お茶より甘いのは、となりの君のまっすぐ視線です!①
──朝の静かな光が差し込む寝室。わたし、エリシア・エイヴンフォードは、ふわりとしたシーツの中でゆっくり目を覚ました。
前世では30代の男性として働きづめだったわたしが、今はこの異世界で14歳の貴族令嬢として暮らしているなんて、不思議な運命を感じる。もちろん「女の子の体」なんてドキドキの連続だけど、最近はちょっと慣れてきた……と言いたいところだが、油断すれば赤面するシチュエーションは山ほどあるし、日々の生活で戸惑いを拭えない場面はまだまだ多い。
ともあれ、そんなわたしにも“スローライフ”を謳歌する朝がやってきた。陽射しがカーテン越しに穏やかに広がっていて、メイドたちが部屋の扉を静かにノックする。
「お嬢様、本日はゆっくりめにお目覚めですね。お手紙が届いておりますが……」
メイドのマリエが小さく微笑みながら入室してきて、銀の盆にのせられた数通の手紙を差し出した。
わたしはベッドからもぞもぞと抜け出して、簡単なナイトガウンを羽織りながら「あ、ありがとう」と受け取る。メイドたちの助けを借りなくても最低限の着替えくらいはできるようになったけど、それでも貴族令嬢の衣服はやたらフリルやリボンが多いから大変だ。
そんなことを考えつつ手紙を確認すると、その中の一通に見覚えのある筆跡を見つける。小さく控えめな書き文字ながら丁寧で品があり、封を開ければほんのり香りまで漂ってきた。
「……メリッサから?」
わたしは思わず口元をほころばせる。メリッサとは隣領地の貴族令嬢で、少し年上のお姉さん的存在。落ち着いた物腰で、いろいろと教えてくれる頼れる子だ。以前のパーティでも一緒になって、わたしの挙動不審っぷりを笑いながらサポートしてくれた記憶がある。最近は、彼女自身もわたしに興味を持ってくれているようで、ちょくちょく文通を続けていた。
「なになに……“前回のエイヴンフォード家でのお茶会がとても楽しかったので、また機会をいただけないでしょうか。ルイス様もいらっしゃると伺いましたし、ぜひご一緒に”……」
ふむふむ、どうやらメリッサはわたしの家の庭園がお気に入りになったらしい。以前も庭を散歩しながら色んな植物の話をしたり、敷地の奥にある泉を案内したりしたのだけど、その雰囲気がとても心地よかったのだとか。ルイスも「また来たい」と言ってくれていたようで、メリッサいわく「わたくしのほうからルイス様にも声をかけておきます」とのこと。
(ルイス……あの少年か。確か、同い年くらいかな。でもなんか……妙にわたしに好意的なんだよね)
少し思い出すだけで、変な汗が出そうになる。ルイスは子爵家の若君で、性格はやや純粋というか、真っ直ぐというか……とにかく「こう思ったら行動あるのみ!」タイプらしく、少し天然な面があるけれど、きれいな顔立ちをしていてモテるのでは、と思わなくもない。
前のパーティで初めてちゃんと会話したとき、わたしは「ん? なんかやけに褒めてくるな……」と思いつつ、彼のストレートな言葉に戸惑った記憶が鮮明だ。だって、前世は男だったわたしが“美しい貴族令嬢”として認識されるなんて、その時点でかなり気恥ずかしいじゃないか。
それなのに、ルイスときたら「エリシア様は素敵です」とか「そのドレス、よくお似合いです」とか、ベタ褒めしてくるから、わたしも真っ赤になってどう対応すればいいのか分からなくなって……。いや、まさか男性からそういう目線を向けられるとは、転生当初はまったく想定していなかった。
(うう、あまり深入りはしたくないんだけど……でもメリッサのお誘いなら断るのも悪いし、ルイスも交えて一緒にお茶会ってのは、まあ平和かも?)
わたしはメイドの手を借りながら朝の身支度を進めつつ、手紙を何度か読み返して悩んだ。が、メリッサの頼みなら基本的に“NO”は言わない。そもそも、わたし自身がスローライフを謳歌するためにも、社交界であまり敵を作りたくないし、メリッサには個人的に感謝している面も多い。
「……いいわね。わたしも庭でお茶するのは好きだし、メリッサやルイスが来るなら、賑やかで楽しくなるかも……」
そう呟いていると、メイドたちが「どうなさいました?」と不思議そうに声をかけてくる。わたしは苦笑いを返して、「ううん、ちょっと手紙の返事を考えてただけ」と言い訳。
結局、わたしはメリッサの提案を快諾するお返事を書くことにした。手紙をさらりとまとめて、メイドを通じて送達の手はずを整える。こうして、わたしの中で「次のお茶会をやろう」という段取りが、一気に進んだわけだ。
その後、数日をかけて細かな調整を行い、わたしの屋敷――エイヴンフォード家の広い庭園を利用して再びお茶会を開く運びとなった。場所は中庭に面した小さなサロン。ここは窓から花壇や樹木のグリーンを楽しめ、近くに泉や藤棚があって季節を感じるのにちょうど良い。しかも屋内のサロンからすぐ外に出られる構造なので、雨が降りそうでも安心だし、何より人目につきにくいので静かに談笑ができる。
メリッサが喜びそうな雰囲気だし、ルイスも「庭を一緒に散策したい」と言ってたっけ……。しかし、あのルイスが来るとなると、また何か落ち着かない展開になりそうな予感がする。
(……まあ、前回もちょっとドキドキしただけで終わったし、大丈夫でしょ。慣れれば恥ずかしくない……かな?)
