ドレスでは走れません! わたし、体操服(?)を作っちゃいます!④
あれから数週間。わたしは地道に走り続け、驚くほど体力がついてきた(といってもまだ短い距離だけど)。ドレス姿のままでも息切れしにくくなったし、背筋が自然と伸びて姿勢が良くなった気がする。メイドのマリエやセシルも、「最近お顔がすっきりしてきたのでは?」なんて言ってくれる。運動すると血色がよくなるし、むくみも減ったのだろう。
もちろん、表立って「わたし毎朝走ってます!」と公言はしていない。あくまで敷地の裏手を使ったり、人が少ない時間帯を狙ったりして、ひっそりと続けるスタイルだ。侍女長には「適度に」と釘を刺されているし、外部の人間に見られると噂になるリスクがあるから、オープンにはできない。それでも、朝に運動してシャワー浴びる生活が習慣になってきたら、身体の調子がすこぶる良いのだ。
体操服で走るときは未だに恥ずかしいし、「女の子の下半身」がはっきり見えてしまう感触にもドキッとするけど、慣れてくると「まあ、こんなもんか」って感じ。わたしは確実に「女としての身体」に慣れつつある。認めるのは照れくさいが、お尻や胸が動く感覚すら、いまや「しっかりスポブラ的なサポートを仕立ててもらえば痛くない」と学習した。前世の体に比べて柔らかい肉付きがあるぶん、揺れをケアしないと大変だという現実。これはこれで、ランニング女子の常識なのかもしれない。そういえば、女友達も、そんな感じのことを言っていたことを思いだした。
そんなある日、わたしはランニングで軽く5分ほど走ったあと、呼吸が落ち着いてきたところで立ち止まり、あたりを見回す。敷地の木々がサラサラと風にそよぎ、花壇には色鮮やかな花が並んでいる。朝日が差し込んで柔らかな光が全体を照らす光景は、本当に美しい。
「……わたし、なんだかんだ言って、ここが好きになってきたな。」
だって、前世の住んでいた場所でこんなに気持ちいい朝を迎える機会なんて、仕事に追われてほとんどなかったもの。こっちは魔法のおかげで空気も綺麗だし、自然は豊かだし、走っていて爽快だ。やっとスローライフを満喫できている気がする。あまり抜本的な社会改革は望まないけど、自分の暮らしをラクに豊かにするためなら(そして、革命とかで、ひっくり返らないようにするためには)、こうして体力づくりも含めていろいろ試行錯誤していこうと思う。
しかし一方、内心でわかっている。わたしは女の体を意識させられ、社会の慣習に縛られ、時には「婿取り」「跡継ぎ」といった単語をちらつかされる。スローライフを望む割には、いろいろな苦労と戦わなきゃいけない現実もある。でも、運動を始めたことで、少し心の抵抗が弱まったかもしれない。体操服姿の自分を鏡で見て、「うわ、女の子になっちゃった」と毎回驚くけど、そのうち「ああ、そういうものか」と受け止めてきた。
走り終わった後、屋敷の裏口からコソコソ戻ろうとすると、いつも通りマリエが待っていて、タオルと水分補給の飲み物を渡してくれる。
「お嬢様、今日もお疲れさまでした。倒れたりなさらなくて、本当によかったです。」
マリエがホッとした顔をする。あれからもうわたしは目を回すことはなく、順調に走っている。
「うん、ありがとうね。最初はほんと恥ずかしかったけど、最近はだいぶ慣れたわ。まだ人目は気になるけどさ。」
メイドの視線がわたしの体操服姿に注がれる。「それにしても、お嬢様、最近ちょっとスリムに……いえ、引き締まった感じがしません?」
マリエがわずかに首を傾げて言うと、セシルも「あ、本当だ。輪郭がきゅっと整ったというか。肌のツヤもいいですし、なんだか健康的で……」
言われて少し照れる。確かに、筋肉がついたというより、余分な脂肪が燃えたのか、前より身体が軽い気がする。お尻や太ももはまだ柔らかいけど、体幹はしっかりしてきたかも。
「うん、わたしもそんな気がする。パーティでの立ち姿勢も楽になったし、いい調子かも。」
こうしてメイドたちと小さく盛り上がっていると、ふとセシルが思いついたように言う。「お嬢様、これなら、今度、ダンスパーティーがあっても、大丈夫ですね。」
「ダンスパーティ……」
その単語を聞いて、一瞬ドキリとする。ダンスパーティって男と女が組んで踊るやつだよね?前世でも多少は社交ダンスの真似事みたいなのを見たことあるが、いざ自分がドレスを着て踊る側になってみると、やっぱり恥ずかしいというかドキドキするというか。
