45.風邪
書斎で眠ってしまった私は、一先ず、顔を洗って、髪を整えようと、応接間から洗面に向かおうとした。
その時、カルメがちょうど部屋に入って来た。
「オデット様。おはようございます」
「おはよう。カルメ」
カルメは私が寝間着ではなく、昨日と同じ服を着ているのを見て、不思議そうに首を傾げた。
「オデット様。本日の服をお持ちしましたが、何故、そちらをお召しに?」
「いや、昨日はこのまま、書斎で眠ってしまったから、着替えてないだけだよ」
私の言葉に目を瞠ったカルメは、そして不愉快そうに眉を顰めた。
こちらを睨むようなその表情に私は驚く。
カルメがそこまで、不快感のようなものを露わにしているのは初めて見た。
「オデット様。書斎で眠るのはあまりお体に良いとは申せません」
「えっと、ごめん?」
「いえ。次からはお気を付けくださいませ」
「うん」
そんなひと悶着があったが、私は洗面で顔を洗い、髪を梳かし、寝室で着替えをした。
今日の服は緑色だ。それに合わせてマスキを発動させて、鏡で問題がないことを確認する。
食堂に向かって、ルクスたちと合流し、ウィテハの朝食を食べる。
何となくあっさりしたものが食べたい気分だったので、ちょうど良かった。
食後のお茶も終えて、ルクスに執務室に全員で向かう。
私とカルメは小会議室でお勉強、ルクスたちは執務室でお仕事だ。
「それではこれから、フォルテ王国の王族、貴族についてお話しいたします」
カルメの話を聞いて、紙に名前や用語を書き留めていく。
今までであれば、覚えながら、頭で理解しながら、書いているのだが、何だか、今日は頭が思うように働かない。
どこかぼんやりと、ぼーっとしてしまう。
手は動いているのだが、カルメの話は右から左へと流れていってしまう。
何故だろうと考え込もうとしても、するりと解けていってしまう思考に、私は不甲斐なさで溜息を吐いてしまった。
「オデット様?如何なさいましたか?」
「ううん。ちょっと集中できないだけ」
「昨日の疲れがあるのでしょう。本日の午前はお休みになりますか?」
カルメの提案に、私は頷くことが出来ずに、固まる。
何だか、それは申し訳ないというか、勿体ない気がする。
でも、だからと言って、授業に集中できていないのだ。
そんな状態で続けるのも、授業をしてくれているカルメに悪い。
悩んでいる私を見て、カルメは微笑んでくれた。
「誰しも、そういう時はございます。無理しないように、オデット様の速度に合わせて進めましょう」
「うん」
私はカルメの言葉に頷いて、ペンを置いた。
直ぐに執務室に戻ることになった私たちに、ルクスたちは不思議そうに首を傾げた。
「オデット様?どうかなさいましたか?」
「…………うーん」
「お疲れのようですので、一度休憩にしましょうということになりました」
「あぁ。昨日はオデット様にとって初めての外出でしたからね」
私の曖昧な返事を補足するカルメにルクスは頷いた。
再び手元に視線を戻し、止めていた手を動かし始めたルクスを横目に、私は机の書類が積み上がっていないところの前の長椅子に座った。
休憩すると決めてから、朝から妙に怠さを感じていた身体がさらに重くなったように感じていた。
ちょうど二、三人が座れるような横長の長椅子だったので、私はお行儀が悪いと分かっていながらも、その誘惑に耐え切れず、そのまま、ぼすんと横になった。
「あ、これ、いいかも」
頭の上や肩にかかっていたような重さがなくなっていくのを感じる。
しかし、そのまま長椅子に沈み込むような重さを感じ始めたので、今度は長椅子から起きられなくなるかもしれない。
まぁ、少し休めば、この重さもなくなるだろう。そう思い、長椅子に身を預ける。
お茶を用意していたカルメは、そんな私の突然の行動に不思議そうな顔をした。
「オデット様、お茶のご用意が…………何をなさっているのですか?」
「この体勢が楽なの」
「…………えっと、余程、お疲れなのですね。…………どうしましょう。横になられるのでしたら…………」
カルメが何かを言っているようだったが、私は急に襲っていた眠気に抗うのに集中していたので、それどころではなかった。
しかし、眠気に抗っているつもりで、実はもう既に目を閉じてしまっていて、眠っているということには気付かず、私は眠気に抗う夢を見ていた。
私は眠気に勝った!と勝利の嬉しさを胸に、ぱちりと目を開ける。
いや、今、目を開けたような。
うん、確かに開けた。
ということは眠ってしまっていたのか。
