3.転移
ここから本編が始まります。改めて、よろしくお願いします。
「名を、いえ、真名を、お聞かせ願います」
はっきりとこちらに向けられた言葉に、私ははっと我に返った。
真名とは何だろう。素直な疑問が浮かぶと同時に、頭の中にひらめきのように答えが浮かんだ。
初めて知る言葉、口にしたことのない単語。けれど何故か、それが正しい答えなのだという確信がある。
「オディデ・ルヴェファ」
するりと口から零れた答えに、やはり聞き覚えはない。だが、私が創作した言葉でもなければ、誰かに教えられた言葉でもない。
自分で言っておいて、そんな自分に困惑している。しかし、私が戸惑っていることなど、お構いなしに事態は進んでいく。
「ルヴェファ様。拝顔の栄に浴しましたこと、身に余る光栄にございます。私はデピラ・アセズと申します」
「ルヴェファ様。お初にお目にかかります。ブラス・ホネテと申します」
二つの声が聞こえた私は、そこで漸く、目の前にいる二人に視線を向けた。
私の目の前には二人の男性が跪いている。一人は丈の長い刺繍が入ったローブを羽織っている。首の後ろにフードがあるようだが、それは降ろされている。しかし、頭を垂れているので、どちらにしても顔は見えない。
もう一人は、似たような刺繍が入ったマントを背に、軽装の防具を身に付けている。こちらも同じように頭を垂れているので、人相も表情も分からない。
先程の言葉がこの二人から発されたものであるというのは分かるのだが、どちらがという区別はつかない。
そこで先程かけられた言葉を反芻してみる。
えっと、確か…………
「デピラ・アセズ。ブラス・ホネテ」
そう言っていた。他にも何だか色々と話していたような気がするが、この言葉の部分だけ、やけにはっきりと聞こえたのだ。
私がぽつりと呟くと、二人は揃って身体をびくりと揺らした。その反応に新たな困惑、というか、疑問が生まれた。私は何かを間違えてしまったのだろうか、と。
しかし、私の頭は既に他の疑問でいっぱいだった。考えることが多過ぎて、どれも中途半端になり、結局何も答えが出ない。結果、困惑が深まるばかり。
何も言わず、何もできない。ただ突っ立っているだけの私が頭の中を整理するよりも先に、目の前の二人が落ち着きを取り戻したようだ。
「ルヴェファ様。私に貴女様と共に、転移することを承認して頂きたく存じます」
「転移、承認?」
こんがらがったままの状態で、更に考えることを投げ込まれた私は、取り敢えず、今までの疑問を端に置いて、目の前の会話に集中することにした。
やはり、それは何だろう、という疑問が浮かぶ。転移、ということは、どこかに移動するのだろうか。そして、移動しても良いかと確認している?
有無を言わさず、強引に連れて行かれないだけ、優しい、というか、律儀な人なのだろうか。いやでも、私にそんな丁寧な対応をされるような心当たりはない。
ということは、この人にとって、その方が都合が良い、ということだろうか。つまり、私に親切にしなければならないような事情があるとか。
それで言えば、私は移動すること自体、どうでも良いので、この人が移動させたいというのは、この人たちの側に理由があるのだろう。私がここにいることがいけないのか、どこか行きたい場所があるのか。
まぁ、結局はどちらでも良いので、相手の理由を考えても仕方ない。
そうしてもう一度考えることを放棄して、目の前の二人の様子を窺う。
「お許し頂けるのであれば、許す、と仰って頂ければ、安全な場所までお連れ致します」
「許す?」
それは私が許さなければ、移動できない、ということだろうか。それともやはり、親切心から?うーん、やっぱり分からん。
私が首を傾げていることに気付いていないのか、無視したのかは分からないが、ローブを羽織っている男性は、私の言葉に頷いて立ち上がった。
「ありがとうございます…………ブラス、後は頼む」
「あ、あぁ。頑張れよ」
二人が小さく交わした会話の内容から考えるに、先程の問い返した言葉は、了承と取られてしまったらしい。
ということは、親切心ではなく、必要があって許可を捥ぎ取ったのだろう。そうなると、安全な場所までお連れする、という言葉が不穏に思えて来た。
ここは危険な場所なのだろうか。そう思って周囲を見回すが、特にすぐさまの危険を感じるようなところはない。
ここは薄暗い洞窟のような場所で、周囲は岩や土に囲まれている。日の光がないのに、真っ暗ではないのは、一つの光の球のようなものが浮いて、周囲を照らしているからだ。
そんな周囲を見ても、やはり危険はないように見える。となると、ここでは見えない危険が迫っているのだろうか。例えば、この洞窟は崩れやすいとか?
