持ちで、
「……37度2分というところですか。匂いが何時もと違うので、もしかしてと思いましたが……風邪ですね」
正確な数値をはじき出された。しかも匂いでアタリを付けていたらしい。相変わらず多芸なひとだ。
確かに僕が起きたときに自分でこっそり熱を測ってみるとその数値だった。しかし、それほど深刻な値ではないと、僕は考えていた。
「平気だよ、これくらい」
学校に行こうと、そう、思っていたのだ。
プリマリアさんに言わなかったのは、正直な話、止められるだろうなと思っていたからであり、
「いけませんよ、ご主人様」
実際に、そうなった。
プリマリアさんの、いいですか、という前置きからの説教は正論で、反論の余地がないものだ。
「風邪は万病の元。拗らせると命に関わる場合もございます。本日はお休みください」
「う、でも、学校が」
「本日一日、ゆっくりお休みになれば、きっと明日からは普段どおりに登校できます。逆に本日無理をなされて登校して、お風邪を拗らせた場合、床に伏す時間は恐らく一日では済みませんよ」
ぴしゃっ。
そんな効果音が背後に表示されそうなくらいにばっさりと、プリマリアさんは僕の言い分を切って捨てた。
『いつもにこにこ貴方のお側に』が合言葉の彼女も、今回ばかりは厳しい。
そして確かに、プリマリアさんの言うことは間違っていない。
結局、僕はそれ以上は何も言えず、本日は床に伏すこととなったのだった。
―――――――――
「どうぞ、ご主人様」
僕が着替えている間に、プリマリアさんはベッドメイクを済ませたらしい。
朝方に僕が乱したベッドが、綺麗に整えられていた。
「うん、ありがとう」
促されるまま、僕は布団へと入る。
ほんのりと暖かいのは、僕の体温がまだ残ってるためだろうか。
それとも、プリマリアさんの体温だろうか。
「そのままお待ちくださいね」
そういってプリマリアさんは、どこからともなくあるものを取り出した。
それは白く、長方形で、微かに薬臭いもの。
「『メイド108の秘密道具』の11番。熱冷まし用ジェルシート〜♪」
何時もの『秘密道具』らしかった。
プリマリアさんは紅い瞳を細めて、高々とそれを掲げている。間延びした声と相まって、昔見ていたアニメの狸――いや、猫型ロボットを思い出した。
「ほんの少しだけ、ひんやりしますね?」
プリマリアさんは熱冷ましシートのフィルムを外しながらそう言うと、僕のおでこの髪を分け、露出させた。
プリマリアさんの指でさえ冷たさを覚えるのに、これから張られるそれはもっと冷たいのだ。僕は目を閉じて、身構える。
「失礼致します」
「ひぃ」
ひんやり、どころか『冷たさ』という概念を脳髄にねじ込まれたような感覚が来た。
『秘密道具』ということは、何時でもどこかしらに持ってるということだろう。
だというのに、おでこに張られたシートは物凄く冷えていた。地下世界で購入できるビールと勝負できそうなくらいにキンキンだった。
そして、薬品によるものなのだろうか、空気に触れていないのにおでこに冷たい風が当てられているような感覚を得る。
正直に言えば、あまり好きな感覚ではない。
「くっはー……つめたぁ……すーすーするー……」
「そのままお休みください。後のことは私が」
「あー、いや、いいよ。僕からメール打っておくから」
遠慮の意味を込めて、プリマリアさんに手の平を振った。後のこと、とは学校への連絡のことだろう。
「……蘭堂様たちですね」
「そうそう……みんなに連絡入れておけば、先生にも伝わるから」
言いながら携帯を開き、メールを打つ。文章は飾り気のない短文で、簡潔に、風邪を引いたから休むという旨のもの。
僕は絵文字やら顔文字やらは苦手だ。なにか、真剣さ、と言うのだろうか。それがなくなるような気がするのだ。
メールを書き終わったら、宛先の欄に電話帳からの引用で友人の――蘭堂 ルフのアドレスを入れて、送信。
問題なく送信が完了したことを確かめて、今度は送信ボックス画面へ。
ついさっき送ったメールが一番上に来ているのを確かめてから、再編集コマンドを入れる。
宛先欄からルフのアドレスを消し、今度は茉莉のアドレスを入れて送信。
もう一度、再編集からアドレス欄を書き替える。今度は弾宛てだ。そして、送信。
蘭堂 ルフ。
新都 茉莉。
家井 弾。
この三人に向けて、こうしてメールしておけば先生にも伝えておいてくれるだろうし、授業のノートなどもとっておいてくれるだろう。そう思うくらいには、仲が良くて、信頼できる間柄の三人だ。
ちなみにこの三人はそれぞれのアドレスを知っているので一斉送信でも良かったのだけど、僕自身、一斉送信という行為があまり好きではないのでしなかった。
一斉送信されたメールに対して返信ボタンを押したときに出てくる、『全員に返信or送信者に返信』という画面を見ると、なんだか微妙な気分になるから。
