30.魔力を注ぐ
私は標的を変えてみることにした。
「ジュネは何個覚えてる?」
「いえ私は、いや俺も、数えたことがないので、分かりません」
急に話を振られたことに動揺しているのか、具体的な数字を教えてはならないという危機管理意識が働いているのか、一人称があやふやになりながら、ジュネは苦し紛れに答えた。
「ルクス様、ジュネ様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
「あぁ、ありがとう」
そこに二人の助け人が現れたようだ。
カルメにお礼を言ってお茶を受け取っている二人を見て、私もお茶に口をつける。そこで会話が途切れ、一息吐いたルクスは、優しく諭すように声をかけてくれた。
「オデット様。オデット様はご自分の速度でお勉強して良いのですからね。無理をしたり、基本を疎かにしたりせず、少しずつでもしっかりお勉強していきましょう。オデット様にとっては、王国にいらっしゃって、まだ二日目なのですから」
「うん、ありがとう」
「オデット様。先程は私の説明が早過ぎました。オデット様はご理解が早いので、つい…………」
「ううん。大丈夫だよ。次からは、もう少し手際良くできそうだから。でも今は、別のことがしたい」
「それでは何をしましょうか」
「…………覚えるだけのこと以外で」
「そうですねぇ。それでは、魔力制御の続きでもしますか?」
どうやら、ルクスはこのまま付き合ってくれるようだ。私がその提案に頷くと、ルクスは棚から計測器を持って来て、私の目の前に置いた。
私は昨日と同じように黒い石板に手を置いた。今の値は2185だ。そこから目を閉じて集中し、魔力を内側に押し込んだ。漏れの無いように、緩まないように。
昨日の制御で、魔力を操作する感覚は掴んだので、後は押し込んで定着させるだけだ。これ以上は無理、というところまで押し込んでから、目を開けて目盛りを確認する。
計測器の目盛りは0を表していた。
ルクスの方をちらりと見ると、頷かれた。私はそれに頷き返して、0を維持したまま自然体で過ごせるようになるまで、お茶やお菓子を挟みつつ過ごした。
暫くして押し込んでいるということが気にならなくなった頃、私は石板に手を置いた。目盛りは0と5の間を行ったり来たりしている。
「ルクス?」
「はい。このくらいで大丈夫ですよ。この計測器は5刻みですから、このように表示されているということは0から5の間なのでしょう。余程訓練した人か、元々魔力が少ない人でない限り、完全に0の状態で定着させるのは難しいのです。ここまで制御できているだけでも十分に素晴らしいことですよ」
「これで大丈夫?」
「はい。魔力を流してはいけない物についても、意識して0にして触れれば問題ありません」
「やった」
漸く、と言ってもルクスが最初に言った通り、一日かかってしまったが、魔力を制御することができた。
私は自分の手を見て、握ったり開いたりしてみるが、見た目には何の変化もない。
制御している状態では他人から見て、どう変わっているのかが知りたいが、自分の視点は変えられないので仕方ない。
「それでは次の段階に移りましょう」
「次の段階?」
「はい。魔術を行使する際に、想定した効果を発現させるためには、それに見合った魔力を込めなければなりません。そこで決まった量の魔力を注げるようにしましょう」
「魔力を注ぐ?」
「はい。水を注ぐように魔力を入れることを注ぐ、と言います。そして、火を点けるように魔力を放出することを魔力を出す、と言います。そちらの練習は、この注ぐ練習ができるようになってからですね」
「うん」
何だ。魔力制御にはまだまだ段階があるようだぞ。確かに抑えただけで、使えなければ意味がない。ルクスの言うことは尤もだと思ったので、私はそれに頷いた。
ルクスは私が了承したのを見て、微笑むと立ち上がって、棚から別の道具を取り出した。
「これは魔力を計量するカップです。料理で使用されるものに似ていますが、下に目盛りがついています。これは1刻みで、0から10000まで計れます。」
透明なカップには蓋がしてある。中には水のような透明な液体が入っていて、確かに料理で調味料などを測りそうなものに見える。下に目盛り付きの石板がくっ付いていなければ、だが。
「この下の黒い板は、さっきのものと同じ?」
「仕組みは似ています。こちらはより細かく計測できるので、調合する際に使用されます」
「ルクス様?まさか、ここにずっと置いていた訳ではありませんよね?」
「え、えぇ、それは勿論。オデット様の魔力制御に必要かと思いまして…………」
「我々が研究室に移動すれば良いのでは?」