自分にそう言い聞かせながら、わたしは準備を進めるメイドたちを眺める。紅茶の茶葉選び、カップ&ソーサーのチェック、茶菓子のリストアップなど、彼女たちはとても手際が良く、わたしがあまり細かく指示しなくてもテキパキと整えてくれる。
それでも、わたしも一応“主人役”だから、見栄えのするドレスの用意や座席の配置を相談したり、庭の花壇に追加の植栽を頼んだりと、ちょこちょこと動いている。実はこれまで、こんな社交的イベントを自分が主導するなんて考えられなかったんだけど、転生生活にも慣れてきて、ある程度はこなせるようになってきた。あとは、当日変な失敗をしなければいい。
そんなふうにバタバタしているうちに、いよいよお茶会当日の朝がやってきた。天気は快晴。朝から太陽がさんさんと降り注ぎ、中庭の花々が生き生きとして見える。わたしの緊張と期待が入り混じった気持ちが、朝食もそこそこに準備を急かす。
ドレスは、あまり動きにくいコルセットや大きなフリルのものは避けて、多少軽やかなスタイルを選んだ。色は薄いクリームベージュで、さりげなくレースをあしらって華やかさを出している。髪はメイドのセシルが簡単にまとめつつ、ヘアアクセだけつけてくれる。わたしとしてはもっとラクにしたいけど、「せっかくのお茶会ですし、お嬢様は可愛らしく装ってこそですよ」と笑われ、仕方なく従う。
(だって、考えてみてよ。前世は成人男性だったんだよ? それなのにこんな可愛い格好をして恥ずかしくないわけない……。でも、まぁ、ここまで来たら慣れるしかないかぁ)
自嘲気味に笑いながら鏡の前に立てば、そこにはたしかに14歳の少女――わたし自身が映っている。くすみのない頬、少しあどけなさを残しつつ、細くしなやかな手足。その姿に、いまだに慣れきれない自分がいるけれど、これが“今のわたし”だ。自分の思考とは裏腹に、見た目は完全な女子。そりゃあ、同世代の少年が好意を寄せてくるのも、仕方ないのかもしれない……。
「エリシア様、そろそろお客様がお見えになる頃かと思います。メイドの皆もサロンでお待ちしておりますので……」
セシルに促されて、わたしはドキドキする胸を押さえながら廊下へ向かう。階段を下り、少し奥まった場所にあるサロンへ進むと、そこには既にお茶会のセットが整えられている。
窓の外には青い空と豊かな緑。室内には柔らかな花の香りを漂わせるポプリが置かれていて、テーブル中央にさりげなく生花が一輪挿しに活けられている。テーブルクロスはクリーム色、チェアには淡い緑のクッションが敷かれ、全体的に落ち着きながらも明るい雰囲気が演出されていた。
思わず、「おお……綺麗にしてくれたね、ありがとう」とメイドたちに声をかけると、彼女たちはうやうやしく頭を下げる。まるでお店の開店前のように、完璧なセッティングだ。
そうしているうちに、玄関のほうから「お客様が到着されました」という声が届き、わたしはサロンの入り口で出迎える。最初に姿を現したのは、やっぱりメリッサ。ほっそりとした体躯に淡いパステルグリーンのドレスを纏い、可愛い帽子を合わせている。落ち着いた佇まいだけど、胸元や袖のレースが華やかで、まさに貴族令嬢の優雅さを体現している。
「エリシア様、ご無沙汰しておりますわ。お招きいただきありがとうございます。お庭の緑がいっそう美しくなったように感じます。」
流れるような動作で一礼する彼女に、わたしは笑顔で「いえいえ、こちらこそお越しくださって嬉しいです、メリッサ。庭もあなたが来るなら張り切って整えさせたのよ」と返す。
彼女が微笑むと、なんとも優雅な空気が漂う。それから少し遅れて、玄関近くでちらりと影が動き、やや控えめに顔をのぞかせる人物がいた。
「お、おはようございます、エリシア様。あと、メリッサ様も……本日はご招待感謝いたします。」
ゆっくりと前に出てきたのはルイス。明るめのブラウンの髪を柔らかく整え、白いシャツに淡いベージュのベスト、そして同系色のパンツ姿という若々しい装いだ。さわやかな笑顔をたたえているが、どこか照れくさそうに俯きがちなのが彼らしい。頬にうっすら赤みが差しているのは、照れなのかそれとも暑いからか……。
(わっ……やっぱ、整った顔してるよな、この人)
前世の男の視点がふいに蘇り、「こんなイケメンが女の子を口説く姿って、そりゃ絵になるだろうな」と客観的に思ってしまい、同時に「え、でも今のターゲットって、わたし……?」という複雑な焦りがこみ上げる。
