私は踊り子
学校からの帰り道、私はバッグを片手に走っていた。どこまでも暑い夏、人気の多くて酔ってくるような声の多さ。そんな中で、私は暮らしていた。
東京にやってきて驚いたのは、人の多さと、この暑さだ。北海道に住んでいると、この暑い気温の連続は蒸し返って仕方ない。私は走りながら汗を拭い、ベトベトのシャツを憂いでいた。こんな服で、一日中いるのか。
夏の風と、揺れ動く木々は、私になにか、なにかをしろと言っている様な気がする。私は視線をあちこちに向ける。人と人、ぶつかり、離れ、風が揺れ、木にあたり、砕けて、破片が花に飛んで、揺れて動いて消えては現れ。
こんな感覚が、唯一私の現実的な現実の表現だ。これ以上の表現を、私は言えない。私は少々夢想癖があるらしい。いつのまにか電車に乗り込んでいる。乗り込んでいて、いつのまにか辿り着いてる。電車を降りて、駅を出て海の見える大きな建物に着く。講義に、間に合ってたらいいのだけれど。
「おはよ、今日はギリセーフね。」
「ほんと?ならよかった。」
気だるそうなこの人はいつも本を読んでいる。講義中でもなんでも、時を選ばすいつも本を読んでいる。今読んでいる本は、赤い表紙の小さな本だ。
「まぁ、遅れたっていいような講義だから、別にいいと思うけどね。」
「私はそんな気概がないな。何となく気兼ねしちゃう。」
「好きにやればいいのよ。好きにさ。金払ってるのは親なんだから。言ってみれば、大学教授なんて店員みたいなもんよ。客なら客らしく堂々としてればいい。」
そう言っている間に、講義が始まった。講義の内容はつまらないが、つまらなくても聞いてしまう。大抵の内容は全く無意味な感覚になるが、それでも私は聞いてしまう。昔から人の話を聞かない子だと言われてきたから、そのせいかもしれない。
講義が終わり、皆どこかへ流出する。たくさんの人がいて、私もそれに続いて、ゾロゾロ廊下に出ていく。カーテンがひらひら揺れる。廊下の中人がたくさん歩いる。こういうところで私は踊ってみたい。
小学生のとき、よくそういうことをして怒られた。でも今でも、この欲望はある。いつか、許される日がくるだろうか。有名にさえなれば、そういうことが、許されたりするんだろうか。
「次の講義いつなの?」
「次は就職相談が。」
「あぁ、そう。まぁ早いほうがいいかもね。」
「でも、あんまり実感が湧かないな。就職なんて。」
真中とはそこで別れた。私は少しメランコリーになりながら、長い廊下を歩いている。
「もう少し廊下が長ければな。」そんなことを思って想って。
就職相談の部屋は小さかった。おばさんがいて、そこで私は相談するらしい。でも、なにを?
「こんにちは」
「はぁ、こんにちは」
「今日はホント暑いわね。それで、あなたはどういう希望?」
問答が長引く。あまり覚えていない。私はいつもこういう記憶を欠落させてしまう。覚えているのは不快と不安な感覚、それと私の言った
「ダンサーになりたいんです。」
この言葉が妙に心に残った。思ってもいないことだった。でも、妙にしっくりきた。いつか、踊るだけで暮らせたなら、どんなにいいんだろう。
大学の最後の講義が終わり、やっと一息つけると思った。もうすっかり夜の街だ。冷え込んで、帰っている人がたくさんいる。私は少し憂鬱だった。そういう時、私は公園で踊ることにしている。
噴水があって、その飛沫がかかる様なそんな公園。木々が夏の夜風で震えて、その震えで落ちる葉の動きに、私は合わせて踊ってみる。
踊りは全てをよくさせた。現実をいい現実に変えさせてくれる。あらゆる物事が、私に祝福を送る様だ。なにか記憶がでてくる。初めて踊った時の記憶、上京した記憶、真中と出会った記憶、こういう記憶が、全てきらきらとしてやってくる。こういう瞬間が、私は好きだ。こういう時だけ、私は不安を忘れられる。
踊り終わったとき、一人の男が見ている事に気づいた。その男は猫背で、いかにも不健康そうな顔つきをした、メランコリーな人だった。私はこの人を知っている。たしか、同じ大学の人だ。名前は…
「やぁ、春花さん。どうも、覚えてない?山南だけど。」
「あ、うん、山南くんね。覚えてるよ。」
あまり覚えてなかった。影が薄そうで、私はあまり人の顔を覚えられないので、こういうは人はすぐに忘れてしまう。
「ダンス、すごいうまいね。ダンスって音楽がなくてもできるんだ。」
「私、音楽がないほうが好きなの。音楽があると、無理にそれに合わせないといけないでしょ?それが嫌でさ。」
山南という男はにやにや笑って、少し気味が悪かった。まただ。ダンスをやめるとすぐに嫌なものに出会ってしまう。せっかくダンスで素晴らしい心持になれたのに、これがいやだから、私は夜にダンスをする。しかし、いつもこういう邪魔が入る。
「春花さんはダンス、どこかで習ってたの?」
「うん、子供のころに。でも今は全部自己流。」
「へえすごいや。」
南山はどこか浮ついた興奮しているような感じだった。それが、私を不快にさせる。「はやく帰ればいいのに。」そう思っても、南山は話を間延びさせる。
「うらやましいな。僕、運動が苦手だからさ。」
川のせせらぎが聞こえる。月に紛れて綺麗だ。コオロギの音。それが風に揺らされていて、その風は大洋を越えて大陸へと行くのだろう。それなのに私は…
「春花さんがこんなにダンスが上手なんて知らなかったよ。」
冷たい温度、小品が月を表現し、あらゆる木々の揺らぎ声が、夜の情景を形成する。なんてすばらしいことか。
「また会えるかな。どうだろう。」
なぜこんなことを言うのかわからなかった。私は少し困惑したが、断る言葉が出てこない。私は「うん、またこんどね。」そんなことを言った。どうして、この男はこんなことを言うのだろうか。私は一瞬「恋」という言葉を思い浮かべた。けれど、もしこの男が私に恋してるのなら、なんだか、あまりにも憐れすぎる気がしたから、私はそうじゃないことを、祈っていた。




