湯治
「姫様、湯治に参りませんか、と千代さまよりお誘いがございました。」
と、卯木が言った。朝露がいっぱい降りるようになり、竹薮の下は毎朝ぬかるみになるほどだ。そのぬかるみ道を今朝新米が俵に詰めて届けられた。その米俵と一緒に文が来たのだという。
「湯治?」
ここから北へ向かって山道を一里あまり行ったところによい温泉があるのだそうだ。大きな池があり紅葉も美しいところだそうである。もう少し寒くなると百姓衆の仕事が少なくなり、湯治に行く者が増えるけれど、今の時期は湯治客用の家が空いているのだという。
温泉とか湯治とか言われても、言葉は聞いたことがあるがよくは知らない。聞いてみると泉のように地中から湧き出てくる水が元から温かいものを温泉というのだそうだ。そういう湯は薬になるのだそうで、それで湯浴みをすると、病気が治ったり身体の疲れが取れたり、痛みがなくなったりするのだそうな。ただ、一度湯浴みするだけではだめで、何日かその場所に泊まりこんで何回も浴びる必要があるという。つまり、湯治をするためにはこの家を離れて何日か別の場所で生活しなければならないのだ。
「それに山道でございますので、姫さまにも歩いていただかなければなりません。」
さて、困った。住み慣れた場所を離れるということだけでも、私には大変なことなのに、外の道を歩くなんて、ここに来るまでしたことはない。この前、とてもいい天気だったので、そでと笠をかぶって街道まで出てみたのが一番の遠出だ。稲刈り日和でみな田んぼに出払っているから、人に会う気遣いはございますまい、と言われて散策に出たのだ。あのときはゆるい下り坂で、行くときはすぐだと思った道が、帰りはちょっと時間がかかった。登り道というのはそういうものだそうだ。一里、というのはあの時歩いた分の十倍くらいは歩かなければならない、とそでに言われた。そんなに長い距離を歩けるだろうか。
「いざとなったら背負子というものを使って、丑吉に背負うてもらえばようございますよ。」
と、そではもう行く気まんまんだ。茜や八条もまんざらではないらしい。茜は子どものころ、家族で有馬の湯治場に行ったことがあるそうで、話を聞くと体の疲れがとれ、寿命が延びる心地がするものだそうだ。年を取って足腰の痛いような者にも効能があるという。
わたしは特にどこかが痛いとか調子が悪いということはないのだが、卯木を始め周りの皆はお父様と同じくらいの年齢である。労わってやらねばいけない年だ。よそで寝泊まりするというのはとても不安なのだが、生まれ育った御所からここへ来るときのように毎晩場所が変わるよりはまだ我慢できるかもしれない。わたし一人がちょっとつらい思いをすれば、卯木たちがよい思いができるなら、してあげたい。
「わたしたちと、千代さまのほかは、誰が行くの?」
「荷物を運ぶ男手が何人かついていくでしょうが、むこうでは家が二軒ございますので、男どもは別の家に入ってもらえばよいかと思います。」
そでは何回か行ったことがあるそうで、とてもくわしい。話を聞くほどに面白そうな気がしてきた。
「卯木、千代さまに文を書きます。ぜひご一緒させてくださいませと。」
出立の日がきた。秋風がさわやかな良い日和である。荷物は前の日から支度して丑吉に持ってもらうことにした。もしも途中でわたしが疲れて歩けなくなってしまったら、丑吉の分の荷物は千代さまが二人連れてくるという小者に持ってもらうという算段である。
お昼前に千代さまの一行が到着した。丑吉と同じように背負子で荷物を背負った若い男が一人と、食料を積んだ馬を引いた年嵩の男が一人、それから千代さまと千代さま付きの小女が一人という四人である。こちらはわたしと卯木、八条、茜とそで、それから丑吉の六人だ。あらかじめ用意しておいた簡単な中食を皆で食べてから出発ということになった。
一里の山道は、登り下りがあるが、普通の人は一刻(現在の二時間)あれば十分着くのだという。千代さまについてきた男たちは丑吉が運ぶつもりだった荷物も馬に積んでしまい、先に出発した。向こうで荷ほどきをして暮らせるように支度するそうだ。見知らぬ男がそばに来ぬようにという、千代さまの配慮である。丑吉は空の背負子にそでや茜の持ってきた申し訳程度の荷物をのせて、先頭を歩くことになった。どうしてもわたしが歩けなくなったら、丑吉に背負ってもらうことになっているが、内心それはいやなので、なんとしても歩いて行こうと決心していた。
皆がわたしの歩く速さに合わせてゆっくり歩く。道は細くて周りは木々に囲まれているけれど、一本道なので丑吉の背中さえ見失わなければどうということはない。わたしが疲れるとみなで一休みする、という繰り返しである。景色の良い所では竹筒に入れてきた水を飲んだり、干し栗を食べたりしながらゆっくり時間を過ごす。ゆるゆるとではあるが、歩ききることができた。
湯治場はかまどや鍋、食器類はあるが他は何もない家だった。近くに世話をする人が住んでいて、人数分の金を渡すと薪をくれるしくみになっている。あとは持ち込んだ食料を自分たちで煮炊きして食べるのである。荷物は先に運び込まれており、二人の男たちは外で焚火して石を焼いていた。ここの温泉は効能はたいへんよいのだが、そのまま湯浴みをするにはぬるいので、夏以外は焚火で焼いた石を沈めて温めなければならぬのだという。
湯浴みをする場所は家の裏手にあって、簡単な屋根と囲いがついている。ためてある温泉水は井戸から汲んだばかりの水よりは温かい、という程度だった。ここへ焼いた石を入れて、湯があたたまったら湯浴みをするのだそうだ。
面白がってあちこち見て回り、歩き疲れているのも忘れた。そでと丑吉と小女は着くそうそう夕餉の準備を始めた。
「先に支度をしておかないと、湯浴みをしてからでは疲れて動けなくなったりすることがありますから。」
とそでは言う。疲れるほど湯浴みをするものだろうか。