59.涙を止める魔術
その突然の行動に驚いて固まっていると、ルクスは私を抱き上げたまま、長椅子に座った。
私はルクスの太ももの上に横向きに座るような形で設置された。
いやいや、どう考えても、他人の上に座るのはおかしいでしょ。
「え、いや、ルクス?ちょ…………」
「ふふふっ。そこまで動揺するオデット様は珍しいですね」
そう言いながら、ルクスは私を抱き締めて、背中を一定の間隔でぽんぽんと優しく叩く。
その行動の意味はよく分からないのだが、驚いたことで涙はいつの間にか止まっていたし、ルクスに抱き締められてとんとんとされていると、何だか、先程まで心の中を占めていた暗い気持ちが晴れていく感じがする。
これは何なのだろう。
温かくて、心地よくて、安心できて、気が緩むような。
先程までとは真逆の方向に心が傾いている。
暫く、私はルクスの胸に寄りかかって、その嬉しさと安堵の感覚に、深く呼吸ができることに、浸っていた。
「落ち着きましたか?」
「うん」
寄りかかっていたルクスから少し身を起こして、そろりとルクスの表情を窺う。
この体勢には色々と疑問があるのだが、こうして心を落ち着かせてくれたことには感謝しかない。
「ルクスは何か、魔術を使ったの?」
魔力が動いていたような気配は全くなかったのだが、私がまだ未熟な所為だろうか。
そう思いつつ、何をどうやったのか、後学のためにもと、不思議に思ったことを聞く。
すると、私の不思議そうな表情を見て、ルクスは可笑しいというようにふふふっと笑みを零した。
「違いますよ。オデット様は、寂しいと仰っておられましたから。寂しい時にはこうするものなのだそうですよ」
「えぇと、迷信みたいな?」
「いえ、どちらかと言えば、これは民間療法、のようなものでしょうか」
意外だ。ルクスはそう言った確立された治療法ではないような、あやふやなものも信じているのだろうか。
それとも、実際にこうして効果的だから、と信じられているものなのだろうか。
いや、それにしては、何と言うか、対象と効果が限定的な気がする。
うんうんと唸っていると、ルクスは更に面白いというように笑った。
その笑みにはどこか寂しさが混ざっている。
「私も以前に、こうして貰ったことがあるのですよ」
「ルクスも寂しかったの?」
「はい…………私も周囲の人間よりは魔術階位が高かったので、魔力制御を覚えるまでは、気軽に誰かに触れることができませんでした。魔力制御を覚えてからも、周囲の人たちは私を恐れるばかりで、結局、誰にも触れることなく、成長しました。学院に入学するまではそれで良かったのです。それが自分にとっては当たり前のことでしたから。親兄弟に私だけが触れられず、他人は触れ合っている。そのことはあまり気にしないようにしていました」
「…………」
「ですが、学院に入学して、はっきりと、自分は異常なのだと、突き付けられ、思い知らされてしまったのです。ある時、寂しさが募って、心が揺れてしまい、どうしようもなく、果ての無い道を歩き続けているような絶望感に襲われてしまって、図書室の隅で泣いてしまったのです。そこを司書の先生に見つかってしまいました。その先生は驚くべきことに、私に触れて、こうして今オデット様にしたように、私に触れてくれたのです」
「ルクスもそれで治ったの?」
「はい、結果的には」
「結果的に?」
「最初は意味がよく分からずに、ただ人の温もりや優しさに触れてしまったことで、嬉しさからか、余計に泣いてしまったのです」
「ん?悪化したの?」
「そこで初めて知ったのですよ。人は嬉しさからも涙が出るのだと。それでも先生は、私が落ち着くまで、こうして触れてくれました…………ですから、オデット様も、好きなだけ、泣いて良いのですよ。嬉しさからでも、寂しさからでも、安心からでも、悲しさからでも。涙を流せるということが大事なのです。私はオデット様が泣いても、怒ったり不機嫌になったりしません。抱き締めて、涙が収まるように、オデット様がまた笑顔になれるように、協力します。ですから、隠そうと、堪えようと、抑え込もうと、なかったことにしようとしないでください。オデット様にそうして揺れ動く心があるのだということが、私は嬉しいですから。私はいつだって、オデット様に触れることが出来ますからね」
「うん。ありがとう」
私の魔術階位を受け入れてくれて、心が動くままに泣いても良いのだと、そうなっても受け止めるのだと、そう言葉を尽くして伝えてくれたルクスに、そしてそんな存在がいるという現実に、私は嬉しくなって、ルクスに抱きついた。
「オデット様?」
「ルクス、ありがとう」
ルクスの寂しそうな、それでいて温かな表情に、私は何だか、ルクスのことを抱き締めたくなってしまったのだ。ルクスが私にそうしてくれたように。
と言っても、体格差があるので、ルクスの背中の半ばまでしか手が回らず、抱き締めるというより抱きつく形になってしまっている。
