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第四章:深海の底

ヌノキは再び瓦礫に腰を下ろす。それを見て、メニィはヌノキの向かい側の地面に座る。

レークスは、二人の間から少し離れた場所に、音もなく静止した。そして、静かに耳を澄ませた。


ヌノキは、遠い目をして語り始めた。その声は、先ほどのメニィとの会話で見せた僅かな明るさとは違い、深く沈んだ、それでいてどこか乾いた響きを持っていた。


「この町は…もう何も残ってないけど、確かに私の故郷だったわ。」

ヌノキは、崩れ落ちた建物の残骸を見つめながら言う。この町には、過去の住民たちの“気配”が一切ないことを、レークスは改めて感じていた。亡霊も、悪霊もいない。ただ、徹底した“無”がここを満たしていた。


「私には…少し、変わった体質があるの。“神憑き”というものらしいわ。」


ヌノキは自身の体質について語り始める。それは生まれつきのものであり、この町では知られていた性質だったという。常に一人だけ存在する、特別な力を持つ体。しかし、それは祝福されたものではなかった。


「この町は元々、力の弱い神が多くて。悪神になる前に、それを封じ込める“器”が必要だった。」

「ずっと昔から…そういう存在を、神憑きの体に封じる風習があったの。」

ヌノキは淡々と話す。


「いつも体の中に…異質なものがいる感覚は…慣れなかった…声が聞こえるのよ…私の心に、直接響く声が。」

ヌノキは、体内に宿した存在たちの声に苦しめられた日々を語る。それは、彼女の内なる平穏を掻き乱す、不協和音のような声だったのだろう。レークスは、ヌノキの言葉を聞きながら、かつて自身も感じた、漠然とした不安の塊を思い出す。それは、生前の、飢えにまつわる記憶だったが、ヌノキの語る苦痛に、どこか重なるものを感じた。


「でも、町の人たちは…私が苦しんでいても…誰も助けてはくれなかった。」

ヌノキは呟く。彼女の苦しみは、誰にも理解されず、共感されることもなかった。


「…それ以外は普通で、ただ海が見えるだけの、普通の町だったわ。」


レークスは、断片的な記憶を繋ぎ合わせ、自分の故郷の事を思い出そうと試みた。魚が捕れる、港町。いつからか、魚が捕れなくなった海。そして、旅で見てきた亡霊の多くが呟いていた言葉。それらを思い出し、ヌノキの町の事を考えた。ここも、飢えていく人がいたのだろうかと。


ヌノキは、レークスが何かを考えている様子を見て、察したように語りを続ける。


「貴方達が見てきたように…この町も、新たな生命が生まれなくなった。」

「魚は獲れなくなり、交易も途絶えた…みんな、飢えていったのよ。」


飢え、そして衰退。ここもまた、悲しい現実があった。しかし、この町には、別の問題があった。


「飢えていく町の人達は、全ての原因を…とある凶暴な悪神のせいにしたの。」


ヌノキはその危険な存在について語る。それは、今までどの神憑きも封じることができず、太古の時代からいると伝えられてきた、人々に苦痛をもたらす、恐ろしい力を持つ存在。


「町の人たちは…本当に恐ろしい計画を考えた…。」


ヌノキの口調に、僅かに感情の色が戻る。

それは、深い悲しみと、そして抑えきれない怒りの混じった響きだった。


「私の体に…その悪神を宿らせて…私ごと深海に沈める、計画。」

ヌノキは、自身が危険な存在を宿すことができる“器”として利用された、という過去を語る。


「そして…。」


ヌノキの体が、僅かに震える。声が掠れる。


「完璧にその悪神を宿らせるために、私が今まで宿らせた存在を、殺し始めた…。」

「…そうね、わかりやすく言えば…私を“空っぽの状態”にしたかったのだと思うわ…。」


レークスは、その言葉を聞いて、息を呑む。メニィもまた、表情を変えずに聞いているが、その瞳はヌノキの言葉に深く集中している。


ヌノキは、段々と荒くなってきた呼吸を整え、続けた。


「…体に宿した存在は、私と深く繋がっているの。だから、私が受けた傷も、彼らに伝わるのよ。」

ヌノキは、町の人々が行った、自分への暴力や残虐な行為を語った。それは、町を守るための行為だったのかもしれないが、ヌノキにとっては純粋な裏切りであり、生贄として扱われる恐怖だった。ヌノキの声には、その度に味わったであろう苦痛と恐怖が滲む。死の淵を何度も覗かされた、日々の記憶。


