普請
二百二十日の野分も今年は大雨だけに終わり、まあまあの豊年となりそうだ。大滝も簑島も大きな川は崖の下を流れているので、ちっと位の大雨では人の住むところはびくともしない。水を落とした田んぼも、出始めた稲穂がびしょぬれになったものの、虫も病気も出なかった。やれやれだ。別当の見習いを始めたことで、こんなに米の出来が気になるようになるとは思わなかった。
親父殿は拙の持って帰った草紙に目を通すと、大殿と大殿の側近の方々と、二日二晩かけて評定をした。結果、秀時様の新築中の屋敷に蔵を設け、簑島の年貢の三割ほどはそこに留め置くこと、幕府への上納金は簑島の分も含めて大奥様のご実家の伝手で為替にしてもらうことが決まった。要は貧乏だった亀井家が急に羽振りがよくなったと知られないようにしたいのだった。大枚の上納金を抱えて上洛するなど、盗賊に狙ってくださいと言っているようなものだ。
これはご本家への遠慮も入っている。今年の亀井家の実入りは、ご本家を越えるほどなのだ。藤垣殿はご本家につつかれた時の用心に、秀時様の新しい屋敷には当初より少し金子をかけたものにしたらいかがかと提案された。初孫かわいさに大殿や大奥様が散財したように噂をまいておけば、ご本家もそんなものじゃと笑って見過ごしてくださる、というのだ。こうして表向きは今まで通り質素倹約をしながらも、少しは余裕のできた大滝の荘なのだった。
さて、金策ができたことで、いよいよ奏子姫の仮住まいを大滝に作ることと相なった。場所は長瀬川が山の間を曲がりくねって大滝の荘へ出てくるあたり、在の者が山吹山と呼んでいるところだ。光時さまが遠駆けをしてはあちらこちらを見て回り、あまり不便ではなく、それでいて人通りの少なく竹薮のあるところを探して決められたところだった。あんなはずれでよいのかと大殿様は驚かれたが、人声の少ない所のほうが笛の修練にもよいのではないか、という光時さまに押し切られた格好になった。
実は光時さまは、山吹山を仮住まいでなく奏子姫の終生のお住まいにしたいとひそかに目論んでいらっしゃるのだった。山吹山なら今の西の院よりも格段に亀井の館に近い。川をはさんでいるが街道沿いではある。万が一幕府や畠山様に現在の状況を知られたら、奏子姫を蔑ろにしていると言われても仕方ないが、その点大滝の荘内の山吹山なら十分申し開きの立つ位置だと考えられたのだった。
さっそく木材集めが始まり、それが拙の別当見習いとしての初仕事になった。西の院と大差ない大きさの建物を作るのに、柱が何本要って板材が何枚要るのか、それをまかなうのにどのくらいの木が何本いるのか、大工の棟梁と打ち合わせ、予算を立てる。柱にするヒノキが、薪にするその辺の雑木なんぞは相手にならんほど値が張ることを、拙は初めて知った。
この辺りは土器作りどもが喜ぶ粘土が多い土地なので、米はむろん山の木もよいものが育たないそうだ。一番手っ取り早く良い木材を手に入れるには、ご本家のある東の平野を越えた向こうの、御岳近くの山だそうだ。しかし拙ですらそれはまずいんじゃないかと思ったくらいだから、当然拙の親父殿からは
「たわけか、おまえら。ご本家に知られたらなんと言い訳するつもりじゃ。多少の金はかかってよい。簑島の港から取り寄せろ。」
と叱られた。なるほど、簑島の川湊はもともと木曽の山から切り出した木をいかだに組んで川下の尾張の国へ売りに出したのが起こり、今でも木材は大きな商品部門だ。こっちからなら牛方・馬方の口さえ押えておけば、余計な噂になることなく木材を手に入れられるだろう。
木材のあらましの量が決まったところで、簑島にいる兄に値段の調査をしてもらった。なんとか予算内に抑えられそうな目途が立って、拙は光時さまへ報告に行った。
光時さまは、拙のへたくそな数字の並ぶ勘定書きを、穴のあくほどじっくり見ると、
「やはり金のかかるものだな。木材だけでこんなにするものか。」
とつぶやかれた。
「でも、家を建てるのは一回きりです。毎年やるわけじゃないですから。」
と拙が言うと、光時さまは笑った。
「まあ、そうだな。姫のためにも満足できるものを建てて差し上げたい。弥太、頼むぞ。」
「ははっ。」
光時さまに頼むなんて言われたのは初めてのことだった。拙はうれしくなって舞い上がりそうだった。