2.魔術地震(閑話)
二つ目の前日譚です。
サタロナ王国の最東端にある広大な森。
最果ての森と呼ばれるその森の入り口には、王国が国境を管理するための砦と魔術師協会の支部がある。
二つの建物はそれぞれに兵士と魔術師が常駐しており、この二つの組織が一体となって最果ての森と国境を管理している。
ある日の夜明け。空が白み、山から日が覗いて来た頃。
最果ての森とその一帯を大きな揺れが襲った。
砦と支部も突然の揺れに襲われ、その場に居た者たちは前代未聞の事態に慌てふためいた。
その魔術師協会の支部の長である私は、寝起きのぼんやりとした頭で身支度を整え、朝食に向かおうとしているところだった。
激しい縦揺れに私は思わず、地面に手をついて耐える。ついでに周辺に意識を巡らせて、この揺れの原因を探る。暫くして揺れが収まったことを確認した私は慎重に、しかし素早く立ち上がって支部の執務室に急いで向かった。
執務室には既に部下たちが集まっており、私は早速、被害と現状の報告を聞き、指示を出した。
一通り指示を終えたところで、今度は部下たちに揺れの原因は、原因への対処は、と問い詰められる。それらの詰問にこれから行く、とだけ答えて、私は皆を振り切るように執務室を出た。
砦と支部の中間地点より、やや支部寄りの場所で、砦の責任者である騎士と合流した。
伊達に長く付き合っている訳ではないので、お互いが部下にどのような指示を出して来たのかは想像がついている。このような事態は着任して初めてのことだが、やることは決まっている。
「原因は?」
「分からない。だが、揺れの発生源は森の奥だ」
「そこまで案内してくれ」
「あぁ」
私たちは挨拶を交わすこともなく、情報を共有しながら、目的地へと足早に向かう。その道中でお互いが部下に出した指示も共有して、取りこぼしがないことを確認する。
情報を共有してからどちらかに合わせて指示を出す、という工程を経ない分、対応の素早さには自信がある。
騎士は森へ入る人を止め、森から魔獣が出て来た際の防衛を、私は森から逃げて来た人たちの保護と、森から出て来る魔獣の討伐を指示した。
揺れの発生源に向かう途中で、逃げ惑う魔獣たちを幾度も見かけた。急いでいるので出来るだけ交戦は控えたが、興奮して執拗に襲ってきたものについては手早く討伐する。
私たちは敢えて転移魔術を使用せず、身体強化をして走っている。
理由は最果ての森の地盤の弱さと揺れによる被害を警戒しているからだ。
私の案内で揺れの発生源と思われる洞窟の前に辿り着いた。そこからはまだ、揺れを起こしたと思われる存在の、大きな魔力が感じられる。
何かがいる。騎士に警戒を促すと、騎士も顔を顰めていた。
「気を付けろ。血の匂いだ」
「分かった。…………中に入るぞ」
もしや、転移で大きな魔力量の存在がやって来たのだろうか。この森への転移は禁止されているので、それが人間であるのならば取り締まらなければならない。
それとも何かが魔力暴走でもしたのか。それはそれで対処が面倒だな。だが、私たちは偵察が目的だ。二人で対処できそうであれば対処もするが。
緊張感を孕みながら魔術の光球を一つだけ浮かべて、私たちは洞窟の中に入った。中に入って直ぐに私にも血の匂いが漂っているのが分かった。
それほど深さはなく、直ぐに最奥までたどり着いた私たちは、目の前の光景に息を呑んだ。
手前には地面に倒れている二人の男。この二人からは大量の血が流れ出ている。
騎士に確認するように視線を向けると、首を横に振られた。既に死亡しているらしい。
うん、よくよく調査しなければならないな。
厄介な仕事を抱えてしまったところで、私はそれまでなるべく意識しないように避けていた最大の問題、大きな魔力の源へと視線を向けた。
洞窟の奥、地面に大きく描かれた精緻な魔術陣の上に、華奢な体躯の少女が一人、途方に暮れたような表情で魔術の光球を眩しそうに見つめている。
私たちの存在には気付いていないようで、どこか呆けているように見える。
その少女の姿を見て、私たちは驚き固まった。
呆然として動きの鈍くなる身体を叱咤して、私は少女と視線が合う前に跪いた。
私がいち早く跪いたのを見て、騎士もはっと我に返って跪いた。
そんな騎士の顔には何が何だか訳が分からない、と書いてある。
冷や汗を垂らしながら私に向けて任せたというように頷いた騎士を見て、私は苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めてしまった。
確かに魔術階位は私の方が上なので、まだ私の方が交渉の余地があることは分かる。流石にこの少女に触れることは無理だが、会話くらいはできそうだった。幸いにも。
「名を、いえ、真名を、お聞かせ願います」
魔力量の大きさに苦しみ喘ぎ、緊張で震えながら絞り出した声に、少女ははっと我に返ったようだった。