そして、直ぐに萎んでしまった気持ちに溜息を吐きそうになったところで、周囲の景色を見て、首を傾げる。
ここは私の部屋の寝室の寝台の上だ。
ルクスの執務室の長椅子で眠ったはずなので、もしや、またカルメに運んでもらったのだろうか。
いや、それがカルメでも誰でも、運んでもらうのが申し訳ない。
そして、それがカルメであるとなると、二度目ということで、申し訳なさが増すだけだ。
カルメに会った時に、誰に運んでもらったのかを聞いて、お礼を言わないといけないな。
それにしても、身体が重い。頭も重い。瞼も重い。
一度、勢い良くぱちりと開けたお陰で、瞼は開けたままでいられているが、身体は依然として重いままだ。
勢いをつけたら、起きられるかもしれない。
取り敢えず、未だに眠気のある頭をはっきりさせようと、目を擦るために腕を持ち上げる。
しかし、身体の重さは思っていた以上に深刻なようで、持ち上げた腕はそのまま目を覆うように、ぱたりと顔の上に乗ってしまった。
これは流石にどういうことなのだろう。
明らかに体調がおかしいぞ。
執務室で少し休もうと、少し楽な体勢になろうとした時の比ではないくらいに、身体がしんどい。
あの時から悪化しているのか、一度気が緩んだことで症状を酷く感じるようになったのか、体調不良が本格化してしまっている。
私が手を動かしたことに気付いたのか、側で人が動く気配がする。
腕を何とか、身体の上に移動させて、視線を向けると、カルメが寝台の側に来ていた。
「オデット様。お目覚めになりましたね」
「カルメ、どうなってるか、分かる?」
「どうなって…………?あぁ。はい。今回のオデット様の体調不良は風邪と言います」
「風邪?」
「はい。風邪の定義については、お元気な時にルクス様からご説明頂くとして…………ルクス様の見立てでは、本日安静にお過ごしになられれば、明日には回復するそうです」
「安静に…………分かった」
そうなのか。これが風邪、なのか。
身体の重さ、頭痛、あとは暑い感じ?
カルメによると熱があるそうなので、これがその発熱の感覚なのだろう。
安静にと言われたが、正直、暇だ。
身体を動かしたり、ずっと起きたりしているのは出来ないというか、辛いのだが、何もしないでいるというのも、それはそれで苦痛だ。
頭もぼんやりとしてはいるが、それなりに働けるし、辛い症状があるのは身体ばかりなので、思考の方はそれなりに暇だ。
それに、何もせず、ここに一人でずっといると、何だか、皆に置いて行かれたようで、焦りのようなものを感じてしまう。
暫く、うつらうつらと、そんなことを考えながら、起きたり眠ったりしていたが、段々、眠気は無くなっていった。
先程しっかりと寝た所為か、今は起きていられる時間のようだ。
そこで、何もしないという暇が、本格的に私を襲った。
暇であることを何とか誤魔化そうと色々なことを考えたが、やはり暇というものは立ち去ってくれないようだ。
暇に抗うのをやめた私は、寝室にいるカルメを呼ぶことにした。
「カルメ」
「はい。如何なさいましたか?」
「暇」
私の一言に、カルメは困ったように眉を寄せた。
しかし、私の思いも理解できるのか、反対するようなことは口にしなかった。
「ルクス様にご相談してみます」
そう言って、カルメは寝室を出て行った。
そう言えば、ここまで運んでくれたのはカルメのようで、問い質して礼を言うと、お気になさらずと言われた。
いや、人に運ばれるのを、気にせずにはいられないんだけど。そう思いながら、粗雑に頷いた。
風邪の症状で、いつもより動作が雑になっているのだ。仕方ない。
それにしても、ルクスの執務室で寝たのだから、当然と言えば、当然のことなのだが、ルクスが私は風邪を引いていると診断したようだ。
ルクスって、医者でもあるのかな。あの若さで協会長なのに。
そんなことを考えていると、直ぐにカルメが戻ってきた。その手には一冊の本がある。
「ルクス様が、読書くらいであれば大丈夫でしょう、と仰っていましたよ」
「本?」
「はい。図書室から王国の生物図鑑を借りてまいりました。これは絵も多いですし、眺めるだけでも楽しめると思います」
「ありがとう」
私は早速、カルメから『王国生物図鑑 動物篇』と題されたぶ厚めの本を受け取った。
装丁もしっかりとしていて、重いので、枕に立てかけるように置いて、私は俯せで頬杖をついた体勢で、本を開いた。
寝台でこんな体勢で本を読むなど、とてもだらしないことのような気がするが、今は体調が悪いので仕方ない。
それにルクスの許可も出ていることだし、良いだろう。
次話は閑話となります。