まぁ、現段階では、何も確定させることはできないな。と思いつつも、私は更に考え込んでしまう。
目に見える危険がないのであれば、物理的ではなく、精神的な危険が迫っているのだろうか。その可能性を考えると、確かに、目の前の二人から緊張のような恐怖のような雰囲気が発せられている気がする。
私が何かをした覚えはないのだが、いや私の存在自体が危険なのか?うーん、これも可能性を追っても仕方ないな。
私が色々と思い悩んでいる間に、二人は立ち上がって、それぞれに行動していた。デピラ・アセズと名乗った男性は私に近付き、ブラス・ホネテと名乗った男性は、振り返って何かに近付いた。
その向かう先を見ると、二人の男性が地面に転がっていた。その周りには夥しい量の血が広がっている。新たな情報に私は内心で更に首を傾げた。
誰?というか何故?まぁいいか。それよりも今は自分の心配をしよう。うん、痛いことや怖いことがなければ良いのだが。
そもそも、どこにどうやって行くのかも分かっていないので、不安と疑問は膨れ上がるばかりだ。
「それでは、転移します」
私の隣に立ったデピラ・アセズは、小さく何事かを呟いた。え?と聞き返す間もなく、周囲の光景がぐにゃりと歪み、視界がくらりと反転し、身体がふわりと浮くような感覚に襲われた。
目を閉じて、開いた次の瞬間には、私は見知らぬ場所にいた。
これが転移する、ということなのか。それで、ここはどこなのだろう。何のためにここに連れて来られたのだろう。
答えを求めるように隣にいるデピラ・アセズを見上げると、彼は私にしっかりと目を合わせた。
「こちらで暫くお待ちください。上の者を呼んで参ります」
「…………うん」
上の者、って誰だろう。何を言われても、何をされても、疑問と不安しか浮かばないのだが、取り敢えず悪い感じはしなかったので、頷いた。
私がしっかりと頷いたことを確認した彼は、すたすたと立ち去って行った。一人、ぽつんと取り残された私は、この暇になった時間を使って、これまで放置していた疑問について考えることにした。
まず、ここはどこだろう、と周囲を観察する。
先程までは土と血の匂いが充満した薄暗い洞窟にいた。じっとりじめじめとしていた洞窟だったのだが、この部屋は澄んだ空気で満たされている。さっぱりとした普通の、いや何か、木を焚いた煙のような匂いもするな。
ここはどこかの建物の中の広間の一つのようだが、窓がないので、今の日時も、建物の場所も分からない。まぁ、窓があったとしても、外の景色は見慣れないものだろうけれど。
広間の天井は高く、丸い。四隅の柱がそのまま、半円状の天井に伸びている。四つに分かれた天井にはそれぞれ絵が描かれているのだが、何の絵なのかは分からない。
壁は少し黄みのある白色で、のっぺりとした重たさが感じられる。柱は白灰色で、簡素な彫刻が施されている。
その柱には燭台が取り付けられていて、黄色の蝋燭には橙色の炎が灯されている。この部屋は、壁や床の材質の所為か、四隅にしかない蝋燭の灯りだけでも、十分に明るい。
調度品は一切なく、この広間が何のための部屋なのかは読み取れない。床には深い青色の石が細かく綺麗に敷き詰められている。
一面、群青色に見える床石は、角度を変えると、一部の石が青緑色に見えることに気が付いた。その青緑色の石によって、精緻な美しい模様が描かれている。
そうして改めて部屋全体を見回すと、簡素に見えていたのが、一気に華やかになったような気がした。
私の正面にある壁の一部は、他とは材質が異なるようで、同じ色でも質感が違う。その境界を目で追うと、そこに扉があるのだと分かった。デピラ・アセズはこの扉からどこかに行ってしまったようだ。
両開きで背の高い扉は、果たして一人ですんなりと開けられるものなのだろうか、と疑問に思ってしまう。もし一人で簡単に開けられないような扉であれば、私はここに閉じ込められたことになるのだが。
そう考えて少しの警戒心が湧いて来た。
うーん、呑気だな。
警戒心を抱くのが遅すぎるし、抱いたその警戒心も強いものではない。
まぁいいか、とやはり楽観的になってしまう自分に、何だか諦めがついた。いくら想像を膨らませ、可能性を考えても、何も分からない現状では、心が疲れるだけだろうから。
何も分からない、というところに思考が向いたことで、私はこれまで放置していた自分のことについて、考えることにした。
まず、真名。真名は名前のようなものだと思うが、名前ではない気がする。それでも、オディデ・ルヴェファという真名が私のことを指しているのは分かる。
これも不思議なことで、自分に名前がないことも分かるし、そう思っていることにも不安はない。不安に思わないという謎の安心感を胸に、私は更に考えを巡らせる。
ここには、デピラ・アセズが言った通りに、転移をして来た。何かを呟いていて、何かをしたようだった。私の方でも、何か気力のような、元気のような、何かが失われた感覚があったから。
その前は、あの洞窟に居た。気が付いた時には、あの二人が目の前に跪いていて、話しかけられた。その前のことは覚えていない。もしかしたら、その前のことは、あの二人の方が知っているのかもしれない。
少なくとも私は何も覚えていない。思い出そうとしても、何も出て来ない。というか、頭が真っ白になる。そしてまた、不安はない。
なぜ不安にも思わないのか。その理由を考えてみたのだが、逆に何で、不安を覚えなければならないのか、という気さえしてきた。それが当然で、それしかないものに、それでもと考えることはない。
そんな風に雑に納得したところで、広間に一つしかない、デピラ・アセズが出て行った扉が開かれた。