そして私の言葉を嚙み砕き、答えを探すように視線を彷徨わせてからぽつりと呟いた。
「真名?…………オディデ・ルヴェファ」
名ではなく真名を聞いたのは、大体の魔術階位を把握するためと、悪意があるかを確認するためと、名付けの儀式をまだ行っていない可能性を考えてのことだった。
後になってこの時の判断は正しかったのだと知るが、今の私はただ直感に従っただけだった。
「ルヴェファ様。拝顔の栄に浴しましたこと、身に余る光栄に御座います。私はデピラ・アセズと申します」
「ルヴェファ様。お初にお目にかかります。ブラス・ホネテと申します」
私の名乗りに背中を押されたように、騎士ブラスが名乗る。
見た目の年齢が10歳程度の少女に対する話し方ではない、ということはよく分かっている。しかし、これほどの魔力量の持ち主に、何かが原因で機嫌を損なわれでもしたら、私たちは死ぬ。精神的にではなく、物理的に。
幸いなことに、少女とは対話が可能で、こちらの言葉も理解できて、そして不機嫌でもないようだ。
これほどの幸運が重なるとは、もしや一生分の幸運が今、集中してしまっているのだろうか。
いや、こんなマイナスがゼロになるというような幸運の使い方はあまり嬉しくない。どうせなら、ゼロがプラスになるような幸運が欲しい。
選り好みするなんて不運な人に恨まれそうな話だが、同じ状況に陥ればその人も自分の幸運の使い道について不安になってしまうだろう。
そんな現実逃避は、目の前の少女の言葉によって打ち切られた。
「デピラ・アセズ。ブラス・ホネテ」
確認するように小さく呟かれた己の真名に、私たちは衝撃を受けた。
魔力量が多い、魔術階位が高い者に真名を呼ばれるということは、祝福や呪いに繋がりやすい。少女の表情を見ると、そんな常識すらわかっていないようだった。
まぁ、幸いにも祝福も呪いも込められていなかったので問題はないのだが、それよりもこの少女の方が問題だろう。
恐らくこの少女には記憶がない。何もこちらに問いかけたり、訴えかけたりすることもない様子を見るに、自分の置かれた状況が分かっていないのだろう。
突然現れた記憶のない人間、と聞いて思い浮かぶのは召喚魔術だ。
どのような術式で召喚されたのかは、この地面の陣を詳しく調べなければ分からないが、大方この二つの死体は不足していた魔力を補うためのものだったのだろう。
魔力不足の召喚魔術では、欠損が発生することが多い。
欠損には手足、記憶、衣服、持ち物、と段階があるのだが、少女を見るに持ち物、衣服、記憶がない。五体満足であるのが幸いか。
何というか、今日は本当に幸運が重なるなぁ。
取り敢えず、召喚されたにせよ、魔力不足の欠損があるにせよ、これほどの高階位の人間は私たちの手には負えない。保護するにしても、故郷に送り返すにしても、情報も伝手も足りない。
ということで、このようなことは上司に投げるに限る。それも出来る限り遠くの、だ。
私は取り敢えずの方針を急いで立てて、ブラスの方をちらりと窺う。
ブラスはこの少女に真名を呼ばれた衝撃から立ち直れていないようだった。
うーん、彼にこの少女を任せることは出来なさそうだ。
そう判断した私は、未だにぼんやりとしている少女に声をかける。
「ルヴェファ様。私に貴女様と共に、転移することを許可して頂きたく存じます」
「転移?許可?」
記憶がない所為か、それは何だろう、と首を傾げる少女に私は言葉を続けた。
「お許し頂けるのであれば、許す、と仰って頂ければ、私がお連れ致します」
「許す?」
まずは大きな魔力圧を出している少女を、より地盤が頑強な場所へ移さなければならない。そしてなるべく秘密裏に対処した方が良いだろう。この少女を支部に連れ帰ったら大騒ぎになる。
こちらに聞き返すように言葉を繰り返した少女に私は頷いた。
強引に許可を捥ぎ取った形だが、疑問形であっても許すは許すだ。
記憶のない少女に、魔術師相手ではそのようなことにまで気を付けるべきだったのだと言うのは酷だが、今回はそれが自分に有利に働いてくれたのだ。この不誠実さには目を逸らすことにする。
「ありがとうございます。…………ブラス、後は頼む」
「あ、あぁ。頑張れよ」
よくそんなことができるな、という恐れの目で見られたが、お前の方こそいつまで呆けているのだと軽く睨む。
そんな私の表情を見て、頬を引き攣らせたブラスは自分の役割を思い出してくれたようで、二つの死体に向かって行った。それを横目に私はルヴェファ様に近付き隣に立った。
「それでは、転移します」
素早く詠唱をして、魔術師協会の本部の転移の間に移動する。ここの転移の間ならば、ルヴェファ様の大きな魔力でもそうそう揺るがないだろう。
それに何より、私がこの少女のことを投げれる相手で一番偉いのは、ここの長なのだ。
次話から本編が始まります。




