ぶつかったのは女性幹部!? わたし、領地問題に首を突っ込んじゃいます!①
朝の運動でひと汗かいたあと、シャワー(湯浴み)を浴びてスッキリしたわたしは、涼しいワンピース姿に着替え、廊下をのんびり歩いていた。
軽い筋肉痛が気持ちいい。最近は体操服(?)でのランニングを習慣にしているおかげで、ちょっとずつ身体が引き締まってきた感じがする。もちろん、膝や太ももはしっかり女の子の柔らかさを残しているし、胸だって運動しても大きくなるわけじゃないから、相変わらずそこは心もとない。でも、腰回りの肉付きが少し変わってきたのは実感するし、姿勢だって良くなったと言われた。
「……うん、少しは慣れてきた、かな」
ぼんやりと、鏡に映った朝の自分の姿を思い出す。髪は軽くまとめる程度だし、メイクもほとんどしないけれど、それでも健康的な顔色になったと思う。前世じゃ得られなかった「若くて健康な体」って、こんなにも活動意欲をくれるんだなあと感心してしまう。
もっとも、この館――わたしの家の広大な屋敷――の中をうろつくときは、いまだに慣れない部分も多い。ドレスコードこそ少しゆるめだけど、礼儀作法やら使用人たちの視線には、やっぱり気を使わないといけない。
今、わたしが歩いているのは、長い回廊の一部で、窓から中庭が一望できる。中庭ではメイドたちが朝の掃除や植木の手入れに励んでいる姿が見えて、ちょっとした癒やしになる。遠目に見ると、彼女たちのメイド服姿が整然としていて、まるで絵になる風景。
「さてと……」
別に特別な目的があるわけじゃなかったんだけど、最近、体力がついて散歩しやすくなった分、家の中を自由に見て回るのがちょっとした日課になっている。前世のわたしは仕事でデスクワークしてばかりしていたせいで、こんな広大な建物をうろうろする機会は皆無だったから、純粋に楽しいのだ。
ただ、ぼーっと歩いていると、どうしても考え事をしてしまう。
最近、とくに気になるのは「社会問題」だ。おおげさに言うと、この世界――中世っぽいけれど魔法も発達した世界――には、経済格差が拡がったり、新技術と伝統がぶつかっていたり、男女格差もまだ根深かったりと、いろいろと課題があるらしい。都合の良い魔法で豊かな生活になっている分、社会的な歪みは放置されているわけだ。
わたし自身、転生した当初は「ただのスローライフを楽しむだけ」でいいと思っていた。でも、このまま放っておくと、いずれ大混乱が起きるかもしれない……という予感があるし、それに貴族としての責任もある。社会が荒れてしまったら、わたしの安穏な生活も危うくなる。
だからといって、大改革や革命なんてしようとは思わない。そんな面倒事、絶対にやりたくない。ただ、ちょっとだけ、社会の歪みを整えて、みんなが多少は暮らしやすくなるように――そして何より、わたし自身がラクして幸せに生きられるように――何かできないかと考えている。
「ふむ……そういえば、この館はけっこう官吏の人たちとか、領地管理の関係を扱う人たちが出入りしてるみたいだけど……」
エイヴンフォード家は小さい領地しか持っていないが、そこには農村や小さい商業都市も含まれている。わたしの父――といっても、実の父じゃなくて転生後の父親だけれど――は病弱であまり表に出ず、母はすでに他界している。だから、実質的に領地をまとめているのは複数の「参与」と呼ばれる人たちらしい。
参与というのは、前世のイメージで言えば「大臣」「議員」さらには「県知事代理」みたいに、いろんな行政をまとめる仕事を任されている役職だそうだ。もちろん、すべての分野を一人で見るわけじゃなくて、分業制で十数名がそれぞれの分野を見ているとか。
「へえ、女性の参与とかもいるのかな?」
どうせ男社会なんだろうと思っていたから、もし女性の参与がいるなら、ちょっと気になるところだ。男性ばかりのなかで女性が力を発揮しているなら、この世界も前世ほど男女格差が厳しくはないのかも……と、ほんの少し希望が持てる。
そんなふうにぼんやりしていたら――
「きゃっ!」
不意に、視界の端で人影が横切った。そして次の瞬間、わたしの肩と相手の腕が思い切りぶつかってしまったのだ。
「わっ、ごめんなさいっ!」
慌てて謝りながら、後ずさる。ぶつかった相手は思ったより背が高く、わたしより頭一つ分は大きいかもしれない。ほっそりとした体型だけど、きちんとしたジャケットのような服を着ていて、脚にはスカートではなくパンツスタイルの服装。シックな色合いでまとめていて、いかにも仕事ができそうな雰囲気を漂わせている。
メイド服でもなければ、いわゆる貴族女性のフリルだらけのドレスとも違う。まさか、噂の「参与」?
