消息文
施餓鬼会が無事終わって、昨日と同じ暑さの中にもなんだか少しずつ秋の気分が混じりだした気がする。
大殿の館ではおまき様が床上げなさったそうで、これで母子ともにひとまずは安泰ということになった。生まれた赤子は秀時さまの幼名をそっくりもらって、長松さまというのだそうだ。拙も縁側からのぞかせてもらったが、赤子はみな同じに見える。それでも一応皆にならって「賢げ」だの「末は大将」だのとお祝いを言わせてもらった。死んだ拙の婆さまによると、赤子を守る神様は目がよく見えないから、周りの祝いの言葉を真に受けてそういう子に育つようにしてくれるらしい。まじないのようなものなのだ。
秀時さまはにやけ顔を引き締めて、やたらに張り切っておられる。三日に一度は簑島の荘まで建てかけの屋敷の様子を見に行かれるくらいだ。見に行ったところで屋敷が早く建つわけでもないと、拙の親父殿は苦笑いであったが、きっとうれしくてたまらないのだろうと思う。何人かの御家来衆や小者などが交代で付いていくことになっているのだが、拙にもとうとうそれが回ってきた。拙の仕事は名目上は簑島の荘の別当のところへ、昨年の検見帳の写しを取りに行くことである。これを機に親父殿は拙にも読み書きを教えて別当の仕事を仕込もうと思っているらしい。
別当の仕事は侍とは違う。勘定方といって侍がその任に着くこともあるらしいが、打ち物取ってやっとうをするのとは全くちがう能力なので、向かないお人にはできないのだ。といって拙が向いているかと言われればよくわからない。
拙が十四にもなって光時さまの小者となっているのは、拙が次男で親父殿の仕事は兄が継ぐものだと思っていたからだ。できることならこのまま光時さまの下で侍の端くれに加えていただけないかと思っていたのだが、簑島という大きな領地を手に入れたことで、親父殿が言うには別当の仕事が俄然手不足になってきたのだという。親父殿は簑島の別当のところへ兄をやって仕事を覚えさせ、ゆくゆくは兄に簑島を任せ、大滝の別当は拙に譲ろうと目論んだのだ。
子供のころから年も近く気性の合う光時さまにくっついてはいたものの、腕っぷしは全然ダメだった拙には、いい潮時なのかもしれなかった。
久しぶりに入る簑島の荘は、広がる田んぼが穂をつけ始めており、大滝の何倍あるかという実りを拙に見せつけているかの如くだった。驚いたことに簑島の荘の別当のところには兄がいた。聞けばここの別当の娘を貰う話がすすんでいて、少し前から住み込みで見習いをさせてもらっているという。
兄は弥平といって、年は十七。他の子供らがころころ駆け回っている年頃から、親父殿に首根っこをつかまれて読み書きと勘定を仕込まれていた。だから拙は兄と遊んだことが少なくて今でも少し他人行儀だ。別当の仕事部屋から出てきた兄は、薄い草紙を拙に渡して、
「お前も今から別当のいろはを習うんじゃ大変だろうが、困ったことがあったら俺んとこまで聞きに来い。親父は自分は大滝のことなら何でもわかるからって、教え方が雑だったからなあ。」
と笑った。兄がいうにはここの別当には娘しかなく、後継ぎができたことを喜んでいるらしい。形の上では婿入りなんだが、兄は実際ここの領主になった亀井の殿様の配下だから、名実ともにというか、双方の利が一致している良い縁組らしい。
もともと簑島は畠山様の御家来のそのまた御家来くらいの方が戦の褒賞としてもらった土地だったそうだ。しかし、もともと西国生まれのその領主さまは、簑島の年貢を都で受け取るだけで、一度も足を運んだことはなかったそうな。それが今度は手近なところに領主さまが来てくださるとあって、簑島の在の者たちはいざというとき守ってくださる方ができて大変喜んでいるのだという。川湊にやってくる商人たちも破落戸どもに用心棒代をせしめられるよりは、と亀井家に冥加金を払って庇護してもらう方向になったらしい。あっちもこっちもウィンウィンな話で、秀時さまでなくともにやけそうである。
「こっちは大滝の何倍くらい米がとれるんだろう。」
何気なくもらした拙の一言に兄は
「先に教えといてやるよ。いいか、大滝の十倍は優にある。」
と耳打ちした。
「マジで!?」
「大滝のような、せせこましい山間の田とはちがうんだ。まず地味がいい。同じ広さの田んぼ同士を比べても、取れる米の量がちがう。加えてこの平地の広さ、水の利。来年から亀井の家はご本家よりずっと豊かになるぞ。」
あっけにとられた。ほんの何日かここの別当のところに出入りしただけで、そこまでわかるものなのか。拙が今まで漠然と知っていた別当の仕事というものを、ガンと打ち砕かれた気がした。
「いいとこに婿入りしたね。」
にやっとして言うと、
「じゃ、大滝と親父をたのんだぞ。」
と返された。そうか、よく考えると大滝と親父の跡取りは拙だということか。今までのんきにしていた己に急に重荷が載せられたような気がしてきた。かといって拾い読みする程度しか字の読めない拙は、渡された草紙に書いてあることがさっぱりわからない。これを見て親父殿は大滝の十倍ということがわかるのかな。拙がこの草紙の中味をわかるようになるまで、どのくらい読み書き勘定の修行をしなくてはならないんだろう。帰り道は一緒に行った秀時さまの御家来に心配されるほど、拙は塩垂れていた。