「いえ、移動の時間が勿体ないですから…………それに、調合道具は魔術師必携の品ですよ?」
「調合道具は必需品であって、必携の品ではありません」
「う、私はいつも、これを使用していますから、使い慣れた物の方が良いと思いまして…………」
「オデット様が使用されるんですよね?」
「はい」
「はぁ。取り敢えずオデット様が使用する間は、ここに置いても良いですが、この練習が終わりましたら、ご自身の研究室に置くようにしてください」
「はい」
ルクスの言葉にジュネが反応してしまった。ルクスの解説は有難いが、自分で自分の首を絞めてしまっている。その後のルクスとジュネの口論?討論?は、意外にもジュネがあっさりと引き下がったことで終わった。
恐らく、このようなことは日常茶飯事なのだろう。その声音に驚きはなく、辟易としている。ルクスも分かっているのか、どこかおざなりに頷いているし、ジュネはそれをもはや指摘もしない。
まぁ、二人がそれでいいなら、いいやと、私はルクスに視線を向けた。
「まずは、このカップに魔力を5000まで注いでみましょう。5000ちょうどですよ。今は、指をカップに触れさせても構いません。今後、離して魔力を込める練習も致しますから、それまではカップに触れて、その場所を通して魔力を入れましょう」
「分かった」
ルクスの説明に頷いて、私はカップを右手の人差し指でちょこんと触れた。目盛りは0、1、2と上がったところで、止まった。何も押さえつけず、至って自然体でいるのだが、それ以上に変化することはない。
どうしよう、と首を傾げていると、ルクスは説明し忘れた、という顔をして教えてくれた。
「抑える練習をした後は、そうなる人が多いですね。今は無意識に抑え込んでしまっていますから、まずは体内の魔力を感じるところから始めてみて下さい」
私はルクスの言葉に頷いて、自分の身体を透かして見るように、自分の魔力を意識した。身体の中心、その奥に、塊のような炎のような水のような魔力が満ちているのが分かる。
それを思い通りに、もにもにと動かせることを確かめてから、私はその一部を糸のように右の人差し指に移動させた。そして指先が触れているところから、魔力を流し込む。
ルクスの言ったように、魔力が水を注ぐようにちょろちょろとカップに流れていっているのを感じる。できた、と目を輝かせてルクスを見ると、ルクスは笑顔で間髪入れずに、カップを見るように言った。
「まだですよ。5000で止めて下さいね」
妙に真剣な笑顔に、私は慌ててカップに視線を戻した。今のルクスは何か、ちょっと怖かったな。
そんなことを考えているうちに1000、2000、3000と魔力はどんどん流れていく。
少し時間がかかっているが、このちょろちょろ具合を変えると、5000ちょうどで止められるかが怪しいので、少し時間がかかってもこのままでいく。
しかし、10刻みくらいで変化している目盛りを見て、私はふと、これってこのままだと5000ちょうどで止められないのでは、と気付いてしまった。
4800を過ぎたあたりから、私は指先に流れる魔力を細くしてみた。10刻みだった数字は5刻みになり、4900を過ぎた。
まだだ。これでは越えてしまうかもしれない。私は指先に意識を集中させて、更に魔力を細くする。目盛りを見ながら、途切れず、緩まず、1刻みで流していく。
そして、目盛りが4999から5000に切り替わった瞬間、糸を断ち切るように、蛇口を閉めるように、魔力の流れを断ち、指先に残っている魔力がそれ以上入らないように、残りを慌てて中に押し込んだ。
目盛りが5000からどちらにも変化しないことを見て、私は漸くカップから指を離した。
周囲を見ると、緊迫した空気が流れていた余韻がある。
そして、生唾を飲み込んで見守っていてくれたジュネや、応援するように拳を握って見守っていてくれたカルメとは正反対に、ルクスはとても良い笑顔をしていた。
何と言うか、愉悦に塗れたような?素晴らしく輝いた笑顔なのだが、実験動物を観察するような目が怖い。
私は取り敢えず、一番様子のおかしいルクスに声をかけた。
「ルクス?」
「お見事です。オデット様」
「ありがとう」
「まさか、初回で成功させてしまわれるとは思いませんでした。素晴らしい制御能力です」
「お見事です、オデット様」
「流石ですね」
「ありがとう」
私は観衆たちに手を振っている気分で、皆にお礼を言った。
こうして、初回で成功させてしまったことで、今後のルクスの授業がより厳しくなってしまうことになるのだが、当初の予定を知らなかった私には、どうしようもできないことであった。
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