「い、いえ、こちらこそ、申し訳ございません。お嬢様、お怪我はありませんか?」
ぶつかった女性は、やや低めの声で落ち着いた口調だが、その瞳は驚きと焦りが混じっている。近くで見ると、年齢は……三十代前半くらい? 前世では同僚にいてもおかしくない感じの落ち着きと、そして妙に色っぽい大人の女性の雰囲気がある。
「いえ、あの、わたしがぼーっとしてたせいで……大丈夫です。ごめんなさい!」
恐縮して頭を下げるわたしに、女性は控えめに微笑んで答えた。
「いえいえ、お嬢様が無事なら何よりです。わたしも急いでおりましたので、失礼いたしました」
そう言って彼女はかろうじて荷物を落とさずに済んだらしく、手に持っていた書類の山をぎゅっと抱え直す。改めて見ると、彼女はわたしと同じくらいの身長に見えるけれど、ヒールのない革靴を履いているから、本当はもう少し背が高いのかもしれない。ショートボブの髪型が品良く整えられていて、オフィスレディみたいな雰囲気だ。
「えっと……メイドさんでは、ないですよね? お洋服が全然違う感じが……」
素直に質問すると、彼女は「ああ」と納得したように頷いて、書類を脇に抱え直した。
「はい。わたしはメイドではなく、この家の“参与”を務めております。名をシルフィーナと申します。どうぞ、お見知りおきを……お嬢様。」
なるほど。やっぱり参与だったか。名前はシルフィーナ……わたしは初めて会ったけれど、話には聞いたことがある。たしか、このエイヴンフォード家の行政や領地経営を分担して行っている一人だ、と。どうやら女性の参与は彼女だけではないらしいが、稀少な存在らしく、噂ではかなり優秀だという。
「シルフィーナさん、ですね。わたしは、えっと……いちおう、この家の娘のエリシアですが……」
名乗ると、彼女は微かに笑って、「もちろん存じておりますよ」と頭を下げた。
「お嬢様のことは以前から噂で存じ上げていました。最近、新しい服装で走っていらっしゃるとか……」
「う……っ」
ああ、噂はやっぱり広まってるんだ……。頬が熱くなるのを感じる。まあ、最初はメイドたちにも「はしたない」と散々言われたし、同じ屋敷の内部で働く人に知られないわけがないよね。
「そ、それは……健康のためでして……」
焦りながら答えるわたしに、シルフィーナは「もちろん、理由はご尤もですよ」と穏やかに笑う。特にバカにしている様子はなく、むしろ好意的に見えるのが救いだ。
「あの、でも、参与って……この領地の経営とか政治をなさってるんですよね。女性がそういうことに関わるのって、すごいですね」
率直な感想を口にすると、彼女は少しだけ苦笑した。
「いえ、女性でもとくに珍しくはないんです。このエイヴンフォード領地では、割と男女ともに人材登用をしておりまして。とはいえ他領地と比べればやや進んでいるのかもしれませんが……」
「へえ……そうなんですね」
確かに、わたしが前世で思い描いていた古い時代の固定観念からすると、女性が政治を担うのは難しいイメージがあった。でも、この世界には魔法があるせいか、ある程度合理的に人材を選ぶ風潮が見られるのかもしれない。意外と進んでるんだな……。
「とにかく、ご迷惑をおかけしました。急いでおりますので、これにて失礼いたします、お嬢様」
そう言って再び頭を下げるシルフィーナ。わたしは慌てて手を振り、「あっ、すみません、こちらこそ……」と見送ろうとしたが、ふと閃いた。
――このシルフィーナさん、一度ゆっくり話してみたい。最近わたしが考えている社会のこと、領地のこと、いろいろ質問したいし、もしかしたら協力してくれるかもしれない。
「シルフィーナさん、あの……もしよければ、今度お茶でもご一緒しませんか? わたし、参与のお仕事についてお伺いしたいことがあるんです!」
唐突だけど、思い切って誘ってみる。すると彼女は「えっ」と戸惑った顔でわたしを見つめる。
「お、お嬢様と……お茶、ですか? わたしなんかでよろしければ、喜んで……」
意外にもすんなりOKがもらえた。いや、むしろ恐縮そうにしている様子を見ると、彼女自身も貴族令嬢にお呼ばれされるのは慣れていないのかもしれない。
「ありがとうございます! じゃあ、改めて日時を決めて、後日お声がけしますね。わたしも今、走るのにハマってて朝早いんですけど……あ、いや、朝はだめだよね。普通に昼か夕方あたりに……」
自分で言いながら、妙にテンションが上がる。彼女のほうも困ったように苦笑しつつ、「はい、ぜひよろしくお願いいたします」と頭を下げてくれた。
わたしは「それじゃあまた!」と手を振り、急ぎ足の彼女と別れる。
――こうして、思わぬ形で「女性参与」との交流が生まれた。偶然とはいえ、ぶつかってみるものだなと変な感想を抱きつつ、わたしはその足で家の裏手にある庭園へ向かう。まだ少し考えをまとめておきたいし、いつか領地の問題や社会問題についてアドバイスをもらえたらいいな……。
(もし彼女が有能なら、わたしの“社会を少しずつ良くする”計画に協力してくれるかも?)
