貴族令嬢は走り出す:スローライフを護るため、クレアと二人で社会に挑む①
わたし、エリシア・エイヴンフォードは今日もなぜかソワソワしていた。理由は単純――「またパーティーに出席しなくちゃいけない」からだ。しかも、今回は、この間と同じく、“立食形式”のパーティー。前世の感覚でいえばビュッフェパーティーとでも言うべきか。自由に動き回って食事を楽しめるので、普通の“着席型”よりは気楽といえば気楽。だけど、むしろ貴族が多い世界で立食というのは珍しいほうらしい。わたしの体感とこの世界の常識とのズレがなんとも複雑で、加えて「また社交の場に顔を出すのか……」と内心気が重い。
――というのも、わたしは本来“スローライフ”を求めていたはずだ。前世は三十代男性としてバリバリ働いてきたが、異世界に転生して14歳の貴族令嬢に生まれ変わり、「この世界こそ本気でラクして暮らすチャンスだ!」と期待した。しかし実際は、ドレスの着こなしやら礼儀作法やら社交界のルールやらで意外と忙しい。更には最近、社会問題にも首を突っ込み始めてしまい(でも、スローライフを続けるためには、大事なことだ。)、もう何が何だかという状況になっている。そりゃあ、ときには人の集まる場所に足を運ばねばならない。気ままなスローライフは、案外遠い道のりみたいだ。
……でも、いろいろブツクサ言いつつ、今のわたしは前ほどバテたり嫌気が差したりしていない。それはどうしてかというと、体力作りに励んできた成果が、着実に出始めているからだ。前世の記憶を活かし、「走るのがラク」と言って、思いきってメイドたちに“スポーツウェア”を仕立てさせ、こっそりランニングを習慣にしているのである。おかげで、ドレスを着て数時間立ちっぱなしでも以前より楽だし、移動の際も息切れしない。ヒールやコルセットの締め付けにそこまで苦しまなくて済むようになった。
しかも、その“スポーツウェア”は、この世界ではかなり前衛的というか、貴族令嬢がやるには「はしたない」と囁かれているが、わたしとしては「自由に動けて最高!」と大満足。最近少しウワサになり始めていて、 「エリシア様は体力づくりをしているらしい」なんて噂がチラホラ広まっている。変わり者扱いの気配もあるが、逆に「面白い子ね」と興味を持たれることもあり、社交の話題に困らないといえばそうかもしれない(と思いたい)。
さて、そんなこんなで本日のパーティー。開催場所は、ある中規模貴族の館だという。普通の貴族同士だけの集まりよりも、ちょっとオープンなスタイルらしく、商人や他領の関係者も招かれる“交流会”の意味合いが強いようだ。立食形式で、みんな気軽におしゃべりやビジネス談義、あるいは単にグルメを楽しむらしい。
わたしとしては気が楽な部分がある半面、また人間関係の波に揉まれるのかと思うと気が重かったが……実はちょっと楽しみなこともある。その理由は、クレア・レクサリスという女性と再会できるかもしれないから。
思えばわたしは、前のパーティーでクレアとたまたま出会って以来、けっこう衝撃を受けた。クレアはわたしより3、4歳ほど年上の落ち着いた令嬢で、見た目はクールビューティーという感じだが、中身は相当に知的かつ行動派。とりわけ「社会制度」や「男女格差」「政治の改革」なんて話題を当たり前のように語れる、数少ない相手だ。
しかも「女性だけが損をしてるわけじゃなく、男性側の苦労も相当あるんじゃないか」と、視野も広く、いろんな例を示してくれた。――そう、“男女格差”はこの世界に確かにあるけど、それだけじゃなく、長男・次男で扱いが違うとか、庶民と貴族の格差がひどいとか……要は、社会の歪みがいくつも存在しているのだ。わたしが何となく感じていたモヤモヤを、クレアはスパッと整理してくれた。
そんなクレアといえば、ほんのり、前世で言うところの、なんというか、その……、やたら距離感が近い瞬間が……。
もちろん、彼女は別にわたしに迫っているわけではないが、ときどき距離が近いとか、手をとったり視線が熱かったり……。わたしは今、この世界では女の身体として生きているが、前世の男の意識を引きずっている。本来、大分年下だが、彼女の大人びた外見も相まって、正直、ドキッとすることも多い。
それどころか、クレアの知的な笑みと「あなたと一緒に行動したい」という言葉に、妙な甘ささえ覚えてしまう自分がいる。
