"Kickstart My Heart"
ごっ、ごっ、という鈍い音と、車に轢かれた猫が上げる様な声が断続的に聞こえる
僕はそれを押し入れの中で聞いていた
押し入れの襖は少しだけ開いていて、そこで何が行われているのかが視える
この音は『 』君がお父さんから殴られる音と、殴られた彼の口から洩れる声だ
しばらくすると『 』君は悲鳴を上げる事もなくなり、身動きもしなくなった
お父さんは、その後も怒鳴りながら彼を蹴飛ばしたり踏み付けたりしていたが、急に静かになると『 』君に馬乗りになった
──何をするつもりなんだろう
僕は何が起こるのか気になった
本当は今すぐにでも飛び出して『 』君を助けるべきだったんだろうけど、僕みたいな子供が何かを出来るとは到底思えなかった
お父さんは『 』君の服を素手でびりびりと破くと部屋の隅に投げ捨てた
他のものも乱暴に脱がせて投げ捨てる
すぐに『 』君は、何も着ていない姿になった
痩せた躰の表面にいくつも紫色の内出血が視えて、僕は「『 』君が死んでいませんように」と泣きながら思った
かちゃかちゃと音がする
お父さんがズボンのベルトを外す音だった
お父さんが自分のズボンを下げる
具体的にどんな事が起こるのかは少しも解らなかったけど、何か大切なものが汚されてしまう様な気がした
僕は急にお父さんが許せなくなって、頭が真っ白になった
怒りのままに押し入れを飛び出す
お父さんは少し驚いた様子だったけど、すぐ無表情になると僕の鼻の少し下辺りを思い切り殴った
僕の飛び出した勢いもそのまま乗った拳が、顔に突き刺さった
「なんだお前は」
お父さんが倒れた僕を蹴り飛ばし続ける
何処が痛いのか解らなくなるくらい全身が痛んだ
僕は痛みで頭がいっぱいになって他の事が何も考えられなくなりながら、両眼を固く閉じてぼろぼろと涙を流した
躰中が熱くなって、だるくなっていった
お父さんは動けなくなった僕を無理やり仰向けにすると、服を脱がせようとした
きっと『 』君にしようとした事を、僕にするに違いなかった
でも、良かった
「僕がされる方が絶対に良い」
意識はぼんやりとしていたけど、僕はそう強く思った
お父さんが近付いてくる
眼はもう視えて無かったけど、熱くて湿った息が顔に近付いてくるのが解った
僕は何をされるんだろう──
しかし、次の瞬間に聞こえたのはお父さんの苦しむ声だった
眼を開ける
ぼんやりとしか視えないけど、お父さんの近くに誰か居た
それが『 』君である事がなんとなく解った
少しして視界が戻ってくると、『 』君が血の付いた包丁を持っているのが視えた
直ぐに『 』君が殴り飛ばされる
『 』君は壁に叩き付けられて、それからうつ伏せに床に倒れた
持ち主の手から離れた包丁が僕の足元に落ちた
包丁を視る
「僕は人を殺せるのだろうか」
でも、「今やらないと絶対に後悔する」という確信が有った
実のところ、それが僕の本心の総てだった
その瞬間が、スローモーションの様に僕には思えた
僕は両手で包丁を握り締めると、こちらに背を向けているお父さんに突き刺した
一回じゃ足りない
絶対に死なせないと、僕も『 』君も殺される
何度も突き刺すうちに、血が僕の顔や少し破けた服を濡らしていった
刃を通して肉の弾力が伝わってきた
それは刺せば刺すほど弱まっていって、ある瞬間から包丁は何の抵抗も無く突き刺さる様になった
「多分その時、お父さんは死んだんだ」僕は思った
部屋の総てが血でいっぱいだった
僕たちは一言も話さずに破れた服で血を拭い、箪笥から着替えを出して新しい服を着た
二人とも疲れ切っていた
お父さんの服を漁ると、だいたい六千円くらいのお金が手に入った
『 』君の話によると、お父さんは働いてないからこれが全財産みたいだった
「もう何処にも行けないね」
泣きながら『 』君が言う
僕は「何処にでも行けるよ」「一緒に、何処にでも行こう」と答えた