13.名と階位
これで洗礼の儀式は終了かなと思い、私は入り口近くで待ってくれているルミエたちの元に向かった。
ルミエたちもこちらに歩み寄ってくれたので、私は早速話しかけようと口を開いた瞬間、ルミエたちは私の目の前に跪いた。
開いた口を閉じて、何をしているのだろうと見守っていると、ルミエは優しい笑みを浮かべてこちらを見た。
「名をお聞かせ願います。オディデ・ルヴェファ様」
それは最初に出会った時と似たような言葉だった。
たった数時間前のことだが、遠い昔のことのようにも思える。
それでいて、たった一文字の違いで含まれる意味が全く異なるのだから奥が深い。
何だか、真名だったり名だったり、名前を聞かれることが多いな。まぁ、私には今日の記憶しかないのだけれど。
そんなことをぼんやりと思いながらその言葉に応える。
「私の名は、オデット・ネヴァフ」
「オデット・ネヴァフ様。魔術師協会の協会長として、貴女様が洗礼を迎えられたこと、心よりお喜び申し上げます。貴女様のこれからに神の祝福があらんことを」
「オデット・ネヴァフ様に神の祝福を」
ルミエの言葉を復唱して、ジュネやカルメたちが祝福の言葉をかけてくれた。
これは、洗礼を終えた人に向ける定型文のようなものらしいが、私には定型文でも祝福してくれたこと、祝福してくれる人が居るということが嬉しかった。
しかし、その言葉に心の奥の扉がかたりと反応したような気がするが、気のせいだろう。
寵愛と祝福は違うはずだ。
洗礼を終えたことで、漸く自分がここに根付いたような、地に足が付いたような感覚を得た。
ここで洗礼をしたということが、私の物語の始まりになりそうだ。
それは、この世界で最高位とされる少女のひっそりとした洗礼の儀式だった。
「ありがとう」
祝福の言葉を言って貰えた私は素直にお礼を言った。どんな理由であれ、嬉しかったのは事実だからね。
私のはにかんだ笑みを見て、微笑まし気な空気になったルミエたちに、私はどこか恥ずかしくなる。
そろりと視線を逸らすと、ルミエは更にくすりと笑って立ち上がった。それに合わせて、ジュネたちも立ち上がる。
「無事に終えられたようで何よりです。オデット様」
「あ!名前?」
ルミエがさらりと口にした名前に、私は一瞬聞き流してしまいそうになり、少し遅れて追い付いた思考で驚く。
「はい。名は真名に紐づくものではありますが、そこに含まれる魔力は真名に比べれば格段に少なくなります。ですので、多くの者が名前を呼べるようになります。…………カルメ」
「はい」
ルミエに名を呼ばれたカルメは一歩前に出て、意を決したようにこちらを見た。
「オデット様」
はっきりと私の名を口にしたカルメに私は呆然としてカルメを見つめた。
この人からは一生名前を呼んでもらうことはないだろうと、真名の話を聞いた時に思ったのだが、それが今は名とはいえ、名前のみで呼んで貰えている。
そのことに嬉しさが堪えきれず、私は頬を緩めた。
そんな私の様子を見て、何故かルミエたちも嬉しそうに微笑む。
「そういえば、真名の意味は分からなくてもいいの?」
「文字を読めることはできましたか?」
「うん」
「でしたら、問題ありませんよ。自分が知らない言葉が出てくることはあっても、意味のない暗号のような文字列になることはありません。また、そこに込められた意味が理解できないということも珍しくありません。有名な諺に、罪人の真名は罪人ではない、というものがあります。この諺をもじって罪人の部分に異なる言葉を入れることも多いのですが、つまり罪を犯したからと言って、罪を犯すように生まれて来たのではない、ということですね」
「真名の意味とその人は関係ないの?」
「その分野の研究によると、その者の魔術適性を現しているという説、その者の人生を表しているという説など、色々とありますがどれも魔術的な根拠はありません。何せ、真名の意味に関わることですから、例が少ないのです。その人の死後に真名の意味が明らかになれば、研究材料として使えるかもしれませんが、真名の意味を書き残す者などはほとんどおりませんし、それが正しいものであるかの証明もできませんからね」
「確かに」
つまり分からない、と。
真名の意味の大切さを思えば、研究が進まないのは分かる。ということであれば、これはそのまま放置して良いのだろう。
真名の意味を何かに使うということはないようだし、意味が分からなくても、そんなものかと思っていれば良い。
「あ、ルミエにも名があるんだよね?」
「そうですね。まぁ、私は協会長と呼ばれることが多いですが」
「ルミエの名は秘密なの?」
「いえ、そういう訳ではありませんよ…………ただ、呼ばれ慣れていないので…………」
どこか気恥ずかしそうに視線を逸らすルミエに、私は悲し気な表情を作って見せる。
私には教えてくれないのだろうか。それとも、それほど親しい関係にはなりたくないと、言外に断られているのだろうか。どちらにしても、悲しい。
ルミエがそのつもりなら、私もあまり踏み込んだことは言えないな。
教育係を務めてくれると言っていたけれど、もっとさっぱりした関係になるのだろうか。
