ぶつかったのは女性幹部!? わたし、領地問題に首を突っ込んじゃいます!②
お茶会の日。約束の時間が近づき、わたしは館の奥にある小さなサロンへ向かう。ここは外部の客人を迎えるほどの広い部屋ではないけれど、エイヴンフォード家の内部スタッフや、内々の用事で来る参与たちとの打ち合わせに使われる、気軽なスペースだ。
ドアを開けると、すでに中にはシルフィーナの姿があった。彼女は黒に近いダークグリーンのジャケットに同系色のパンツを合わせた、きりりとした装いで、胸には家紋の付いたバッジを付けている。腰回りに細いベルトがあしらわれていて、やはり洗練された雰囲気を醸し出していた。
「あ、お嬢様……いえ、エリシア様、こんにちは。お招きいただき光栄です」
彼女は椅子から立ち上がり、丁寧に一礼する。外からの客人に比べればカジュアルな挨拶だけど、それでもわたしはちょっと身が引き締まる思い。わたしも慌てて、「いえいえ、こちらこそお越しくださってありがとうございます」と軽く頭を下げた。
サロンにはすでにティーポットや茶菓子が用意されている。メイドのセシルが控えていて、「ごゆっくりおくつろぎください」と微笑む。わたしは彼女にアイコンタクトで「ありがとう」と伝えた。
わたしがソファに腰掛けるのを見届けると、シルフィーナも向かいの椅子に腰を下ろす。こうして落ち着いて向かい合うと、彼女の大人のオーラがますます際立っていて、思わず胸がどきりとする。前世でいうなら、出来る先輩、といった感じだろうか。
「改めまして、今日はご都合をつけていただきありがとうございます。以前ぶつかったとき、少しお話できればと思いまして」
そう切り出すと、彼女は「はい」と微笑む。目元は優しそうだけど、ほんの少しの緊張も見え隠れしている。
「いえ、わたしなどでよければ何でもお答えいたします。……その節は、本当に失礼いたしました。お怪我がなくてよかったです」
「あはは、もう、気にしてませんから大丈夫ですよ。むしろ、わたしがぼんやりしてたんで……」
そんな軽い雑談を交わしつつ、メイドたちがティーポットから紅茶を注いでくれる。爽やかな香りがサロン全体に広がり、ほんの少し張り詰めていた空気が和らぐ。
「どうぞ、お召し上がりください。これは領内で生産されている新種の茶葉だそうですよ」とメイドのセシルが言うと、シルフィーナは「まぁ、楽しみですね」と落ち着いた笑みを見せる。
わたしも紅茶を一口飲んでから、改まって口を開く。
「シルフィーナさんは、このエイヴンフォード家の参与ということですが、具体的にどのようなお仕事をなさっているんですか? もちろんざっくりでいいんですけど……わたし、領地経営のことってよく知らなくて」
すると彼女は少し表情を引き締めて、姿勢を正す。
「はい。わたしは農地改革の一端や、商業都市への出入りを監督する官吏たちを束ねる役目を担っています。農村部と商業部、または新しい技術を導入する際の調整などを行う立場ですね。各地に小さな役所があり、そこに属する官吏を通じて業務を分担していますが……」
話を聞けば聞くほど、内容は多岐にわたる。領地内での税金の管理、村同士の境界の調整、商業都市の取引ルールや安全面の統制、さらに魔法技術の活用による農作物の増産といった仕事まで、まさに多忙を極めるポジションにあるという。
「へぇ……なんだか想像以上に大変そうですね。書類もたくさんありそう」
わたしが素直に感想を述べると、彼女は苦笑混じりに頷く。
「はい、実際に事務作業は日々膨大です。以前お嬢様にお会いしたときも、ちょうど書類を運んでいる最中でした」
そうだ、ぶつかったときに抱えていた書類の束が頭にちらつく。
「そんなに大変なのに、よく女性ひとりで頑張れますね……すごいな」
――わたしが思わず本音を漏らすと、彼女は少し恥ずかしそうに笑う。
「いえいえ、女性だからというわけでなく、もちろん男性の参与も大変なのは同じですよ。実際、女性の参与も何名かおりますし、それぞれ分野が異なるのでお互いをフォローし合っているのです」
「なるほど……」
わたしは内心で「意外と女性も普通に活躍してるんだな」と感心する。もっとも、領地によって差があるのだろうし、ここエイヴンフォード領は比較的リベラルなのだろう。
しばし雑談を続けながら、わたしたちはお茶菓子をつまむ。お菓子はサクッとしたクッキーに果実ジャムを挟んだもの。適度な甘みが紅茶に合っておいしい。
すると、わたしは気になっていたことを思い出し、思い切って彼女に尋ねてみた。
「ところで、シルフィーナさん……最近、領地で何か大きな問題ってありませんか? わたし、いろいろ勉強したいなと思ってて。もし差し支えなければ、話していただける範囲でいいんですけど……」
