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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夕暮れの茶会 ― Le Thé au Crépuscule ―

作者: 神城クロノ




 午後の日差しは、街路樹の葉の間を縫うようにカフェの窓から差し込み、粉塵まじりの空気を淡く照らしていた。



 ()()()()()と名乗る男は元はレイ・ウォーカーと呼ばれていた。

カウンターに肘をつき、蒸気の立つカップを手に取る。

そして、静かに香りを吸い込む。

彼のお店の小さな店内には、かすかにコーヒーと焼き菓子の匂いが混じり、外の喧騒を柔らかく遮っていた。



「今日も、静かだね」



 バイトのヤマトが、鼻歌交じりにメニューを書き込みながら、窓の外を気にする。

彼は軽薄そうでお調子者だが、耳は自然に情報を拾ってしまう。

今日も街の雑踏の中から、多くの情報を感じていた。



 セバスチャンはカウンターを拭きながら、目を細めて店内を見渡す。

かつては血と煙の世界を共に歩いた、レイの“お目付け役”。

今のレイは昔のように危うくなく、穏やかであり、そんな姿を見て微笑ましく感じる。



 レイは、そんな二人を静かに見やりながら、微かに肩をすくめた。

ここにいると、時間がゆっくりと流れるようで良いなと思った。

しかし胸の奥の影は完全には消えない。



 ドアが開いた。冷たい風が店内に吹き込み、午後の光が揺れる。



「……やっと見つけたぞ」



 スーツ姿の男が、ゆっくりと足を踏み入れる。

アンドレ・ウォーカー――義兄弟であり、かつて幹部として共に世界の裏側を生き抜いた男。

そのの眼差しは、変わらず冷たく、しかしどこか切実さを帯びていた。



「レイ……。義父さんが死んだ。最後にお前の名を呼んでいた。組織はレイに任せる、それが遺言だ」

言葉は店の静けさを切り裂くように響いた。



 ル・テ・オ・クレピュスキュル――夕暮れの茶会――。

世界の裏で暗躍し、時に武力も辞さず、平和を守るために影の行動を遂行する組織。

義父に拾われ、育てられ、そして幹部にまで登り詰めた彼の人生の殆どはその組織の中にあった。



「他の幹部はまだお前を狙っているぞ」



 少し思考に入っていたレイの意識がアンドレの声で現実へ引き戻される。



 いずれこの場所もバレるだろうとは思っていた。

できることならその日が少しでも長く続く事を願っていた。

だが平穏な日常は、もうここにはない。













 雨が路地を打つ音が耳に突き刺さる。

スラムの暗い路地裏、泥と血にまみれた少年が、一度目を閉じれば二度と開かないかもしれない絶望の中で横たわっていた。



 そんな時、雨の切れ間を縫うように、一人の男が現れた。

そして静かに、しかし確固たる意志で、少年に手を差し伸べる。



「こんなところで死ぬ気か?少年。抗いたいなら生きろ。強く、そして賢く」



 声は低く、冷徹さの中に深い優しさが隠されていた。

その瞬間、レイは知った。

生きることは選択であり、戦うことは必然であることを。

義父の腕の中で、少年の身体は温もりを取り戻し、濁った世界に光の欠片が差し込んだ気がした。



 その日から、彼の生きる時間は戦いと学びで塗り固められた。

まずは日常の身辺整理、生活能力の習得、次に肉体の鍛錬――

筋肉に痛みを刻み込み、反射神経を研ぎ澄ませ、危険の匂いを嗅ぎ分ける感覚を植え付けられる。



 夜になると、義父は書物の前に少年を座らせ、戦略、心理学、諜報の技術を叩き込んだ。



「敵の意図を読むには、まず自分を知ることだ」



 よく言われた言葉だ。

少年は知識を吸収し、頭脳を武器に変えていった。



 やがて、十代後半。

任務を与えられ、レイは初めて人を殺めることを経験する。

背後から迫る暗殺者、罠、裏切り――

心臓の鼓動は冷静さを失わず、血が静かに流れるだけの感覚に変わる。



 義父の教えは、冷酷でありながらも確かな温もりを伴っていた。

勝者と敗者の線引きは常に明確で、迷いは生き残るための贅肉に過ぎなかった。



 「世界の平和の為に武器を取れ」



 義父はいつもそう言っていた。















 十七歳、初めての大規模作戦に参加した。

がその時、組織内の派閥争いに巻き込まれ、信頼していた仲間に裏切られた。

暗い倉庫の奥で、刃が彼の喉元に迫った。

反射的に身体をひねり、相手の刃を弾き飛ばす。

冷たい鉄の感触、重く滲む血の匂い――

しかし彼は死地でも冷静だった。

彼の今までの学び、経験がその時も最適解を自然とこなす。

義父の教えを全うしてきたからこそ、その時も彼は死ぬことはなかった。



 その後、静かな夜道で義父の教えを反芻した。



「力とは、制御された破壊である」