「そうして私の中を“綺麗”にした後…悪神を無理やり、私の中に宿らせた…そして…。」


ヌノキは言葉を区切り、遠い、海の方向を見つめた。瓦礫の先にある、静まり返った海。レークスの故郷と同じ、命が失われた海。しかし、ヌノキにとって、それはまた別の意味を持つ場所だった。


「…私を、海に沈めた。」


最も危険な存在を宿らせた上で、自分ごと海に葬ろうとした、町の人々の、あまりにも非道な選択。ヌノキが経験した、究極の絶望の瞬間。


「深くて…冷たい…暗闇だった…。」

ヌノキは、水中に沈められていく恐怖と孤独を語る。光も音も届かない、終わりのない暗闇。町の人々に見捨てられ、生きたまま葬られようとしていた、絶望的な瞬間。


「このまま死んでいくのだと思っていた…その時だったわ。」

ヌノキの声に、僅かに、別の感情が混ざる。それは、恐れでも怒りでもなく、どこか不思議な響きだった。暗闇の中に見出した、予期しない光。


「“この子”が…私を助けてくれたのは。」


ヌノキは、愛おしむように自身の体を抱きしめる。体内にいる、目に見えない存在。メニィは、その言葉に反応し、ヌノキの体内に意識を向けているようだった。


「“この子”はね、とても優しくて…冷たいのに、温かいのよ。」

ヌノキは語る。過去に宿した存在たちは、彼女を苦しめる声だった。しかし、その時宿した存在は違った。


「初めて一緒に居たいと思った…!…だから、私は“この子”を、私の中に招き入れたの!」


ヌノキは自身の身体を抱きしめたまま、興奮したように声を荒げる。深海の絶望から救い出され、体内に宿った存在。ヌノキが語る“この子”への愛着は、どこか狂気的だった。


「でも…“この子”にとって…私の中は、少し窮屈なのだと思うわ…。」

ヌノキの声が、再び不安定な響きを帯び始める。


「町に戻った時…溢れてしまったの。」

ヌノキは、力を抑えるように、両手で腕を掴む。ヌノキの瞳に、何かの光景が浮かんでいるのだろう。


「…あの時…溢れた力が、この町を…全部…。」

ヌノキは、力なく、しかし確かな後悔と悲しみを込めて呟く。


「…壊してしまったわ。」


沈黙が、瓦礫の町に降り積もる。

ヌノキが語ったのは、恐るべき力の開示であり、同時に、人間たちの業が生み出した、一人の少女の悲しい過去だった。神を封じる生贄とされたこと、裏切られ、見捨てられたこと、意図せず故郷を滅ぼしてしまったこと。そして、その力の徹底さが故に、この町には亡霊すらいないのだと。


メニィは、ヌノキの物語を静かに聞いていた。彼女の表情からは感情が読み取れないが、その存在からは、真剣な集中と、目の前の少女が抱えるものの大きさを理解した気配が感じられる。メニィが追っていた異常の根源、推測が確信に変わった瞬間であった。


レークスは、やはり黙ってヌノキの物語を聞いていた。故郷を滅ぼされたのは、ヌノキも同じだった。いや、ヌノキの場合は、自らの手で、意図せずとはいえ、故郷を滅ぼしてしまったのだ。その悲しみと、彼女の持つ途方もない力。そして、その力が故に、この町には亡霊すらいないという事実。レークスは、ヌノキという存在の悲劇性と、世界のどうしようもない歪みを、改めて感じていた。“死”とは異なる、魂すら残さない破壊。


ヌノキは語り終え、俯いている。その肩が、僅かに震えているのが見えた。

過去の痛みが、今も彼女の中に残っているのだろう。

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