「よ、ようこそルイス様。メリッサにも声をかけてくれてありがとう。さぁ、中へどうぞ。今日は天気も良いし、きっと素敵なお茶会になると思うわ。」
ぎこちない笑みで答えながら、わたしはサロンへ案内する。メリッサとルイスを続けて招き入れ、扉を静かに閉めると、メイドたちがすぐに紅茶や軽いお菓子を準備し始める。
「まぁ、涼しくて快適ですわね。先日は少し暑さが残る日でしたから、今日はちょうどいい気温かもしれません。」
メリッサが笑顔で室内を見渡し、わたしも「そうなの。庭で散歩もできるように、この時期を選んだの」と応じる。
その横でルイスが少し緊張した面持ちで、わたしの姿をちらちらと見ているのが気になる。まるで「エリシア様、素敵だな……」みたいなオーラを発している気がして、こっちの心臓がそわそわする。
「それでは……あの、座席はどうしましょうか?」
わたしがテーブルをちらりと指し示すと、メリッサが「そうですわね……」と微笑み、ルイスのほうを見て小さく首を傾げる。するとルイスは、待ってましたと言わんばかりに、ぱっと顔を上げてきた。
「エリシア様の、お隣がいいです!……いえ、その、よろしければ、ですけど……」
え、なに、そんな直球!? ルイスは、年相応か、それ以上に幼い感じがするが、それだけに、直球な振る舞いをして、たびたびわたしたちを驚かす。
わたしは思わず目を見開く。メリッサがくすりと笑い、「わたくしの隣でもいいんですのよ?」と冗談交じりに言うと、ルイスは「いえ、あの、エリシア様と……!」と一歩も引かない。
(な、なんでそんなに必死なんだろう……うわあ、どうしよう)
前世の自分ならきっと、「おいおい、男同士で隣に座るとか意識しないでしょ?」なんて軽い気持ちでスルーできたかもしれない。ところが、今は14歳の女子の身体。さらに相手は“男として”わたしに興味を示している可能性大。めちゃくちゃ意識しちゃうじゃないか!
メリッサは面白がるように微笑んでいて、ルイスは頬を赤らめながらも引き下がらない。結局、わたしは逃げ場がなくて、「じゃあ……どうぞ……」としどろもどろに許してしまった。
「ありがとうございます、エリシア様!」
ルイスがすぐ横の椅子に腰を下ろすと、わたしはどこか落ち着かない。メリッサは「ふふ、わたくしはお二人の向かい側に座りますわね?」と優雅にドレスの裾をさばきつつ、椅子に腰かける。なんだか、くすりと笑われている気がしてならない。
(あーもう、隣に男の子がいるだけでこんなに意識するなんて、どんだけ初心な乙女なんだ、わたし……前世が男だったはずなのに!)
心の中で自分をツッコみながら、わたしは彼らに「えっと、じゃあお茶を淹れましょうか?」と声をかける。さすがに主催者としてテンパってばかりじゃダメだ。
こうして、なんとも言えない緊張感と期待感が入り混じるお茶会が始まろうとしていた。どうか無事に終わりますように……そう願いながら、わたしは胸の鼓動を少し落ち着かせようと深呼吸をする。
だが、その祈りもむなしく、後々「とんでもないハプニング」が待ち受けていることなど、このときのわたしは知る由もなかったのだ。
(……いや、わたしの人生、ドタバタばっかりじゃない? 頼むから穏やかな時間を……!)
そう思いつつ、周囲への挨拶もそこそこに、まずはメイドが差し出す紅茶を三人で楽しむ。メリッサの柔らかな笑顔とルイスのぎこちない微笑みが、優雅に揺れるティーカップに映り込む。その一瞬、一見穏やかな情景に見えるけれど、わたしの心はすでに不穏な鼓動を刻んでいた。
このときばかりはまだ、誰もが「お茶会の準備、これで完璧」と思っていた。けれど、準備万端のはずのテーブルに、ちょっとした意外な罠が潜んでいたなんて……まさか誰も想像していなかった。
こうして物語は、お茶会本番へ向けて動き出す。ルイスの好意をひしひし感じるわたしと、それを眺めてニヤニヤするメリッサ。果たして、このメンツでどんなドキドキが起こるのか。想像するだけで、前世男のわたしには心臓に悪いけど、まぁやるしかない。スローライフもままならないが、慌ただしい青春(?)を満喫するしかないのだ。
(ああ……今から心がざわめく。頼むから平和に……できるかなぁ?)
──このように、わたしの家でのお茶会は始まるのだった。