 彼の精神は、柔らかさと冷徹さの両端に引き裂かれながらも、次第に一つに纏まっていった。















 アンドレが来訪した数日後、カフェの扉が再び開いた。

客を装った襲撃者が乱入してきた。

アンドレが付けられていたいたのだなとレイはすぐに理解した。

襲撃者の目に宿る殺意を、レイは一瞥で読み取る。

動きは静かでありながら、極めて正確。



 レイはカウンターの包丁を滑らかに手に取り、襲撃者の腕に突き刺す。

そして、相手が取り出したナイフを抜き取ると機械的にまで洗練された動きで喉を切り裂いた。

瞬時に制圧し、反撃の隙を与えない。

それは義父に教えられた戦闘の心得だ。

ヤマトは口を開け、セバスチャンは無言で頷く。

日常に潜む非日常――それは、彼の存在そのものだった。













 とある夕暮れ、カフェの奥の窓際で、レイは紗夜と笑い合う。

彼女は常連のお客さんで普通の女性だ。

そして、レイにとっては日常の安らぎそのものだった。

しかし、心の奥で、レイは葛藤する。

再び組織に戻れば、こんなひとときも平穏も失われる。

しかしこのまま放置すれば、世界が危険に晒される。



「ねえ、零さん……今日はずっとここにいるの?」



 紗夜の瞳は真っ直ぐで、暖かい光を宿していた。

彼は微かに唇を歪め、視線を落とす。

迷いと決意が胸の中で渦巻く。

 











 アンドレが再訪した。



「今夜、幹部の会合がある」



 レイは義父の遺品――古びた手紙と時計――に触れる。

冷たい金属と紙の手触りが、かつての教えと温もりを呼び起こす。











 夜の帳が街を覆い、レイは静かに会合場のビルに足を踏み入れた。

高層ビルの会議室、窓の外には街の灯りが瞬く。

内部は幹部たちの緊張感で満ち、静かな呼吸さえも音を立てるようだった。




 アンドレが先に立っており、視線を交わすだけで意思が通じる。



「レイ――いや、弟よ。ここから先は、お前の選択次第だ」



 短い言葉だが、その意味は重く、会議室全体の空気を支配する。




 部屋には数名の幹部が座していた。

彼らの視線は冷たく、警戒と疑念に満ちている。



「やはり来たか……」



 誰かが低く呟く声、そこには殺伐とした香りが漂う。

まるで暗殺者の刃が心の奥に忍び込むような感覚だ。

だが、そんな雰囲気には慣れている。



 レイは静かに歩を進め、全員の視線をひとつひとつ捉える。

心中では、過去に訓練された記憶と現在の状況が瞬時に交錯する。

脳内でこの者達全てを倒すのにどれだけの時間がかかるだろうかと考えてしまう。

しかし、今日はそのつもりはない。



「この場で全員を掌握するのは容易だ。しかし、それでは義父さんが望んだ世界の平和を守る道にはならない」



 襲撃者が背後に潜むことも、怪しい視線の動きも、すべて計算の内。

レイは冷静に立ち、義父の遺品に込められた教えを思い出す。



「力とは、制御された破壊である」



 視線を巡らせた瞬間、全員の表情が微かに変化する。

それは、レイの存在がただの元幹部ではないことを、無言のうちに告げていた。

この組織の頂点だった幹部達の義父。

その男が後継者と認めた程の実力と知能を持つ末の義弟。



 そして、彼は静かになった室内で口を開く。



「今夜、議題はただひとつ――組織の未来だ」



 幹部たちの間に、短い沈黙が訪れる。

それは緊張の束の間ではあるが、まるで時間が止まったかのように感じられた。



 レイは会議の中心で立ち、集まった猛者達が誰一人として動けない程の殺気を放ちながらも、顔には薄い笑みを浮かべその場の空気を掌握する。



 彼の、選択はすでに決まっている――

 


 組織を継ぎつつも、日常を守る道。



 会合は形式だけの議論に終始し、派閥間の微妙な力関係が表面化した。

しかし、レイの静かな決意により、衝突は避けられ、組織の秩序は維持される。



 組織に戻り、正式に長になる事を決めた会議の後、レイは深く息をつき、外の夜風に顔を向ける。

街は静かに、そして確実に夜の帳に包まれていた。



 彼の足は自然に自分のカフェへと向かう。

日常と世界の運命を両立させる選択――二つの道がひとつに繋がる瞬間だった。














 それからしばらくして、カフェで紗夜と談笑していると、ニュースが流れた。

アメリカで大規模なテロ発生の報道。

レイは少し視線を落とし、紗夜に「少し待ってて」と告げ、店を出た。




 そして、ポケットから電話を取り出し、静かに告げる。



「明日の夕暮れ時、紅茶の用意をしてくれ」




 窓の外、街は夕暮れに染まり、世界の裏では静かに茶会が始まろうとしていた――













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