神楽
お天気の良い、暖かい日はそでといっしょに街道あたりまで散策に出るのが日課になった。時々は茜もついてくる。田んぼはもう刈り取りが終わって、丸太で作った馬のような形のものに稲の束がかけてある。そうやって干しておくと来年まで腐らずにとっておける米になるのだそうだ。
ある日、帰り道に、西の方からかすかな笛の音が聞こえてくるのに気づいた。
「そで、あちらから笛の音がしない?」
「ああ、祭りの神楽の支度をしているのでございましょう。」
「まあ、神楽をするの?」
自分が吹くのとはちがう笛の音が聞こえるのがうれしくて、そでをせかして連れていってもらった。木立に囲まれた古い社の前で、二人の男と一人の子供が笛を、年寄りの男が古びた太鼓を叩いていた。子供が何人もその周りを遠巻きにしている。わたしたちが近づくと、演奏が止んだ。太鼓を叩いていた男がおじぎをして、他の者もそれにならった。
「かまわぬ。姫さまは神楽が聞きたいと仰せじゃ。続けてくだされや。」
そでが言った。演奏が始まった。なんだか心が浮き立つような曲だ。初めて聞く曲だけど、とても楽しい。子供たちが集まってくるのもわかる。腕を振り、手を叩きなどしてみなにこにこしている。曲は2回繰り返して終わった。
「祭りは、いつなのですか。」
そでに尋ねると、神無月の三日でございます、と笛を吹いていた男が答えた。あと少しだ。明日もここで合わせをする、という。明日も来てよいかと尋ねたらお心のままに、とのこと。うれしくなった。明日はわたしも笛を持って来よう。
翌日、笛を持って出かける、と言ったら、卯木が眉を曇らせた。地の者はおとなしいので、何も心配はございますまい、とそでが言ってくれたが、卯木は承知しない。結局、そでのほかに卯木と丑吉までついて行くことになった。先日の湯治の時の盗人が出るという話以来、卯木は少しピリピリしている。
境内に着くと、笛を持った子供しかきていなかった。そでに昨日の曲を聞かせてくれと言わせたが、一人ではうまくできないと言ってやってくれない。そうこうしているうちに男たちが集まってきて、社の横の蔵のような小屋から楽器を出してきて、てんでに鳴らし始めた。昨日より鉦を叩く者が一人多い。
わたしは少し下がった。こういうばらばらな音は苦手だ。それぞれが自分の苦手な所などを何度も稽古するのはわかってはいるが、いろんな音が入り交じっているのを聞いているとイライラしてくる。
やがて鉦と太鼓の者が合図をして、皆が合わせて演奏を始めた。丑吉が敷物を持ってきてくれたので、社の正面を避けたところに敷いてもらって私も笛を出して準備する。二回目が始まる前に、そでに参加をたのんでもらった。
「みなの衆、ここにおわすのは奏子姫さまじゃ。天下の笛の名人であらせられる。みなの衆の神楽に奏子姫さまもご一緒したいと仰せである。いかがか。」
集まった者たちは顔を見合わせた。鉦の男が口を開いた。
「祭りまで日がないのでな。悪いが今頃から初めての者を入れるわけにはいかねえ。明日からは舞も合わせるのでな。」
断られてしまった。
「姫さま。」
と卯木が即座に慰めに寄ってくる。が、はっとして逆に皆に向かって言い放った。
「初めてかどうか、皆、聞いてみるがよい。」
わたしは座った時から「笛の修練」の自分に切り替わっていたのだ。人目を避けるために笠を被ったままだけれど、そのまま今聞いた曲をそっくり演奏し始める。
最初に笛の担当が目を丸くした。あの子供は口をぽかんとあけている。太鼓の男が途中から指で腿を叩いて拍子をとり始めた。演奏が終わると遠巻きの子供たちは手を叩いて歓声をあげた。
「合っておるぞい、猪作。たいしたもんじゃ。」
「ほんにこりゃあ、名人じゃあ。」
「昨日と、今日と、二回聞いただけなのに、もう間違えずに吹けるとはのう。」
と、みな口々にわたしを褒めたたえた。普段ならこんなにたくさんの殿方の声が聞こえてくれば耳をふさぐところだが、今はあまり気にならない。笛の修練のスイッチが入っているせいもあるが、ここが外だから、というのも大きい。普通の話す声の大きさなら、空に吸い込まれて行ってしまうようで怖い音にならないのだ。
「こりゃ、わっしらが悪かった。お姫さま、わっしらのようなむさくるしい神楽の仲間でよろしけりゃ、どうぞいっしょにやって、いやさかさまじゃ、こちらこそご一緒にやらせて下さい。」
深々と鉦の男が頭を下げた。これでわたしも一緒に演奏ができる。みんなで合わせてみて、鉦の男がダメ出しをする。そしてまたもう一度。笛の子供はまだ習い始めてから日が浅いらしく、よくひっかかっては止まってしまう。そのたびにわたしの手元を見て、続きから合わせるのだ。
その日の分の練習が終わりになったとき、鉦の男がそでに尋ねてきた。
「ときに、お姫さまには祭りの日までごいっしょしていただけますでしょうかね。もちろんわっしらと地べたに座っていただくわけには参りませんから、これから神主に頼んでお席を造らせようと思いますんで、なにとぞ。」
という。太鼓の男も寄ってきて
「いや、本当に名人の手にかかると、こう、音が目の覚めた音になるんですなぁ。わし、神楽をやっていてふるえました。初めてです、こんなことは。」
「いつもの年のへたくそな神楽じゃない、本当に神様に喜んでもらえる神楽ができます。お姫さま、どうかお願いします。」
卯木とそでは顔を見合わせてから、わたしをうかがった。わたしはにこにこして言った。
「はい、もちろん、やらせていただきまする。」