でも確かに、ダンスも体力が必要だし、ドレスで長時間踊るには筋力もいる。前世ならありえなかったけど、こっちでは貴族の社交場としてよく行われるらしい。将来的に“婿取り”でパートナーと踊る機会が増えると考えると、今のうちに体力をつけておいて損はない。
(嫌だけど、避けられないなら、身体を鍛えて少しでもラクに乗り越えるしかないな……)
内心で溜め息をつく。前世では考えられないけど、いまは女の子……いや、貴族令嬢として社会に溶け込むなら、ダンスを華麗に踊れるようになれば評価も上がるかもしれない。スローライフを満喫するためにも、周囲から「出来のいいお嬢様」と思われた方が都合いいだろう。少なくとも変な噂が立ちにくいし。
「そうだね、ダンスの練習もいずれは必要だろうな……。うん、運動してるおかげで足腰はだいぶ強くなってきたし、前向きに考えてみようかな。」
セシルが「素敵です、お嬢様」と微笑み、マリエもうなずく。「これなら、跡継ぎのための体力作りという建前も活かせますよ。」
(うう、またそのワードか……)と思いつつ、わたしは笑顔を引きつらせるだけ。この世界では、女が運動や学問に励むとき、何かと「将来の婿取り」「健康な子どもを産むため」などの理屈が引き合いに出される。それが嫌だけど仕方ない。自分のやりたいことの許可を得るために使える手段なら、使わないと損だ。
わたしはシャワー(湯浴み)を済ませ、爽やかな気分になったところで部屋に戻る。ふと机に向かうと、そこには今読んでいる本――魔法学や社会制度についての資料が積まれている。体力だけでなく勉強も大事だ。いずれまたパーティでも誰かと議論するかもしれないし、実際に制度がどう運営されているか見に行く計画もある。疲れにくくなったいまなら、出歩いて視察もできるはず。
「うん、いい流れだわ。運動して体力がつけば、行動の幅も広がる。すると勉強もしやすくなる。まさに、一石二鳥!」
嬉しそうに声をあげた瞬間、わたしは鏡に映った自分を見て、小さく笑う。
「女の子になって、わざわざスポーツウェアを注文して、それで走ってる自分……。ふふ、前世のわたしが見たら何て言うかな?」
前世の男の自分なら、何かツッコミを入れそう。でも、こうでもしないと、この世界じゃ運動すらままならないんだから仕方ない。体を動かす爽快感は損なわれていないし、むしろ女性の柔軟性も悪くないかもしれない。
「うん、やっぱり続けよう、健康第一!」
そう決意を新たにした矢先、ドアがノックされる。メイドの声で「失礼いたします、お嬢様」と聞こえたので、「どうぞ」と答えると、セシルが焦った様子で入ってきた。
「お嬢様、大丈夫ですか? さっき、少し疲れたご様子だったので……」
「え、あ、ううん、平気だよ。むしろ元気になったところだよ。」
わたしは笑って答える。そしたらセシルはホッと安心した顔。やはりメイドたちも、あの日わたしが倒れたときの印象が強いのだろう。「前にも増して、はしゃぎすぎないでくださいね」と優しく釘を刺される。
確かに、無理をしてダウンするのは本末転倒。社会をどうにかしようという前に自滅しては意味がない。これまでのように少しずつ、焦らずやっていこう。
実際、こうして地道に走るようになってから、夜もぐっすり眠れるし、前世でも感じた「運動の効果」みたいなものが思い出される。30代の頃、少し走っただけでも疲れにくくなったし、体が軽くなったっけな……ああ、なんでもっと前世で頑張らなかったのかと思うけど、今はもう過ぎた話だ。今世のわたしは14歳の少女、伸び代がたっぷりある。まだまだこれから、なんでもできる。
「ふふ、わたしも案外やる気満々じゃん。スローライフのためとはいえ、自発的にこんなに動くなんて、前世の自分が見たら驚くだろうな。」
言いながら、机に並んだ本を眺める。体も少し鍛えられてきたから、次はもう少し行動してみようか。ひとまず、領内のちょっとした村を見学して、庶民の暮らしを知ってみるとか? あるいは、魔法の研究所へ再び足を運んで、便利な魔法具を試すとか?想像するだけでわくわくする。例の魔法学者もいいけれども、この家で雇っている人なら、いろいろと教えてくれるかもしれないし、何か頼み事もできるかもしれない。
もちろん、大した大事はできない。根本的に世界を変える気もない。ただ、わたしがよりラクに、スローライフを楽しみながら生きやすくなる程度の社会改善が実現できたら嬉しい。わたしはもう、ドレスで大人しくティーサロンに引きこもるだけじゃ満足できない。今の体操服ランニングのように、ちょっと派手に動きたい気持ちも出てきたのだ。
