29.初めての授業
翌朝。カーテンの隙間から射し込む朝日で、私は目を覚ました。
昨日は談話室で皆とお茶を飲んでいたところまでしか、記憶にない。自分で部屋に帰った覚えがないのに、ここは確かに私に用意された部屋だ。
初めて見る寝台の天蓋の中からの景色に、一瞬何処にいるのかと思ったが、私の部屋だと分かって良かった。
しかし、誰かが運んでくれたのだろうか。
私にはかろうじてルクスが触れられるくらいだ。まさか、ルクスが無理をして運んでくれたのだろうか。
いやでも、魔力制御を習ったから…………
いやいや、魔力制御って寝ている間も出来ているのだろうか…………
寝起きの頭でそんなことを考えながら、うつらうつらとしていると、寝室の扉がノックされた。私は何とか、寝台の上で上半身を起こす。
「…………はい」
「失礼いたします。オデット様。おはようございます」
「おはよう、カルメ」
昨日と変わらないカルメの服を見て、私はふと、自分の服を確認した。
…………うん。昨日、着ていたドレスは見事にしわしわのくちゃくちゃになってしまっている。
「オデット様。お仕度を致しましょう」
「うん」
私は早速、カルメが持って来てくれた新しい服に着替えた。
今日は黄色の布地に生成り色の刺繍が入ったロープとドレスだ。
顔を洗ったり、髪を櫛で梳かしたり、と準備ができたところで、私はカルメに連れられて食堂に向かった。
食堂には既にルクスとジュネたちが来ていたので、私はもしかして、来るのが遅かったのだろうかと、不安になる。待たせてしまっていたのなら、申し訳ない。
そんな気持ちで席に着き、ルクスたちにもおはようと挨拶を交わす。
「それでは皆様、頂きましょう」
「いただきます」
そうして頂いた朝食は、ブラカが担当だったのがわかるくらいに、豪華というか重いというか、量としてはちょうど良いのだが、寝起きの身体で食べるには少々体力を使うような料理だった。
そんな朝食を食べ終える頃には、頭も身体もしっかりと起きることが出来たので、ある意味、目が覚めるような朝食だったと言える。
談話室に移動して、食後のお茶を飲んでいると、ルクスに気遣うような視線を向けられた。
「オデット様。昨晩はよく眠れましたか?」
「うん。この部屋で寝ちゃった?」
「はい。途中から眠ってしまわれたので、カルメが寝室までお運びしました」
「カルメが?」
その言葉に私は驚く。てっきりルクスが頑張って運んでくれたのだと思っていた。
だって、そもそも、私にはルクスくらいでないと触れられないはず。
いや、魔力制御をしていれば、誰でも問題なく触れられるんだっけ?
でも、寝ている間も魔力制御が出来ていたということだろうか。
「寝ている間も魔力制御が出来ているの?」
「はい。私の体感では、今は2200くらいだと思いますよ」
その言葉に私は驚いた。やはり魔力制御はずっと出来ているんだな。
しかし、昨日は100まで抑えることが出来ていたのだから、少し緩んでいると言えば緩んでいる。
また2200から、頑張らなければならないのか。ちょっと残念だな。
それにしても、2200くらいであれば、カルメは触れられるのか。
カルメの魔力許容量がどれくらいなのかは知らないが、私に触れられる人間がいるということが少し嬉しかった。
「焦らなくとも大丈夫ですよ。通常は意識を失ったり、眠ったりしてしまうと、元の値まで戻ってしまうのですが、オデット様は2200程度で維持できています。昨日の魔力制御の習得も早かったですし、今日も維持できています。これは凄いことですよ」
「うん。ありがとう」
ルクスに褒められて嬉しくなったし、俄然やる気が出て来た。
今日も頑張ろう。
そんな私たちをジュネは難しい表情をして見守っている。その理由は聞かないでおこう。私の魔力制御か、ルクスの授業か。そのどちらかに普通ではない部分があるのだろうから。
「今日は何をするの?」
私はわくわくとした気持ちをそのまま表情に出して、ルクスを見つめた。
昨日のカルメの常識の勉強は中断してしまったし、魔術計測や洗礼などのやらなければならないことがあるかもしれない。それに何より、魔力制御の続きがしたいのだ。
ルクスはそんな私を見て、ふふふっと笑い、口元に手を当てて考え込んだ。
「そうですね…………午前中は、まずはカルメの授業です。途中から私の手が空けば、魔術に関することを致しましょう。午後からは急な予定が入らなければ、魔術と魔力制御の続きが出来ますよ」
「魔力制御!」
「はい。魔力制御は魔術を行使する上でも重要な要素ですから、基礎はしっかりと身に付けておきましょうね」
「うん」
「ルクス様?お分かりかと思いますが、本日も多くの書類が届いております。まずはそちらを処理して頂きますからね?」
お互いに魔術に関することに気合を入れている私たちを見て、ジュネが牽制してきた。
その慣れたような言い方に、もはやこれがジュネの主な仕事なのではないのか、と思ってしまう。
「分かっています」
「ジュネはルクスの部下なの?」
「はい。協会長付きの補佐官です」
「偉い人なんだね」
「そうですね」
何となくで述べた私の曖昧な感想に、ルクスとジュネは微笑まし気な目をして笑った。
