第三章:破壊された町
町の広場だったらしき場所の中央に、一人の少女がいた。
青紫色の髪は乱れており、簡素な衣服は擦り切れ、汚れている。彼女は、瓦礫に腰掛けていた。
少女は何かを呟いている。独り言のようだが、誰かに語りかけているようにも感じられる。
「…貴方はもう…大丈夫…そうね…静かだわ…でもね、まだ、私は…気に入らないの。」
独り言は途切れ途切れで、誰に話しかけているのか不明瞭だった。
レークスとメニィは、少女に話しかけることもなく、様子をうかがっていた。明らかに異質なその姿を、メニィはずっと眺めていた。その眼差しは何かを探っているようだった。メニィは独り言を呟く。
「あれが多分…なるほど、これは世界の“歪み”だね…。」
その口ぶりは、メニィの死神らしい片鱗を現していた。
少女は、突然話し終えたのか、静かに立ち上がった。気配を感じ取ったのか、ゆっくりと周囲を見回す。その視線はやがて二人へ向けられた。途端に彼女の顔は、明らかな驚きで満ちた。
「…あら、驚いたわ」
ヌノキは、黒く澱んだ目を、僅かに見開いて呟く。他の誰かが訪れるなど、想定していなかったのだろう。
「こんな場所にヒトがいるなんて…一体、どうやってここに?」
ヌノキは頬に手を当て、丁寧に問いかける。同時に、おぞましい気配が漂った。
メニィは、気配を感じ取ったのか、怪しい笑みを浮かべた。そして、迷うことなく、ヌノキの前まで歩み寄り、立ち止まった。メニィからは、恐れや警戒といった気配は一切感じられない。ただ、目の前の存在に対する探究心だけがあるようだった。レークスは少し遅れて、追従するようにメニィの後を追う。
「どうやってって、歩いてきたに決まってんじゃん。」
メニィは、普段通りの、子どもっぽいぶっきらぼうな口調で答える。
ヌノキは、メニィのその話し方を聞いて、予想外だったのか、目を丸くした。
「あら…貴方…私が怖くないの?」
ヌノキの顔に、初めて、張り詰めていた空気が緩むような、僅かな笑みが浮かんだ。メニィの飾り気のない話し方は、新鮮で興味深く感じたようだった。恐れられることもなく、ただ当たり前のように話しかけられたことに、ヌノキは微かな喜びを感じていた。
「はぁ?変人なだけだろ?怖くないね。」
メニィは頭の後ろで手を組み、バカにしたように鼻で笑った。そして一旦少女から町へと視線を移し、感情のない顔で荒れ果てた瓦礫や建物を見たかと思うと、途端に雰囲気を変え、幼子のような振る舞いで再び話しかけた。
「アタイはメニィ。可愛い死神さ!んでこの突っ立ってるのがレークス。アンタは?」
純粋な笑顔で自己と連れ添いを紹介するその瞳を見て、少女も口を動かす。
「私はヌノキよ…。」
ヌノキと名乗った少女は、その後に何か続けようとしていたようだったが、言葉にすることはなかった。
「へぇ、んじゃヌノキ。アンタさぁ、ここで何してんの? こんな酷い場所で。」
メニィは、遠慮なく核心に触れる。
ヌノキは、メニィの問いに、一瞬戸惑うような顔を見せた。そして、目を伏せた。
「この場所が、酷い…そうね…。」
ヌノキは顔を上げ、周囲を見回す。瓦礫となった町。彼女にとって、それは世界の全てであり、破壊された場所ではあるが、同時に自分が存在し得る唯一の、故郷の町だった。その惨状とは不釣り合いな微笑みをしながら、ヌノキは話を続ける。
「…そう、なのかもしれないわね。なら、町の外はどうなの?」
ヌノキは単純な疑問を口にした。
「ああ、酷いよ。ここと違って、死んでんのに死にきれてない奴らがうろついてる。」
メニィは、レークスと共に見てきた世界の惨状を、当たり前の事実として述べる。
レークスは、メニィの言葉を聞きながら、自分も“死んでるのに死にきれてない奴”の一人なのだと、改めて認識する。そして、目の前のヌノキも、どこか自分に似た、世界の歪みの中にいる存在なのだと感じていた。
ヌノキはメニィの言葉を聞き、理解しようとしているようだった。
「…世界は、そんなに酷いの?」
ヌノキは、僅かな驚きをもってメニィに尋ねる。
メニィは頷く。
「そうだよ。ずーっとこんな感じ。もう“新しい生命”は誕生しない。」
メニィは、一呼吸置いて、空高くを見つめた。空は相変わらず、鉛色をしていた。呆れの感情が混じった瞳は、そのままレークスとヌノキに向けられ、事実を淡々と述べる。
「…この世界を守る神はね、もういないんだ。」
神がいなくなった。それがここまで世界の状況を悪化させていた原因とは、メニィ以外誰も知らなかった。ヌノキとレークスは、メニィの言葉を聞き、何かに思い至ったようだった。二人の顔に、微かな不安が浮かぶ。
メニィの視線が、再びヌノキに向けられた。
「アタイ、この世界をどうにかしようと思って、アンタを探してたんだ。」
メニィは、自身の目的を告げる。その瞳の奥には、まだ何かを秘めていたが、二人には分からない。
「なんかこの辺りだけ変だし、何か隠してるでしょ。」
ヌノキはメニィの言葉を聞き、目を伏せる。 彼女の中には、破壊された故郷の記憶と、内なる存在がある。それが、メニィが求めている情報だろうと、ヌノキは理解した。
「…私が…隠していること…」
ヌノキは呟く。
「そうね、少し話をしましょうか。この町で…私に何が起こったのかを。」
ヌノキは、傍らに立つレークスにも視線を向けた。
「レークス…だったわね、貴方も聞いてくれる?」
ヌノキはレークスに問いかける。
レークスは、静かに頷いた。
メニィは、ヌノキが語る気になったことに満足し、ニヤリと笑った。推測が確信となるかもしれない情報を、眼前の人物が持っている。メニィは心が踊るようだった。
「いいねぇ。じゃ、聞かせてもらうよ。アンタの物語。」
こうして、死神と亡霊は、壊れた町の中心で、世界の歪みを体現する少女と本格的に対面した。