彼女は一瞬、戸惑ったような表情を見せる。そして「あまりお嬢様を煩わせては……」と遠慮がちに言いかけるが、わたしは手を振って「気にしないで!」と伝えた。
「いえ、煩わせるとかじゃなくて、わたし自身が知りたいんです。いつか領地のことを学ぶ必要があるかもしれないし……」
そう言うと、彼女は「なるほど……そうですね」と納得したように頷いた。
「では、最近の主だった問題の一つを挙げるなら、“土地の権利”に関するトラブルでしょうか。魔法で農地を豊かにしたり、新技術で開拓可能になった地域が増えたりしている反面、土地の価値や取引がどんどん複雑化してきているのです」
土地の権利トラブル……。前世でも聞いたことがあるワードだ。この世界には魔法という要素が加わるから、なおさらややこしそう。
「どんなふうに複雑化しているんですか?」
わたしが乗り出すと、彼女は苦い表情を浮かべる。
「たとえば、一つの土地を所有していると思っていた人が、実はその土地の一部に対して別の血縁者が権利を主張したり、開拓者が『この森はわたしが管理してきた』と別の権利を言い張ったり。さらには、作物の収穫にかかわる権利を複数人で分け合っていたり……。そうした重層的な権利関係があるせいで、いざ売りたいとき、買いたいときにトラブルになるのです。誰の許可を得ればいいのか、どこまでが誰の権利なのか、曖昧な状態が多くて」
「ああ……なるほど。前世でいえば“共有名義”とか“他物権(所有権以外の権利のこと)”が乱立しているような状態、かな」
思わず口にすると、「前世って何でしょう?」とシルフィーナが怪訝そうな顔をしたが、わたしは「あ、いえ、ちょっとした例え話です!」と笑って誤魔化した。危ない危ない。
「それで、土地の取引をしようにも、複雑すぎて踏み切れない人がいるわけですね」
「はい、そうなのです。官吏が仲裁に入って、誰がどの権利を持っているかを洗い出そうとしても、古い文書が散逸していたり、口頭の約束だけで済ませていた時期があったりで、統一的なルールがなくて苦労します。そもそも権利を証明する仕組みが十分に整備されていないんです」
わたしは深く頷く。これは明らかに“法整備が追いついていない”状態だ。前世でも、日本や海外の不動産登記や土地権利関係でいろいろ揉めた話を聞いたことがある。
「なるほど……それは大変ですね。土地の価値が上がっている、これまで、だれも見向きしなかった土地にも価値が生まれているぶん、余計にトラブルが増えていると」
「ええ。魔法による大規模な開墾が可能になったのは喜ばしい反面、そのせいで土地価格が急上昇したり、地主や開拓者が対立したり……。わたしたち参与も、各地域の調整に四苦八苦です」
彼女はため息交じりに話す。わたしはお茶をすすりながら、頭の中で前世の法律知識を反芻する。土地の所有権や、古い抵当権、賃借権などが同時に絡むと大変面倒だった記憶がある。
「そういうの、まとめるのってすごく大変そう。官吏の人たちも、仕事量が増えまくってるでしょうね」
「はい。わたしが管理する官吏たちも、意見が割れてしまうと上手く調整できず、結果的に裁定を請け負う参与のわたしたちに判断が回ってくる。ときには摂政様の判断を仰ぐべき話もありますが……」
「うーん、大変そうですね。それならいっそ、土地の権利に関して、ルールを一本化してしまうとかは……無理なんですかね」
わたしがぽろりと言った言葉に、彼女は「ルールの一本化……ですか?」と首を傾げる。
「はい。例えば、土地の所有や利用に関して、複数の権利を認めずに“これ一本のみ”しかない、と決めてしまう。所有権の他には、これとこれだけ、とか。あとは、その権利を得るとか、移転する手続きも統一して、書面でしっかり管理するとか……。つまり、一つの土地には同じ権利について、一つの権利者しか存在しないっていう制度にしてしまうんです」
実際、前世の不動産登記制度も完全無欠じゃなかったけど、一応公式に「所有権は一つ」などのルールが定められていて、それを超える特殊な権利は認められなかったりした。一物一権主義とかいうものだ。基本的に「誰が土地の正式な持ち主か」は登記で明確にしていたし、独自の権利とかは作ってはいけない、作っても、それは、契約した当事者だけの問題で、第三者に影響は及ぼさない、ということだった。そういうシステムがあれば、少なくとも複雑すぎる混乱は減らせると思う。
もちろん、この世界にそのまま導入できるわけではないけれど、参考になりそうなヒントにはなるはず。
「土地の権利は統一ルールのものだけ、同じ権利は、それぞれ一つだけ……ですか。なるほど……」