まあ、恋愛というより「同志」的な繋がりを感じるといったほうが近いかもしれない。でも、なんか、複雑な気分だ。いや、実際、複雑なんだろうけれども(私には、中身と外見が違うという問題がある)。
――とまあ、そんなクレアともし今日会えたら、先日わたしが提案した話や、最近耳にした不穏なニュースを共有したいと思っていた。たぶん、領地毎に違うのだろうけれども、うちでは、「参与」という役職があって、領主(うちでは、その代理である摂政)の指示のもと、基本的に合議制で領地の統治を決めている、わたしはそこに少しだけ改革案を示したのだ。
今のままじゃ土地や権利のルールが複雑すぎるから、前世の法律知識を活かして「一本化(一つの土地に一種類の権利は一つだけ)すればいいんじゃない?」「事前に決めた以外の権利は勝手に作れないことにする」と軽くアイデアを出してみたところ、思いのほか興味を持ってくれる参与がいて、検討委員会のようなものを立ち上げる動きもあるらしい。
もちろん、わたし自身が表立って主導するのは難しい。まだ14歳だし、女だし、いきなり大改革なんて、反発も大きそう。だから「少しずつ意見を伝えて、こっそり信用を得て、あわよくば実現してもらおう」という方針で進めることにしたのだ。その話をクレアにできれば、きっと「すごいじゃない」と褒めてくれるんじゃないだろうか。いや、別に褒められたいわけじゃないけど、なんとなく話を聞いてもらいたいと思うのは人情だ。
いや、本来、こんな年下の子に、成果を誇る機会をワクワクして待っているなんて……。我ながら、どうしたんだろう……。すこしは、大人の落ち着きを取り戻した方がいいかな……。
そんなことを考えながら、わたしは馬車に揺られてパーティー会場の館へ到着。メイドのセシルやマリエらが手早くわたしを整え、「お嬢様、くれぐれもお気をつけて。無理なさらぬように」と送り出してくれる。そりゃあ、たまにわたしが変なことをするせいで、彼女たちも心配なんだろう。
館の玄関ホールは既に多くの来客で賑わっており、思った以上に広い。係の使用人が挨拶を交わし、わたしはドレスの裾をさっとさばいて会釈。大ホールへ通されると、大きなテーブルやカウンターがずらりと並び、そこに美味しそうな料理の数々が並んでいる。圧倒されるほどの品数! フルーツをたっぷり使ったタルト、魚介や肉料理の小皿、彩り豊かなサラダ、ワインやジュース類も豊富。おぉ、これはちょっとテンションが上がる……。心の中で「キターー!」って叫ぶ。
そして周囲を見渡せば、華やかなドレスを纏う貴族令嬢や紳士だけでなく、どこか実務向けの装いをした商人風の男女、明らかに異国の帽子をかぶった人など、バラエティ豊か。立食形式だからこそ、色んな階層・職業の人たちが自由に話し合っているのが分かる。前世に近い光景といえばそうかもしれないが、ドレスとマントが混在するファンタジー風味で、これはこれで興味深い。というか、ちょっとワクワクしてくる。こういう世界もいいなぁ。
わたしは軽く挨拶を済ませたあと、まずは腹ごしらえ――もとい雰囲気を落ち着かせるためにテーブル付近へ行く。何だかんだでパーティー料理は美味しいから、嬉しくなってしまう。前は体力もなくてすぐにバテたけれど、今は運動のおかげで多少食べてもへっちゃらだ。
「うーん、たまには欲張ってみるか……」
そんな呟きを自覚する時点で、わたし、だいぶ図太くなった気がする。以前だったら「女の子らしく上品に少食で……」とか、ボロがでないように意識していたのに、最近は「いいじゃん、美味しいんだし!」と思うようになった。まあ、本能に素直に従って楽しむのも大事だよね。うんうん。というか、中身は男性なのだから。
最初にサラダをひと口、キャビアっぽい魚卵の乗せられたカナッペも一つ、続けて魚介のパテをひと口……うん、美味い。ドレスもきつくないし、最高のコンディションだ。前世の自分が見たら驚くだろうな、「女子の姿でパーティーをエンジョイしてるなんて」と。
(いや、マジで考えると、かなり恥ずかしいな)
とはいえ、このまま一人で食い続けるのも淋しいし、誰かと話したいな……と思った瞬間、視線の端にクールな姿がチラリと見えた。クレア・レクサリスだ! やはり彼女も来ていたらしく、大ホールの隅で飲み物を手にしている。周囲に数人の令嬢が話しかけているようだが、クレアは控えめに相槌を打ちつつ、あまり深い会話には入らない感じ。
