月見
八月が来た。十五夜を迎える三日ぐらい前に月見の支度をそでに頼んだけれど、穂の出たススキがまだない、と言われてしまった。御所では毎年当たり前にススキはあったものだし、田舎の方が草は多いからあるものだと思っていたわたしはびっくりしてしまった。
物知りの八条がいうには、年によって暦が変わるので、中秋の名月が早いときと遅いときでは秋の深まり具合が違うのだという。今年は夏が暑かったのと中秋が早く来たのとで、自然のままのススキにはまだ穂が出ていなかったらしい。じゃあ、御所での月見はどうしていたのかと聞いてみたら、市中の花売りに頼んでおいて、ススキに細工を施し、早く穂が出るようにしていたものを誂えていたのだという。わたしが今まで当たり前だと信じていたものは、みんなが御所のため、お父様や兄上様のために心を砕いて作っていたものだったのだ。なんだか悲しいような恥ずかしいような気持ちになる。
ススキがないならせめてお団子だけでも、と言ったら、そちらの用意はしてございます、となんだか不格好なものを山に盛ったものを出された。
「そで、これは芋であろう。米の粉の団子は?」
と茜が笑いながら言うと、そでは真剣な顔で
「申し訳ございません。この大滝の荘では米が足らないのです。姫様の毎日のお食事分をとっておくためには、米の粉の団子など作れないのでございます。」
と答えた。唖然とした。米が足らないってどういうことなんだろう。卯木や茜も顔を見合わせてぽかんとしている。
「都で何一つご不自由なくお過ごしでした皆様方にはお分かりにならないことかもしれませんが、狭いこの大滝の田で取れる米の量はたかが知れております。都へ納める上納金に替えた残りの米で1年食いつながねばなりません。今年の新米が取れて、食べられるようになるまではまだ一月以上かかります。それまでは米を節約せねばなりません。」
そでが申し訳なさそうに言う言葉の一つ一つがよくわからない。何回聞き直しても、そでとわたしたちの言葉の間に見えない壁があるみたいで、お互いに納得できないのだ。
次の日の昼前、お客様が来た。
「ご紹介申し上げます、姫様。亀井光時さまが北の方、千代どのでございます。」
「いやだ、そで殿。北の方なんて大げさなものじゃないですよ。」
下仕えの新入りが来たのだろうくらいに思っていたわたしはあわてた。この方が光時さまの奥様!? 染めの小袖に打掛を腰巻に着て、髪は簡単に束ねただけ。このあたりで見る下々の女のように笠をかぶって、素足に草履でこの家に歩いてきたのである。武家の奥様って、こんなものなの?
奥の部屋を取り急ぎ片付けて、座ってもらい、対面した。化粧もしていないけれど、仕方がない。
「お初にお目にかかります。千代と申します。」
きれいな所作であいさつされた。卯木が
「こちらが奏子姫であられます。私は乳母の卯木と申しまする。お見知りおきを願います。」
と同じように頭を下げる。
「奏子でございまする。」
御所で習った通りにあいさつする。家が狭いから、お客様が目と鼻の先にいらっしゃるけど、他にやり方を知らない。
「さっそくですみません。そでが、姫様がわたしどもの世の中の仕組みをよくご存じないようで、誰か自分の代わりにご進講してほしいといってきたものですから、私なぞで務まるかどうかと思いますが、お話に参りました。」
とにこやかにおっしゃった。このあいだのそでとの、よくわからなかった米の粉の団子ができない理由についてのことらしい。
「さっそくですが、姫様。米はどのようにできるのかご存じですか。」
それは知っていた。春に田に稲の苗を植えて、秋に実ったものを刈り取って干したものを、臼でついて、殻を取って作るのだ。御所の敷地内に神事用の田があって、お父様がそうした仕事をなさるのを見ていたのだ。
「結構です。では姫様の日々召し上がっている米について、お話申し上げます。」
米は田に苗を植えれば勝手にできるものだと思っていたわたしは、無事に実るまで八十八の手間がかかる、という話に目を見張った。そういう仕事を百姓と呼ばれる下々の者がやっているからこそ、おいしい米ができるのだという。
「ただし、どれほど百姓衆がご苦労なさっても、その土地に滋養分が少なければ、悲しいかな米の実りは少ないのです。ここ、大滝の荘の田も、滋養分の少ない田なのです。ですから…」
「わたしどもの食べる分ができないほど、ここいらの田は滋養分がないとおっしゃられるのか。」
茜が口をはさんだ。茜も説明されていることがわかったのだろう。
「いいえ、さすがにそれほどでは。けれど都への上納金という物がございます。やせた大滝の田で作ったやせた米は高値が付きませぬ。」
「上納金というのは、侍の統領、幕府が課している物でございましょう。御所もそこから毎年の費えをいただいておりました。」
卯木も言った。なんてこと。わたしは今まで諸国の百姓衆のご苦労の賜物を、風やお日様のように只であるものだと思って食べていたのだ。生活の苦労。生活が苦しい。今まで聞いてもなんだかよくわからなかったことが、少しわかった気がした。米は勝手に生まれてくるものではない。おまわりにする菜も丹精して作るものなのだ。それを何もしないわたしはあるのが当たり前に思って平気に食べていたのだ。
「大滝の荘の日々の暮らしの分は、百姓衆も、それを守っている代わりに年貢を貰うわれわれも、上納金を払った残りの米と、身内の者が作った畑の菜で賄っております。申し訳ありませぬが月見の宴に米の粉の団子をお供えできないのはこういう理由です。」
「よう、わかりました。お話、有難う承りました。」
わたしは、心から千代さまにお礼を言った。光時さまはわたしたちが都にいるときと変わらない暮らしができるよう、精一杯計らってくださっていたのだ。それは亀井の皆様にとって、どんなにか贅沢でわがままなことだっただろう。恥ずかしさに消え入りたいような気持ちだった。
「まあ、姫様、泣かないでくださいませ。」
千代さまがあわてて言った。卯木やこの家の者たちは、わたしがうれしくも悲しくも心が動くとすぐ涙が出てくるのに慣れているが、初めてお会いする千代さまは、自分が何か私の気に障ることを言ったのかとおろおろしている。
「けれど、このご辛抱もあと二月ほどでございます。と言いますのも、姫様がこちらへ来ていただくときに拝領した簑島は、大滝の荘よりも実り豊かな地でございます。そちらの米を二月経ったら届けますので、あとしばしご辛抱してくださいまし。」
「わたくしがこちらへ参ったことで、皆さまも助かるということでしょうか。」
「その通りです、姫様。このような鄙びたところへお迎えすることは恐れ多いことでございましたが、姫様のおかげで亀井の家はとても助かりました。」
わたしは目を見張った。今まで何の取柄もなく、人の手を借りなければ何一つできなかったわたしにも、身分という取柄があったということだ。持参金という話はここへ来る前にちらりと聞いた気がしたが、それが侍の家にとって何より大切な領土という形で光時さまの家に渡ったということなのだ。わたしはうれしくなった。