シルフィーナは目を見開いている。驚いているというより、検討したことのないアイデアを聞いて衝撃を受けているような感じだ。
「確かに、それなら“あれもこれも”と権利が乱立しにくくなるかもしれませんね。」
彼女は指先でトントンとテーブルを叩きながら、思考を巡らせているようだ。
「ただ、問題は、すでにいろいろな権利形態があることをどう整理するか、ですよね。今までのいろいろな権利主張を、一気に一本化するのは相当大きな改革になりそうですが……」
たしかに、既得権益を持っている人々から反発される可能性はある。とはいえ、今ある権利を取り上げるのではなくて、今後については、この新しいルールだけが適用される、ということにすれば、大丈夫だろう。
「そうですね。過去の権利は一回全部洗い出して、誰がどういう権利を持っているのか確認したうえで、新しいルールに移行する。移行期間を設けて、何らかの補償や転換措置も考える必要はあると思います。とはいえ、わたしは素人なので、あくまで思いつきの提案ですけど……」
あまりにも手ごわいテーマだけど、シルフィーナは妙に目を輝かせている。
「いえ、これは大きなヒントになるかもしれません……。実は以前から、土地権利の乱立を解消するための“基本法”のようなものを作れないか、参加のメンバーで話していたんです。でも、『複雑に絡み合った権利形態のすべてを網羅するにはどうすればいい?』と議論が堂々巡りになっていて……いっそ“一本化”という割り切りをする発想は、確かに思いつきませんでした」
「そう、なんですね……」
わたしは少しだけほっとする。自分が前世で学んだり、仕事に使っていた法律や制度の話が、まさかこの世界でも通じるとは。もちろん、そのままコピーはできないし、反発も大きいだろうけど、少なくとも一つのモデルとして役立ちそうだ。
「でも、そんな大事な議題、わたしみたいな子供が口を挟んじゃっていいのかな……?」
念のため確認すると、シルフィーナは少し微笑んで、首を横に振った。
「お嬢様が思いつかれたアイデアと仰らずとも、『こういう提案をお持ちの方がおられた』とわたしたち参与の会議に出したらいいでしょう。もちろん決定権は、参与全員や摂政様の承認が必要ですが……」
「あ、そうなんですね。じゃあ、わたしの名前は伏せておいてもらっていいですか? なんか、子供が口出ししてるって思われるのも恥ずかしいし……、みんな妙に思うだろうし、いい気分がしない人もいるでしょうし。」
わたしは赤面しながら言った。まさか「14歳の少女からの法律制度の提案」なんて出したら、色んな意味で騒がれるかもしれない。いや、それで政治が変わるならそれも面白いけど、今はまだ面倒を避けたい。
シルフィーナは笑って頷く。
「もちろんです。では、わたしが個人的に検討してみて、まとまり次第、上の人たちや他の参与にも話を振ってみます。もし本格的な検討になりそうでしたら、またご相談させてください」
こうして、わたしのささやかなアイデアが、土地問題解決の糸口としてシルフィーナに渡されることになった。わたしもこんなにスムーズにいくとは思わなかったので驚きつつも、ワクワクする気持ちが止まらない。
「ありがとうございます。わたし、あんまり大した知識はないけど、もし何かお役に立てるなら嬉しいです」
「いえ、こちらこそありがとうございます。お嬢様はお若いのに、斬新なだけではなくて、ちゃんと無理のない、合理的な発想をお持ちで……本当に驚かされました」
(いや、単に、前世の制度の話をしただけなんだけれどもな。)
彼女の目は真剣そのもので、若干熱っぽい。そこにやや大人の色気が混じっていて、ドキッとするわたし。
(うわ、近くで見ると綺麗だな……)
思わず生唾を飲み込みそうになる。顔に出ないように必死で冷静を装うが、以前のわたし(前世男子)ならこんな雰囲気の女性と接するだけで緊張していただろう。いや、今も十分緊張してるんだけど……。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「えっ、あ、いえ! なんでもないです!」
思わず背筋を伸ばすと、ドレスの胸元が少し苦しい。女性用の服って締め付けがあるし、わたしの胸はまだ小ぶりといえど、コルセットやドレスの構造に押されると妙な圧迫感がある。この状態で長時間座っていると、肩こりを感じるのも無理はない。
「……ふう」
心なしか、女性の体ならではの感覚がいつもより鮮明に感じられて、焦る。お茶を飲んで落ち着こうとカップを口に運び、ゆっくり深呼吸する。
「ところで……その、いきなり土地問題の話をしてしまって、わたしばかりおしゃべりをしてしまいましたね。お嬢様のほうからは、ほかに何かご興味をお持ちのことはございますか?」