そんな目をされても、私には偉いんだろうな、ということくらいしか分からないのだから仕方ない。
ルクスがどのくらい偉いのかも、まだあまり実感できていないのだから。
でも、協会内を歩いているとほぼ全員がこちらに気付き、礼をしたり跪いたりするのだから、やはり相当偉いのだろう。
ほぼ、というのは偶に、ふらふらと明らかに体調が悪そうな感じで歩いている人や、すれ違う一瞬だけ一礼して直ぐに走っていくような急ぎの用事がありそうな人がいるからだ。
前者については誰も何も言わないし、特別な反応を示さないので、気に掛けるようなことではない、よくあることで理由もわかっているのだろう。
そして、後者についても、態々急いでいる人を止めて、きちんと礼が出来ていないと咎めるような心の狭い人はここにはいないようだ。
ルクスの執務室にやって来た私は、昨日よりは幾分か少ないものの、それでも大量に積み上がった書類を横目に、ルクスたちと別れて、カルメと一緒に続き間の小会議室に入った。
ルクスたちの仕事の早さを思えば、問題ないだろうと思える。ルクスは午前中でも手が空けば、と言っていたくらいなので、あの量の書類は集中すれば、直ぐに片付けられる程度なのだろう。
私は昨日と同じ椅子に座り、紙とペン、インクを用意した。その間に、カルメは私の目の前に世界地図を広げた。
「それでは、昨日の続きから。まず、王国内の領地と領都の名前をお教えします」
「うん」
そう言うと、カルメは世界地図の上に、王国のみがより詳しく書かれた地図を広げて重ねた。
「王国は、九つの領地に分かれています。王都センテがある領をウェスタ領と呼び、ここは王家直轄領です。その東隣に協会本部があるミーレ領があります。ミーレ領の領都はマギシアです。ミーレ領のさらに東には、セタ領があり、領都はリタフォーレ。王国の中で北西にある領がノルフウェサト領で、領都はサノフィーデ。北にある領がノルフ領で、領都はサノトワ。北東にある領がノルヘサト領で、領都はサノフォーレ。南西にある領がソツウェサト領で、領都はセアトワ。南にある領がソツ領で、領都はマルシィラーナ。南東にある領がソツヘサト領で、領都はヴァイロスです」
カルメが九つの領地をそれぞれ指で円を描くように囲み、領都の位置を指先で指し示す。私は、それを紙に大雑把に写して書き込みながら、覚えた。
「それぞれの領地に領主が一人?」
「はい。そして各領地には更に細かく町や村があり、それぞれに町長や村長といった責任者を置いて、ある程度の統治を任せています。大きな街であれば、代官と呼ばれることが多いですね。それらを取りまとめ、領地全体を運営するのが領主です」
「町や村はどのくらいある?」
「そうですね…………このミーレではマギシアが一番大きな街になります。その他にここより少し小さな町が三つ、その他に大きめの町は10程度、村は100以上はあるでしょうか」
「そんなに?」
「村というものは、大抵は40、50人規模のものから300、400人規模のものまで様々あります。隣の町や村まで一日かかるくらいの離れた場所にあったり、それほど時間をかけずに立ち寄れる身近な場所にあったりと、色々な場所にあります」
カルメは町や村の大きさや人口などについて教えてくれた。先程の領地の名前や領都の名前以外にも覚えることが多く、紙に書いて、後から思い出せるようにはしているが、直ぐに全てを覚えるのは無理そうだ。
「色々ってことだね」
「はい。色々あるので、全てを語るには時間が足りません。その町や村を訪れることになった時にそれぞれについて知っていくと良いと思います」
「うん」
「それでは、各領地の特産品を…………大丈夫ですか?」
「ちょっと待って。覚えきれる気がしないんだけど」
「そうですね。一度にお話しし過ぎました。休憩に致しましょう」
カルメの提案に私はほっとして頷く。ちょうど一枚目の紙がいっぱいになったところだった。
覚書を見て、色々教わったなぁという達成感と、こんなにも覚えなければいけないのかという絶望感に見舞われる。
まぁ、少しずつ、覚えていこう。
ペンとインクを片付け、覚書の紙を手にして、私はルクスの執務室に戻り、長椅子に座った。
突然執務室に戻って来るなり、静かに長椅子に座った私を見て、ルクスとジュネは顔を見合わせていた。
しかし、私は少し疲れてしまったのです。
そんな少し投げやりな気持ちになっていると、仕事が一段落したのか、ルクスが向かいの長椅子に座った。
「オデット様。お疲れ様です」
「うん。ルクスたちもお疲れ様」
私は手に持った覚書から視線を上げて、ルクスに返事をする。
私が見ていた覚書をちらりと見て、ルクスはどうかしたのか、と問いかけるように首を傾げる。
「はい、これ」
私がその覚書を見せると、ルクスたちは得心したような表情を見せた。
「王国の領地と領都についてお勉強されていたのですね」
「ルクスは町とか村の名前まで覚えてる?」
「流石に全部は覚えていませんが、行ったことのある場所は何となく、覚えていますよ」
「それは何個くらい?」
「え、さぁ、数えたことがないので…………」
私の表情や口調から何かを察したのか、ルクスは具体的な数字を出さなかった。
うーん。やはりルクスは賢い。




