第五章:目的と手段
語り終えたヌノキは俯いている。その肩が微かに震えているのが見えた。やがて、ヌノキはゆっくりと顔を上げた。その瞳は、まだ過去の影を宿していたが、同時に、奇妙な輝きを帯びていた。
「…話は終わり。これで満足?」
ヌノキは静かに言う。そして、メニィとレークスに視線を向けた。
メニィは、ヌノキが語り終えるのを静かに待っていた。彼女の顔に、感情はほとんど出ていない。しかし、その雰囲気からは、ヌノキの過去と、その力、そして彼女の内なる存在に対する関心が感じられた。
レークスは、ヌノキの物語に聞き入っていた。人間たちの残酷さ。制御できない力。それは、レークス自身の過去とは異なる、痛ましい悲劇だった。この場所に亡霊がいない理由も、その物語を通して理解した。魂すら残さない、徹底した破壊。
ヌノキは、メニィの顔を見つめる。
「メニィ…だったわね。さっき言ってたけど、この世界はとても酷い状態…だったかしら。」
ヌノキは、メニィの言葉を繰り返す。
「まあね。まともに仕事もできないくらい、滅茶苦茶だよ。」
笑顔で返答したメニィの口調は、ある種の諦めを含んでいる。
ヌノキは、自身の瓦礫の故郷を見回した。そして、語ったばかりの、この場所が破壊されるまでの過程を思い返す。飢え、恐怖、裏切り、そして、制御できない力による終焉。
「私の故郷も…酷い場所になっていったわ。皆苦しんで、私を殺そうとした。」
「…全て壊す前は、亡霊もいたの。今思えば…そういうことだったのね…。」
過去の光景を思い返したヌノキは、ふと、何か結論を見出したような顔をして、レークス達を見つめた。
「…見ていて…不快だと思わない?」
ヌノキの言葉に、メニィが反応する。不快。それは、メニィも心の奥底で思っていたのかもしれない。
「不快か…確かに、言われてみるとそうかもね…じゃあアンタはどうしたいと思う?この世界。」
メニィの問いかけに、ヌノキは微笑みながら答えた。
「全部…“終わらせて”しまえば…良いんじゃないかしら。」
それを聞いたメニィの目は、大きく開いた。
「…面白い事言うね、アンタ。」
メニィもまた、微笑んだ。
レークスは、ヌノキの提案を聞いて、息を呑んだ。この町の惨状を引き起こした本人であるヌノキが、この世界を“終わらせる”といったのだ。それはこの町にした事を、他の場所でも行うということが、レークスにも安易に想像できた。
しかしメニィの顔に、複雑な感情が浮かぶ。そして、考えるような仕草を見せた。
「でも、アンタのやり方は…荒っぽいよねぇ…。」
メニィは、ヌノキの手段について、懸念を示す。死神の掟と、自身の手段へのこだわりからくる悩みだろう。ヌノキは、メニィの言葉を聞いて、首を傾げる。
「荒っぽい…?そうかしら…。」
ヌノキは、理解できないといった顔をした。
「でも…綺麗だと、思ったの…今のこの酷い町が…とても。貴方達もそう思うでしょう?だって、ずっと亡霊を片付けて、綺麗にしてきたのだから。」
メニィは、ヌノキの言葉を聞き、フッと鼻で笑った。
「綺麗、ねぇ…まあ、見方によっちゃ、そうかもなぁ。」
メニィは同意した。重要なのは、もっと別の事だったからだ。
「よし、決めた!アンタもアタイについて来い!」
メニィは地面から立ち上がりながら、そう言った。
それを聞いて、ヌノキの顔に、僅かな喜びの色が浮かんだ。
「あら、私を連れて行ってくれるの?嬉しいわ。」
ヌノキも立ち上がり、自身の服についた瓦礫の屑を払う。
「ただし!」
メニィは続ける。その目に宿る光は、契約を結ぶ死神のものだ。
「アンタの力は危険だ。必要以上に力を振りかざすなよ。目的は…“この世界を終わらせる”事だけど、元々もう終わってるようなもんだ…アタイがやるのは、魂の回収だけ。アンタはその手伝いだ。」
ヌノキは、メニィの言葉を聞き、頷く。手段の違いはあれど、世界を終わらせるという目的で一致した。
「分かったわ。」
ヌノキは答える。その声には、目的を見出した、微かな高揚感が含まれている。
レークスは、二人の間で交わされた会話を全て聞いていた。世界の終焉を、ヌノキが提案し、メニィがそれを受け入れた。レークスの転生への願いが、現実味を帯び始めた瞬間。しかし、それは、ヌノキの恐ろしい力と、メニィのどこか割り切った同意の上に成り立つ。
旅立ちの前に、メニィはヌノキに問いかけた。
「ねぇ、ヌノキ。」
メニィの瞳は鋭く、冷たい。
「何かしら?やっぱり私の力は“荒っぽい”から、何か不都合があるのね?」
ヌノキは怯えることもなく、先程のメニィの言葉を繰り返し、皮肉っぽく答える。
「別にぃ?ただ、アンタの力は、厳密にはアンタの力じゃなくて、中にいる存在の力を借りてるって事でしょ?そろそろ名乗ってもらいたいんだけど。ちょっとくらい出てこられないの?」
ヌノキはメニィの面倒くさそうな態度を見ても動じずに、堂々と答えた。
「そういえば言い忘れていたわ。神憑きは、神封じとも言われていたの。一度私の中に入ったなら、そう簡単に出てくることはないわ…そうね、名前くらいなら、私が代わりに教えてあげる。」
そう言うと、目を閉じてゆっくり、胸に手を当てた。
「…ボロカよ。静かな場所が好きな、恥ずかしがり屋さんなの。」
詳細については、それ以上語らなかった。
瓦礫の町の広場に、三つの影が立つ。
神憑きの少女ヌノキ。死神の少女メニィ。亡霊の少女レークス。
それぞれの目的と思惑を胸に、彼女たちは顔を見合わせる。
ヌノキは、自身の過去、内なるボロカの存在、そして世界の終焉を語った後、どこか憑き物が落ちたような、しかし悲しみの影も宿した表情をしていた。メニィは、彼女の言葉と、ヌノキの中に潜むボロカという存在に、何か確信を得て、その特異性に冷たい興味を燃やしている。レークスは、語られた物語と、ヌノキとメニィの間に交わされた言葉を静かに受け止め、自身の願いへの道筋を見定めていた。
「…では」
ヌノキが、静かに口を開いた。
「終わらせましょう。この世界を。」
ヌノキは、自身の故郷に最後の一瞥をくれることもなく、歩き始める。メニィは、何も言わず、ただヌノキの横に並び立つ。彼女もまた、迷いなく前を向いている。
レークスは、二人の背中を見た。そして、自分が立つ場所、ヌノキの故郷だった町の跡を見回す。そこにあるのは、相変わらず“無”だけだ。他の廃村のような、亡霊の気配すらない。全てが消滅した場所。そこに留まる理由など、どこにもない。彼女の望む“転生”は、この場所には存在しない。いや、どこにも存在しないのだろう。
レークスは漂うように、二人の後を追って歩き出した。