「それにしても、わたし、いま自分が女の子だってことを前ほど苦にしてないかも。最初はドキドキ、恥ずかしくて死にそうだったけど……」
ちょっとずつ慣れてきたのは確か。体操服姿で揺れる胸や腰へのドキドキ感だって、前ほど強烈じゃない。もちろん意識すると「うわあ……」と赤面するけど、日々の運動とシャワーを繰り返すうちに、違和感が薄れている。それがいいのか悪いのかは分からないけど、少なくとも精神的には安定している。
「あと、お尻が大きいのも、女らしさの象徴らしいし……。恥ずかしいけど、仕方ないよね。」
定期的に、健康診断みたいなので胸やお尻を測られるときはまだ赤面するけど、まあそういう体なんだし。ある意味、女性としての健康の証なんだろう。運動する前はもっと嫌だったけど、最近は「まあ、こんなラインでも気にするほどじゃないか」と開き直りつつある。
やがて、わたしはペンを取り、ノートの端に「今日のランニング記録」を書き込む。何周走れたか、どのくらい疲れたかなどをメモするのだ。これを続ければ、自分の成長が分かるし、メイドたちに説明するときも説得力が増すだろう。
「よし、こんな感じかな……」
ぺんぺんとメモを取っていたら、不意に窓の外で鳥がピュイっと鳴いた。朝の光はもうだいぶ強くなり、今日は天気も良さそうだ。わたしは体操服のままの格好じゃ、さすがにこのあと朝食に顔を出せないから、ちゃちゃっと着替えよう。メイドたちが用意してくれたワンピースは、そこまで重くないデザインだから着心地も良い。運動のあとはゆるい服装って最高かも。
「って、わたし、なんだか前世の女子みたいな発言してるな……」
ふと苦笑する。まあ、もう女子なんだから当然か。コルセットも軽めなら全然苦しくないし、前世の堅苦しいスーツよりはラクなはず。あの世界とは別の苦労があるけど、今は運動の充実感も手伝って、心が安定している。
こうして、わたしの朝はランニングとシャワー、そして読書や学習で始まる日々になった。ドレスは嫌だけど、小さめのワンピースならまぁ我慢できるし、体操服もなんだかんだで慣れてしまった。最初は恥ずかしさで死にそうだったけれど、人間(今は“女の子”だけど)は慣れる生き物だ。
これでスローライフに一歩近づいた……と思いたいけど、依然として「将来、婿取り」とか言われるとムカッと来るし、「跡継ぎをお産みに」とかいわれると、吐き気がしそうだ。
そして、社会問題だって山積みのまま。でもね、それはそれとして、自分の体を整えることに損はないはず。いざ動くときに息切れして転生前みたいに倒れたら台無しだから。
いつか、この運動が実を結んで、改めて「体力がついたおかげであれこれ動ける!」という日が来るかもしれない。そのときは、もっと大きな一歩が踏み出せそうだ。貴族令嬢として優雅に見せるためにも、健康と筋力は侮れない。さらには自分の中で芽生えつつある「社会をちょっと良くする」目標にも挑戦するエネルギーが得られるだろう。
「あぁ、なんか、結局は頑張ってるな、わたし……スローライフとは……?」
そんな自虐的な突っ込みも浮かぶけど、いいんだ。スローライフを得るには多少の努力が要るんだよ。抜本的改革は望まなくても、最低限の体力づくりくらいはしておかないと、真のラクな生活に到達できない。「健康で豊かに暮らしつつ、社会も少しだけ良くする」――それがわたしの理想だから。
――こうして、私の日々は、少し新しいことを付け加えて過ぎていく。体操服で走るだけのことが、こんなにもドキドキと恥ずかしさと自己嫌悪を誘うなんて思わなかったけど、わたしは今、新しい風を受けて胸を張る。ランニングの習慣を続けていく決意を固めるのだった。
次は、走るだけじゃなくダンスや外部視察、そして社会制度を学ぶための行動が待っている。でもその前に、まずは「健康」。わたしが倒れたら何も始まらないから。前世の苦しさを繰り返さないためにも、自分の身体としっかり向き合わなくちゃ。
「明日も、ほどほどに頑張ろうっと!」
そうつぶやいて、わたしはごく普通の、いつもの窮屈な貴族令嬢スタイルに着替え、朝食の席へ向かう。体操服姿はもう隠して……でもその余韻が身体に残る心地よい筋肉の張りが、わたしをふと笑顔にさせる。
今日も、そしてこれからも、いろいろなドキドキを胸に、スローライフ(?)をめざす“ちょっと面倒な”日々が続いていくのだ――。