「ん、出来た……じゃぁ、僕は大人しく寝るよ。メールも送ったし」
返信はすぐに来るだろうが、後で返せば良いだろう。
そう思ってしまうくらいにはいい感じの眠気が来ていた。やっぱり風邪だなぁ。ちょっとだるい。
「はい。そうして頂けると。お昼は、お粥かおうどんにしようと思うのですが……如何でしょうか?」
「うどんが良いなぁ」
「かしこまりました。では、私は出ていきますね。ご主人様のお休みを、妨げてはいけませんから」
言うが早いか、プリマリアさんは軽くお辞儀をしすると即座に踵を返し、部屋から出ていこうとする。
「あ、待って」
「はい、何でしょうか?」
「あ、う、ええと……うどんには卵が入ってると嬉しいな。溶き卵じゃなくて、そのままで」
「お月見うどんですね。かしこまりました♪」
今度こそ、プリマリアさんは部屋を出ていった。
実は僕が言いたかったのはそういうことでは無かったのだけど……。
「……ぐぅ」
……寂しいから寝るまで傍にいてほしい、なんて。
そんな恥ずかしいことを考えてしまった自分を、吐き出すように。
寝息の真似事ようなものを吐いて、僕は布団に潜り込んだのだった。
――――――――
「ご主人様。失礼致します」
軽いノックの後に続く、耳慣れた声。
それによって、僕の意識は眠りから引き揚げられた。
「ん……プリマリアさん……?」
目を開けると、既に部屋のドアは開かれていて、プリマリアさんが入り口に立っている。
プリマリアさんは両手でお盆を持っていて、その上には大きなどんぶりとコップがふたつずつと、お茶の入れ物が乗っている。どんぶりからは湯気が立っていた。
「お休みのところ、申し訳ございません。ですが、お昼ご飯のご用意が出来ましたので」
「ん、そっか……ありがとう」
「いえ。これが私の生きる意味ですから」
優しく微笑んで、プリマリアさんが此方に歩み寄ってくる。
両手でお盆を持った状態でどうやってドアを開けたのかは微妙に気になるところだけど、わざわざ突っ込みを入れるようなことでもないように思えた。
プリマリアさんはお盆を僕の机に置くと、ふたつのコップと、お茶の入れ物、そしてどんぶりを片方だけお盆から外して、机に置いた。
そして積載物がどんぶりひとつのみとなったお盆を僕に渡して、
「これを、お膝の上に置いて頂いて食べて頂こうかと思ったのですが……大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
礼を重ね、言われたとおりに膝から太ももの辺りにお盆を置く。
どんぶりの中身はうどんであり、リクエスト通りに卵が入ったお月見仕様だ。細切りにした葱と油揚げも入っていて、豪華だった。
「わ、おいしそ……頂きます」
「はい。お召し上がりください。熱いので、お気をつけて」
「うん。ふー、ふー……」
よく息を吹きかけて冷ましてから、うどんをすする。
「んぐ……美味しい。暖まるね」
「お口に合いますか?」
「うん。濃さもちょうどいいし、葱と油揚げも美味しいよ」
卵は最後に割ってつゆと混ぜ、それを飲むのが僕のスタイルだ。故にまだ手は付けていない。
「そうですか……『調節』が上手くいったみたいですね。よかったです」
「……? なにか特別なことしてるの?」
「はい。ほんの少し、濃い味付けにしてあります」
「濃い……? そうかなぁ?」
うどんつゆを少し飲んでみるが、濃い感じはしない。
むしろ、ちょうど良いくらいだけど。
「前に作ってくれたのと同じくらいの濃さに感じるよ?」
「ご主人様は今、お鼻を詰まらせていらっしゃいますから」
「ん、あぁ、そうかも」
確かに少し、鼻の中に引っ掛かりのようなものを感じる。声も、ちょっとくぐもったような感じ。
「実は味、というものは舌だけでなく目や鼻も深く関わっていまして……お鼻が詰まっていると、味を感じる能力が鈍るのです」
「そうなんだ?」
「はい。ですから、今のご主人様が物足りなく感じないように、濃いめの味付けを」
「ふぅん……」
感心して、僕はうどんのつゆに映る自分を見た。
相変わらず博識。しかも、気配り上手だ。
それに、風邪を引いたときに……こうしてお世話をしてくれるひとの存在は、とても有難い。
「……ありがとう、プリマリアさん」
「貴方に尽くすことが、私の幸せですから」
優しく微笑むプリマリアさん。
それを見ていると、心の中まで暖まるような気がした。
―――――――――
「ご主人様。食べたらお薬と、それが終わりましたら、お身体を拭かせて頂きますね?」
「あ、ううん。身体を拭くのは自分で」
「きゅぅーん……お風邪の時くらい、もっと甘えて頂いても宜しいのですよ……?」
「いやいや」
もう十分すぎるほど、貴女には甘えてますから。




