明星
翌朝は、少し寝すごした。月明かりだけでは心もとなかったので、裏庭に松明を焚かせて縁側に出て笛を吹いたので、夜風に当たりすぎたのがいけなかったのかもしれない。体も心も少しぼんやりしていた。
朝餉が終わって間もなく、光時さまがおいでになった。昨晩の演奏のお礼だという。いつものように簾越しでお迎えするが、なぜか簾は途中で巻いたままくくられており、下が一尺ばかり空いている状態になっていた。普段の私なら理由を聞きたてるところだが、頭がぼうっとしていたので、気づいたのは光時さまが座られてからだった。今更茜やそでを呼んで簾を下ろしてもらうこともできない。
「昨晩の笛の音は、わたしどもみな心に沁みました。さすがは名人の手だとわたしの両親もとても喜んでくれて、わたしも自分のことのようにうれしく思いました。…」
あらかじめ書いて持ってきてくださったのだろう。厚ぼったくてガサガサした紙に、丁寧に書かれている。よかった。お耳に届いたのだ。にわか修練だが,やった甲斐があったというものだ。
「うれしゅう思います。」
口が勝手に返事をしている。これでは少しもわたしの心に思ったことが伝わってないと思うのに、言いたいことは少しもまとまらない。物語の類は暗記するほど読んだのに、こういう時の殿方と姫のやり取りなどということはどこにも書いていなかった。どんなに恥ずかしくってもお返事をしないのは良くないと書いてあるくせに。もっとも「横雲の空」などと言ったところで、わかっていただけるかどうか。いや、きっと意味がわからず困るか、あきれてしまわれるだろう。お父様でさえ「わたしは姫ほど物語を知らぬから、気の利いた返事というものはできんよ。」と降参なさったくらいだもの。じゃあ、じゃあ、どう言えばいいの?
取り散らした心の中を堂々巡りしていると、今書いたばかりであろう紙が差し出された。ふと見回すが、簾の中には誰もいない。仕方なく少し前へと膝行って紙に手を伸ばす。と、いきなり簾の向こうから手が伸びて、わたしの指先が捕まえられてしまった。
何? 何? どういうこと? この手は誰?
息をのんだまま、どのくらい固まっていただろうか。
簾の向こうにいるのは光時さまで、向こう側にも光時さましかいなくて、わたしの指先を捕まえているのも光時さまなのだと気づくのに、突然のことでアワアワしているわたしはたっぷり時間がかかった。だいたいこの家の女たちならば、手ではなく袖口が見えるものなのだ。そこに気がつくころにはもうわたしは倒れそうになって、かろうじて床に左手をついて姿勢を支えるほどになっていた。わたしの手を捕まえているのは、日焼けした大きい強い手。その先には荒い織り目の褪せた藍色の袖がのぞいている。つまり、この簾のすぐ向こう側に光時さまがいて、わたしの手を握っていらっしゃる!!!
何が起こっているのかわかったところで、どうすることもできなかった。しばらくして、ほう、と息をつく気配がして、手が離された。近い近い。簾に遮られていなければ、息が髪にかかるほどだ。アワアワして恥ずかしいのとドキドキして顔が熱いのと殿方が目の前にいるという緊急非常事態に、発作を起こして叫び出しそうだった。一方で、頭の中でそれだけはしちゃダメェーとすさまじいブレーキがかけられる。結局私は手を引っ込めることさえできないまま、固まり続けることになった。
「姫、また参ります。」
ささやくような声とともに、簾の向こうの方は立ち去って行った。
わたしはアワアワとドキドキとダメェーの混ざったまま、紙に両手をついて固まっていた。おかげで久しぶりに卯木と八条のお小言をもらうほど、両手と袖口を墨で真っ黒にし、光時さまの書いてくださった二枚めの文はあらかたわたしの手で塗りつぶされて読めなくしてしまうという大失態になったのだった。
*「横雲の空」について
「春の夜の 夢の浮き橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空」
新古今和歌集より 藤原定家 作
夢のような恋の一夜が明けて、あなたは行ってしまうのですね、といった感じの意味。源氏物語をはじめいろいろな和歌のイメージがコラージュされた(本歌取り、という技法です)名作。もちろん田舎武士の光時くんにはこんな和歌の素養もなく、かりに奏子姫が言ったとしても当然のことながら奏子姫の恋心(?!)など理解できなかったことと思われます。