「私、ルクスがしてくれたこと、言ってくれたことが嬉しかった。だから、ルクスもそうして欲しい時には、ちゃんと教えて。私もルクスの助けになりたいから」
「はい。ありがとうございます、オデット様」
そう言って私の背中に手を回してくれたルクスの表情は見えなかったけれど、その声音はとても柔らかで嬉しそうなものだった。
そのことが嬉しくて、受け入れてもらえたことにほっと安堵して、私がふっと笑みを零した。
私の気持ちが落ち着いたところで、私はルクスの背中から手を離した。
ルクスの足の上からも降りて、そのまま横に座った。
隣に人がいるという新鮮さと、ルクスとの距離の近さに、何だかそわそわする。
そこで気付いたのだが、こうしてルクスと、いや誰かと同じ椅子に座るのは初めてだ。
二、三人が座れる長椅子に座ったことは何度もあるが、誰かと一緒に座ったことはない。
「ルクス。一緒の椅子に座るのは、初めてだよね?」
「そうですね」
「一緒に座るのも、危ないの?」
「はい。危険、というよりは、危険度が高まる、という感じですね」
「絶対危ない、って訳ではない?」
「はい。今もこうして一緒に座っていても大丈夫ですよね」
「うん」
「椅子分けは、食事の時の机分けと同じ理由からで、同じような効果が得られます。机分けと椅子分けを合わせて、席分けと言うこともあります」
「ふーん」
同じ椅子に座るということは、同じ場を共有することに繋がる。
同じ場を共有した上で、同じような行動を取ると、魔術の侵食が起こりやすくなり、侵食が起こらなくとも、魔術的な縁ができるそうだ。
そうして不用意な魔術的要素を作らないように、席分けをするのが基本なのだそうだ。
「家族、夫婦、恋人や仲間のような親しい間柄では、席分けはしません。仲良くなりたいという意志表示として、同じ机でご飯を食べたいと誘うのですよ」
「私は、ルクスと同じ机でご飯を食べたい」
教えられたままに、その台詞を口にすると、ルクスはふふふっと笑ってから頷いてくれた。
あまり深く考えずに誘ってしまったが、ルクス相手であれば大丈夫だろう。
いや、逆にルクスだからこそ、気を付けなければいけなかったのかもしれないが。
まぁ、ルクスが気にしていない様子なので、今回は大丈夫かな。
「ありがとうございます。それでは同じ机で食事をしましょう」
「やった。ありがとう」
「いえいえ。ですが、先程の台詞は、安易に他人に言ってはなりませんよ」
「仲良くしたいのに?」
「ある程度の関係性があれば良いですが、例えばオデット様が、いきなり見知らぬ人にそう言われても困ってしまうでしょう?」
「うん」
「誰にでも直ぐにそういう発言をする人は、自分か、もしくは相手を軽く見ているように思えてしまいますからね。自分の心を簡単に切り出されても、果たしてそれは本当のその人の心なのか、それとも自分はその相手にとってそれほど重要ではない、どうでも良い置物か何かだと思われているのだろうか、と不安になってしまいます。今、私はオデット様に誘って頂けて嬉しかったですが、それはこれまでの関係性があってのことです」
「うん。よく知らない人を気軽に誘わないようにする」
確かに、気軽に誰でも誘っているような人の本気度合いは信用できないな。
そのような軟派な人にならないように、気を付けよう。
「はい。特に我々のような魔術階位の高い人間は、そう言った同席の誘いなどには気を付けた方がよいです」
「それは、相手を傷つける可能性が高いから?」
「はい。同席して魔術侵食が起きた場合、傷つくのは相手である可能性が高いです。魔力量や魔力圧は基本的には高い方から低い方へ向かいます。相手が意図的にこちらに魔力を流した場合、こちらが完全に無防備であれば、魔術階位が高くとも侵食されることがありますが、基本的にはこちらの階位の高さ、壁に阻まれて、侵食できません。それどころか、相手に向かってこちらの魔力が流れてしまう危険性もあります。ですので、同席の誘いなどは、侵食を起こす危険性が少なく、侵食が起きる可能性を孕んでいても問題ないほどの関係性が必要なのです」
「うん」
一瞬、同席以外にはどのような時に侵食が起きるのだろうと考えたが、まぁ、日常的な行動なので、色々沢山あるのだろう。
例を挙げればきりがないのかもしれないと直ぐに思い直した。
私がそんなことを考えているのを知ってか知らずか、ルクスが曖昧な笑みを浮かべていたことに、私は気付かなかった。
同席以外にお誘いと言えば、同衾が一番に挙げられるということを伝える訳にはいかず、上手くルクスが誤魔化していたということに。
「今日の夕食は急なので無理かもしれませんが、明日の朝食からは同席できると思いますよ。あ、あと、ジュネのことも誘ってあげて下さい。私とオデット様が同席しているのに、ジュネだけ別では可哀想ですから」
「うん。夕食で会った時に言ってみる」
次話は閑話となります。