そう思うだけで胸が弾む。前世じゃ仕事の忙しさに嫌気がさして、体力もなくて文句ばっか言ってた自分。でも今は違う。女子になったことに戸惑いながらも、なんだかんだでやる気は湧いてきている。やっぱり、運動で血行が良くなってるのかな……なんて自分にツッコミつつ、わたしは笑みを浮かべながら歩を進めた。
そして数日後――。わたしはさっそくシルフィーナをお茶会に招待し、領地の現状をいろいろと聞いてみることになる。そのお茶会で、まさか本格的な「土地問題」について議論することになるとは、このときのわたしはまだ想像していなかった。
なんにせよ、大人の女性とのぶつかり(文字通り)から始まった縁が、わたしの「社会改善計画」にどんな波紋を与えるのか……。今はまだドキドキしながら、初めての「政治の現場」に触れる足がかりを得たにすぎないのだ。
――そんなことも露知らず、わたしは廊下の突き当たりでメイドたちに遭遇し、「お嬢様、お茶会のご準備は?」と急かされて、慌てて部屋に戻る。ああ、まだ先の話だと思ってたけど、結構すぐだな……。そう思うと急に緊張してきて、わたしは胸のあたりに手を当てる。
「うう……なんか、緊張する……」
前世でも年上の女性と話す機会はあったけど、それは仕事での雑談レベル。今回の相手はこの家の参与で、書類の束を抱えているような仕事バリバリのキャリアウーマン(?)だ。その落ち着いた色気と知性には、さっきぶつかっただけなのにちょっとくらっと来たぐらいだし、いざお茶会で面と向かって話すとなると、どうしてもドキドキしてしまう。
自分の中にまだ「前世の男の意識」がわずかに残っているからかもしれない。相手が知的で仕事のデキる綺麗なお姉さんタイプだと思うと、自然に緊張しちゃうのだ。しかもこっちは、中身こそ元男だけど今は14歳の女の子の身体。一応、礼儀作法もしっかりしていないと失礼だし、下手なことを言って引かれるのも怖い。
「あー、もう……どうなるんだろう、お茶会……」
そんな不安と期待を胸に、わたしは早めに部屋へ戻ってメイドのセシルやマリエに身支度を手伝ってもらうことにした。どうせなら、少しだけちゃんとしたドレスを着たほうがいいのかな? いや、動きづらいから嫌なんだけど……。最終的には「そこそこカジュアル」な短めのドレス(コルセットは、さほどきつくないやつ)を選び、少しだけアクセサリーを付けて準備を整える。
「はあ、そろそろお茶会の時間だわ……」
こうして、わたしの初めての「参与とのお茶会」が始まろうとしている。
ふと鏡を見れば、そこには少し頬を赤らめた「貴族令嬢」の姿。前世の三十男には似つかわしくない、華奢で繊細なラインだ。その姿にまだ慣れない自分がいるけれど、わたしは心を落ち着かせるように深呼吸して、部屋を出る。
――大丈夫。やるときはやるんだから、わたし。
こうして気合いを入れ、わたしは来客用のサロンへ向かった。