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竹取

 中秋の名月の日は、朝から雨だった。がっかりだけれど、まあすすきも団子もないのだから、初めからやらないものだと思えばなんてことはない、と茜やら八条やらは言っていたが、わたしはやっぱり気持ちが沈んだ。別にここは御所ではないのだし、決まった年中行事をやらねばならぬというわけではないとどんなに自分に言い聞かせても、だめだった。

 毎年この日は夕刻から管弦の催しがあって、わたし自身が笛を演奏するようになってからは、毎年別室から参加させてもらっていた。それはそれは楽しみな、わたしにとって大切な日だったのだ。ここにはわたしのほかに楽器の演奏をする人は誰もいないのだから、月が出ようが雨が降ろうが管弦の会そのものが成り立たないことなどわかりきっていた。それでも月さえ出れば一人きりでも卯木たちに聞いてもらって演奏をしようとなんとなく思っていたのである。すべてが水の泡のように消えてしまって、わたしは行き場のないくやしさとも虚しさとも言えない気持ちを抱えて、ひとり寝間に閉じこもった。涙があふれてきてどうしようもない。こんなところに来なければよかった、と初めて後悔した。御所にいればまた例年通り皆様と演奏ができたのにと思うと、たまらなくなってしまう。卯木たちは、こういう時には下手にわたしを慰めるより、そっとしておいた方がよいとわかっているので、声もかけずにいてくれる。

 中食ちゅうじきもとらずにめそめそと引きこもって一日が過ぎた。雨が上がった翌日、午後からお客様が来た。

「光時さまと、千代さまがいっしょにおいででございます。」

「お二人で、ですか。」

 月見の前に千代さまが米の団子のお話をしに来てくださって以来、千代さまには敬愛の念こそあれ、厭う気持ちは微塵もなくなっていた。ああいう知識がちゃんとあるからこそ光時さまの奥様としてやっていけるのだろう。ご寵愛云々の以前の問題として、わたしのようなものは侍の奥方として人に認められるような者には決してなれないと、わかったのである。

 どうやってお二人一度にお会いすればよいものかと悩んだが、例によって屏風を立て、光時さまからは隠れるように、千代さまからはわたしが見えるようにすわっていただくことにした。

 お座りくださってから、千代さまはわたしが屏風の蔭になって、光時さまと隔てられていることに気づき、びっくりしたようだった。けれど光時さまが平然としておいでだったので、感じるところがあったのだろう。

「殿、いつも姫様とはこうやって屏風越しなのですか?」

光時さまはうなずくか何かで、千代さまの問いかけにお答えになったようだ。千代さまは

「まあ! それでは、その…」

と何か言いかけられたが、心底驚かれた様子で口を閉じられた。

「今日はいかなるご用向きでありましょうか。」

 わたしの代わりに卯木が質問してくれた。卯木はこういう時にわたしがうまく話すことができないことを知っている。卯木がいなければいつも光時さまが一人でおいでになったときのように、わたしは固まったままだろう。

「ええっと、あの…、殿が、姫様の笛をきかせていただきたいと、いえ、ご指南いただきたいとおっしゃるの。」

「…!?」

「ご指南と、おおせになりますか。」

 わたしと卯木が見交わして驚く。

「姫様もいつもおひとりで、その、修練? なさっているのは、張り合いがないだろうと、殿はおっしゃるのだけど。」

「ご無礼を承知でお伺い申し上げます。その、殿様のご愛用の笛は篠笛しのぶえでございましょう。」

と卯木が尋ねる。光時さまが手渡した笛が千代さまから卯木へ、そしてわたしに渡される。軽い。使い込まれて磨かれているけれど、これはわたしが使っている物とは違う。

 わたしは首を振って、笛を卯木に返した。光時さまの手に篠笛が戻った後、わたしは手ぶりで自分の笛を卯木に取って来てもらう。卯木が錦の袋ごと持ってきた龍笛りゅうてきを、わたしは目線で光時さまにお渡しするよう伝える。

「これは…!」

光時さまが思わす声に出された。反射的にギクッとするが我慢できた。龍笛は音を大きく響かせるためにおもりが入っている。竹に穴をあけただけの篠笛とは作りがちがうのだ。

「わたしも姫様がお師匠の菊さまよりご指南を頂く際に同席させていただいたので、少しは笛のことがわかるのでございますが、姫様がお使いあそばす笛は龍笛と申しまして、篠笛とは作りが違う物なのでございます。」

卯木の話を聞いていた光時さまが、なにやら千代さまに耳打ちされる。ふんふんと聞いていた千代さまが、質問された。

「そうすると、吹き方や音の具合も篠笛とは違うのでございましょうか。同じ曲を吹いても、同じには聞こえぬのか知りたいそうです。」

 千代さまがついてきた理由が分かった。ご自分が話したのではわたしがうまく返答できないことが分かった光時さまは、千代さまに代わりに話をしてもらおうとしているのだ。まだるっこしいが、筆談よりは時間がかからない。わたしも千代さまを相手にするなら、普段と全く同じとまではいかないが、なんとか会話コミュニケーションができる。

 わたしは、卯木にそばにきてもらって、光時さまに何か短い節を吹いていただくよう、お願いしてもらった。光時さまは承知してくださって、わたしの知らないメロディーを吹いてくださった。初めて聞くメロディーが、わたしの心のスイッチを切り替えた。


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