(……会いたかったんだし、ここは勇気を出して声をかけるか)
わたしは小さく深呼吸して、できるだけ自然な笑みを作って、クレアのほうへ足を進める。
「クレア様、ごきげんよう。お久しぶりですね」
そう声をかけると、クレアはパッと瞳を輝かせ、「エリシア様……来てらしたのね、嬉しいわ」と小さく微笑む。やった、やっぱり喜んでくれてる様子。
「こちらこそ、またお会いできて光栄です。先日はお話が途中でしたでしょう……? それに、ずいぶん素敵な会場ですね」
わたしがそう付け加えると、クレアはわずかに首を傾げつつ「ええ、この家は開放的なパーティーを定期的に開いていて、私も時々顔を出しているんです。立食形式だから動きやすいし、いろいろな職種の方と話せるのが魅力ですね」と答える。
クレアの隣にいた別の令嬢たちは「あら、エリシア様? あなた、運動用の服を作ったって噂の……」なんて話題を振ってきたが、クレアが「後でゆっくり紹介するわね」とうまく切り上げ、二人だけで会話しやすい空気を作ってくれた。こういうちょっとした配慮が上手いんだよな、クレアは。
「そういえば、噂は本当なんですって? 体操用のウェアをお作りになったとか。どんな感じなの?」
クレアが興味津々の表情を浮かべる。どうやら耳にしてはいたが、詳しいことはまだ知らなかったようだ。
「ええ、まあ、最初はメイドたちに“はしたない”とか反対されながら、ひざ上の短いボトムスとか……何なら上も軽いシャツみたいな……」
と小声で説明すると、クレアは目を丸くしつつ、「それはまた、大胆ね。あなたみたいな立場の人がそんな格好で運動なんて……」と驚き顔。でも同時に嬉しそうにクスクス笑う。
「ええ、正直、走るときはドレスじゃどうにもならなくて。コルセットで締め付けられたら呼吸すらしづらいし、いざというとき体力が必要だから……。まあ、噂好きの連中には変わり者扱いされてるけど、私は結構気に入ってるんです」
こう言うと、クレアは「ふふ、すごいわ。普通の令嬢じゃやらないことを平然とやってのける。やっぱりエリシア様は興味深い人ね」と微笑む。
そこにしびれる、憧れるってかんじかな?あはは。若干赤面してしまったが、嬉しい。クレアの瞳はまるで「もっとあなたを知りたいわ」と語りかけているように感じて、微妙にドキッとする。この感じ……ああ、やっぱり独特の雰囲気があるかもしれない。でもわたしはそれを“嫌じゃない”と感じているから不思議だ。いや、よせよせ、外見でみれば同性だぞ、中身でいえば、大分年下だぞ、目を覚ませ!私!
私が一人でモジモジしていると、クレアが「良かったら、少し外を散策しません?」と低い声で提案してきた。わたしは「あ、いいですね」と笑顔で応じる。実はわたしも、そろそろ室内の雑踏から抜け出して、夜の庭園へ行きたかった。いつも思うが、夜の空気って何だか落ち着くし、クレアとの会話をゆっくり楽しみたい気持ちもある。
「じゃあ、ご一緒しましょうか」と、わたしたちは食べかけの皿をメイドに預け、飲み物だけ軽く持って会場を後にする。周囲には他にも庭へ向かう人がいるようで、少し賑わっていたが、そこを抜けてさらに奥まった小径へ入ると、途端に静寂が広がった。淡いランタンや灯り(魔法の灯りかな)が植物を照らし、夜風が心地よい。
「ここ、きれい……」
わたしは感嘆の声を漏らす。庭の造りは凝っていて、背の高い樹木が月明かりを遮る部分と、開けた空間が交互に現れる。まるで幻想的な迷路みたいだ。
「ええ、以前もこの邸宅に来たとき、夜の庭園がすごく印象的でしたの。……ほら、あそこに小さな泉がありますね」
クレアが指さす先には、小さく水が湧き出す泉があり、薄暗い中で水面がかすかに揺れている。小さなベンチも置かれていて、休憩するにはもってこいの雰囲気。
「……また、夜の花園ね。前回もこんな感じで、お話しましたよね」
わたしがしみじみ呟くと、クレアは「そうでしたわ。あのときも、こんな風に社会のこと、男女格差のこと……いろいろ語ったんでしたね」と笑う。
以前の夜と違うのは、わたしがさらに学びを深めたこと、そして何より“参与への提案”を実際にやってしまったという進展だ。だからこそ、今夜はそれを伝えたい。