話題を振ってくれるシルフィーナ。わたしは少し考えたあと、正直にこう尋ねた。
「うーん……今のわたしは、まだ基礎的な勉強を始めたばかりなんです。でも、いつか、領地のあちこちを実際に見て回りたいと思っていて……。そういうの、邪魔になりませんか? わたしが行くことで、官吏や現地の人に余計な負担をかけちゃったり……」
すると彼女は目を丸くする。
「お嬢様ご自身が視察を? ……しかし、そうですね、確かに急に現地へ行かれると準備が必要になりますし、歓迎の儀式だの、余分なものが発生するかもしれません」
「う、やっぱりそうですよね。お祭り騒ぎになっちゃうのも大変か……」
領主の娘が来るとなると、地元の人はかなり気を使わないといけないはず。わたし自身は散歩感覚で気軽に歩き回りたいだけなのに……と思ったが、そうもいかないのが貴族社会だ。
「けれど、計画的に『軽い視察』という形を整えれば、過剰な接待は最小限で済むのではないでしょうか。わたしもご協力できる範囲で、現地の官吏や役所に“準備不要”を通知することができますよ。『お嬢様は勉強のために来るだけですから、普段通りで結構です』とお伝えすれば……」
「それ、いいですね!」
思わず身を乗り出してしまう。わたしの勢いに、シルフィーナはくすっと微笑む。
「はい。もちろん、あまりに急だと混乱を招くので、ある程度の事前連絡は必要ですが……極力余分な負担にならないよう、領内の視察ができるように段取りいたしましょうか?」
なんて頼もしいの。シルフィーナ、ほんとに有能だ。
「ぜひ、お願いします! わたし、普段はあまり館の外に出ていないので……少し先の街とか、村とか、見てみたいんです。もちろん、変な事件に巻き込まれるのは嫌ですから、ちゃんと守ってもらわないとだけど……」
話がどんどん膨らんでいく。わたしが興奮気味に語っていると、シルフィーナが「では、上司や他の参与に相談してみます」とメモを取る。書類の扱いに慣れているだけあって、ササッとペンを動かす様子が手慣れていてかっこいい。
「後日、改めてご報告いたします。あまり過密スケジュールにはせず、数日の滞在プランなどを考えておきますね」
「はい、ありがとうございます!」
そんなわけで、気づけばわたしたちは次々と話題を重ね、紅茶を二杯もおかわりしていた。シルフィーナは仕事の合間を縫ってきてくれたはずなのに、ずいぶん長居してくれているのを申し訳なく思いながら、わたしは時間を忘れて楽しんでしまった。
そして、最後に彼女が「そろそろ失礼いたしますね」と席を立とうとしたとき、わたしは少しだけ意を決してこう言った。
「シルフィーナさん、今日は本当にありがとうございました。……もしご迷惑でなければ、またこうしてお茶したいです。領地のこと、もっと教えてください」
「はい、もちろんです。わたしのほうこそ、お嬢様と直接お話しできるなんて光栄です。先ほどの土地権利のお話など、今後の会議で進捗がありましたら、ぜひご報告したいです」
優しい笑みを湛える彼女。そう言ってわたしに手を差し伸べてくれたので、わたしはそっと手を握り返した。すると、彼女の手はひんやりと涼しく、指が長くて洗練された大人の女性の手だとわかる。なんだか少し胸が高鳴った。
「お嬢様のアイデアが、きっと大きな光になるかもしれません。では、失礼いたします」
……そうして、シルフィーナとのお茶会は幕を閉じた。わたしは彼女がサロンを去ってからも、しばしぼんやりとその余韻に浸ってしまう。
「しっかり者で、大人の色気もあって……素敵な人だな……」
思わず口に出してしまい、慌てて周囲を見回す。メイドたちはもう退出していて、誰もいない。よかった……。
でも正直、前世ならああいうタイプの女性を見たら「お近づきになりたいなあ」なんて不純な男心が湧いていたかもしれない。今は立場も性別も違うから、変な下心は持てないにしても、やっぱりきれいな人を見ると胸がときめくのは事実。美しいものは美しい。それは、男女も、大人も子ども、決して変わらない。
――ただ、わたしは14歳の少女の身体だし、変に意識するのもおかしいんだけどね。いや、見た目は少女でも中身は元成人男性……なんとも言えない複雑な気分。
「はあ……いろいろ大変だわ、ほんとに」
でも、一つ確かなことがある。この世界には女性でも十分活躍している人がいて、その一人がシルフィーナであり、彼女はわたしのちょっとしたアイデアにも興味を示してくれた。そんな強い味方ができそうな予感がするだけでも心強い。
わたしは胸の奥に熱いものを感じながら、そっと紅茶の残りを飲み干した。