ぐるぐるとそう考えていることが分かったのか、ジュネやカルメに非難するような視線を向けられたことに気付いたのか、はっとしたルミエは少し躊躇ってから名乗ってくれた。
「…………私はルクス・プリンシピウムと申します」
「ルクス?」
「はい…………」
やはり名前で呼ばれるのが、恥ずかしいようだ。何故か、名前を呼んだだけで頬を赤らめ視線を逸らしている。
何だか、こちらが悪いことをしている気分になってしまうが、ただ名前を呼んだだけだ。普通に。
しかし、私の心はそんなルクスを可愛いと思ってしまった。
「ルクス!」
はっきりと元気にそう呼んでみると、うぐっとルクスは更に顔を背けた。
「ルクス?」
そんなに恥ずかしいのかな、と今度は問いかけるように名前を呼ぶと、ルクスは顔を下に向けて心を整えるように深く溜息を吐いた。
何だこれ。名前を呼んでいるだけなのに、面白いぞ。
そう思った私は、再び、ルクスの名前を呼ぶ。
「ルクス!」
しかし、そこでルクスの限界が来てしまったのか、キッと決意に満ちた表情でこちらを真っ直ぐに見たルクスは若干震えた声で私を制止した。
「オデット様。どうかお止め下さい」
「うーん?」
こんなに面白いのに?止めちゃうの?と首を傾げると、ルクスは必死にこくこくと頷いた。
その切実な表情を見て、私は仕方ない、終わるかと黙って頷いた。
そんな私たちの様子を肩を震わせながら見守っていたジュネは、ルクスに鋭い視線を向けられて咳払いで誤魔化していた。
「それでは、オデット様の魔術計測に映りたいと思います」
ルクスの真面目な声音に、私も気を引き締める。
儀式を行った広間を出て、先導するルクスに付いて行き、やって来たのは、少し狭い個人の私室というような雰囲気の応接間だった。
聞けばここは、協会内でルクスが持っている研究室だと言う。
私的と言えば、私的な空間なのだが、護衛や従者が入ることも多いそうで、応接室のソファでルクスの説明を聞きながら、待っている私たちに必要な道具を持って来てくれたのも、ここによく出入りしているらしいジュネだった。
カルメも手慣れたようにお茶を淹れてくれている。
研究室とは、この応接室、隣の実験室、仮眠室、お手洗いなどといった幾つかの部屋の総称で、それら全てが個人に当てられているものだと聞けば、この本部はどれほど広いのだろうかと驚いてしまう。
直ぐに、こちらに戻って来たジュネは両手に幾つかの箱を重ねて持って来た。それらを私たちの目の前に置き、中身を広げていく。
一つは透明な硝子か水晶のような物でできた球体。
一つは時計のように針がぐるりと動く計測器が付いた注射針。
そして最後の一つは二つのクリップとそれに線で繋がった箱。
色々と謎が多い物たちだが、特に、針。これは危ない感じがする。何をされてしまうのだろう、と私は生唾を飲み込む。
いや、そう言えば、魔術計測は人生で何回も行うもののはずだから、それほど負担にはならないもののはずだ。
うん、大丈夫なはず。
「まずは魔術階位を測りましょう」
そう言ってルクスが私の目の前に置いたのは、小さなクッションの上に乗った透明な球体だった。
「これは簡単です。この玉の上に手を置いてください」
「分かった」
私は思ったよりも、簡単そうだぞと安心しながら、言われた通りに球体の上に手を置いた。
私が球体に触れた瞬間、中心から白い光が生まれ、それは徐々に大きくなり、最終的には玉全体が白く眩く光っている。不思議とその光に温度はなく、唯々手の下には球体があるだけだ。
私は球体に手を置いたまま、ルクスをちらりと窺う。
ルクスは一緒に箱に入っていたと思われる古びた説明書のような紙と球体を見比べている。
これは、見た目で判断するんだな。数字とかではないのか。
そんな微かな驚きを抱いている間に、私の魔術階位が分かったようだ。
「もう手を離しても大丈夫ですよ」
その言葉に従って球体から手を離すと、白い光は徐々に小さくなり、やがて最初に見た時と同じように完全に透明になった。
「魔術階位は、完全なる白、ですね…………まさか、この目で見ることが出来るとは…………」
「完全なる白?」
ルクスの判定結果にジュネたちが呆然としているのが、伝わって来る。
「はい。こちらに対照表があります。例えば、緑階位の中でも、黄緑、完全なる緑、青緑、というように種類があり、階位が分けられています。白階位の場合は完全なる白、白銀、黄みのある白、の順です」
なるほど。もしかしなくても、一番上なんだな。
瞳の色で言ったら白銀くらいの階位かもしれないが、髪色は完全に白だからなぁ。
球体に出た色で判定しているようなので、髪や瞳の色では精確な階位は測れないということなのだろう。
この球体に出るのは、私の魔力とか魔術とかの色なんだろうな。
何となく、これって凄いことなんだろうなぁ、と感心している私とは違い、ルクスやジュネたちは真剣な表情だった。
そこには諦観や葛藤が窺える。私の階位を見て、真実を知りたくなかった、認めたくないというような表情だ。
何か、ごめんなさい?
「それでは、次に参りましょう」




