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キケリキー男爵の懸命の走りもむなしく、二人が高速道路の橋脚へ着くころには、もう空が白み始めていた。じきに月は沈み、日が昇るだろう。
道路橋の下はフェンスで囲まれ、立入禁止の看板が取り付けられている。もちろん、それは人間向けのものなので、人形とニワトリが入っても、怒られることは無い。むしろ人間が近付けないのなら、彼らにとって都合が良かった。
「このまま高速道路の下を進めば、マリーがカラスにさらわれたパーキングエリアまで行けそうですね」
とは言え、一晩中走り詰めだったせいか、キケリキー男爵はずいぶんくたびれているように見えた。
マリーは男爵の背中からぴょんと飛び降りた。
「そうね。でも、今は休みましょう。私はぬいぐるみ人形だからいいけど、あなたは生き物よ。ごはんを食べて眠らないと、死んでしまうわ」
「確かに、少々おなかがすきましたね」
キケリキー男爵は思い出したように言った。
「私、何か探してくるわ。男爵は、ここで休んでて」
「ありがとう、マリー。では、そうさせてもらいます」
マリーはフェンス際にはびこる、背の高い草のそばへ駆けて行った。麦のような穂をつけているので、ニワトリが好みそうな草の種があるだろうと踏んだのだ。実際、短いのぎのついたイヌムギの実が、乾いた地面にばらばらと散らばっていた。さらにマリーは大きな石をひっくり返し、隠れているダンゴムシやコガネムシの幼虫なども拾い集めた。そして、「お野菜がないわね」とつぶやき、ハコベも何本か引っこ抜く。
マリーは収穫物を集めると、裾を持ち上げたスカートに乗せてキケリキー男爵の前まで運んで行った。
「すごい、ごちそうだ!」
男爵は目を丸くして喜んだ。
「どうぞ、めしあがれ」
マリーが収穫物を地面にばらまくと、男爵はそれらを美味しそうについばみ、ぺろりとたいらげた。
それから二人は少しだけ眠り、お昼ごろには起き出して再び走り始めた。
しかし、道路橋が永遠に続くはずもなく、高速道路は山を開いた切通につながる。当然、橋の下の安全地帯もそこで終わりだった。
「高速道路の脇に道が伸びていますね。あれを通りましょう」
「人間に見つからないかしら?」
「その時は横の山に逃げ込みます。斜面にススキや背の低い木が茂っているので、身を隠せるはずです」
二人はフェンスを飛び越え、高速道路と並んで走る道に乗って走り出した。
幸いにも生身の人間と出会うことはなかったが、すれ違った数台の車の運転手は、人形を乗せてひた走るニワトリを見て運転席で目を丸くしていた。
そうしてすっかり日が落ちた頃、二人はパーキングエリアにたどり着いた。もちろん、パーキングエリアの入口は高速道路側にあるが、一般道から入れるように従業員用の裏口もある。とは言え、人目に付くとやっかいなので、キケリキー男爵はひょいとフェンスを飛び越え敷地に侵入した。
「ここが目的地でしょうか?」
「たぶん、そうだと思う。でも、空から見るのと地面から見るのとじゃ、ちょっと雰囲気が違うわね」
二人は植栽に潜り込んで、あたりをしげしげと見回す。
「あっ!」
マリーは思わず声をあげ、指をさした。
「あそこに、リスの石像があるでしょ。あれの横にあるベンチに、私とクニコちゃんが座ってたの」
「近くにある、あの緑の看板のお店はコンビニですね。私がまだヒヨコの頃、人間のトラックで運ばれている途中に、一度寄ったことがあります」
「ええ。クニコちゃんが、あのお店のソフトクリームをほしがって、お母さんがそれを買いに行ってる間に、私たちはカラスに襲われたの」
ベンチに座り、目を真ん丸にして驚くクニコちゃんの顔を、マリーは思い出した。クニコちゃんはケガをしなかっただろうか。マリーがいなくなって、泣いてたりしてないだろうか。
「落とし物として、あの店に届けられれば、クニコちゃんが迎えに来てくれるかもしれませんね」
「そうね。でも、どうやって落とし物になったらいいかしら。ベンチに座って、誰かに拾われるのを待つ?」
「それも悪くはないですね。しかし、そんな親切な人間が、都合よく通りかかってくれればよいのですが」
少しばかり運任せが過ぎて、マリーはうまく行かないように思えた。
「そうだ、私が届けるのはどうでしょう」
「あのお店の店員さん、ニワトリの言葉がわかるかしら?」
そんな人間は、古びたぬいぐるみ人形を落とし物として届けてくれる親切な人間より、ずっと少ない気がする。
「話しかける必要はありません。私がマリーの襟首をくわえてお店に飛び込むのです。当然、店員はびっくりして私を追っ払おうとするでしょう。その時、お店の中にあなたを放り出せば、店員はあなたを落とし物として扱ってくれるはずです」
うまく行きそうな気がしてきた。
「わかった。その作戦でやってみるわ」
二人はこそこそと、コンビニの前までやって来た。自動ドアのガラス越しに店内をうかがうと、どうやらレジ前に、お客さんが一人いるようだ。
そのお客さんの靴を見て、マリーは「おや?」っと首を傾げた。なんだか、見覚えがあるように思えたのだ。
「さあ、マリー。降りてください」
キケリキー男爵は言った。
マリーは男爵の背中から降りて、襟首をクチバシでくわえてもらい、動けない普通のおもちゃのふりをする。
男爵はマリーをずるずる引きずりながら、自動ドアの前に立った。
自動ドアが開き、独特のメロディーのチャイムが鳴り響いた。
「ええ、これくらいの大きさのぬいぐるみ人形で、落とし物として届けられていないかと……」
お客さんは、なにやら一所懸命、店員さんに説明しているようだった。しかし、自動ドアの方を見てしゃべるのを止め、目を真ん丸にした。
「えっ、ニワトリ?」
店員さんはぎょっとして言う。
「マリー!」
お客さんが叫んだ。
なんと、それはクニコちゃんのお父さんだった。
お父さんはキケリキー男爵の前にひざまずいて、にっこり微笑み手を差し出した。
「その子は娘のクニコの人形なんだ。返してくれるかい?」
男爵は首を傾げてからマリーを床に放り出し、「コケ」と短く鳴いた。
「マリーを届けてくれてありがとう、ニワトリくん」
お父さんは男爵にお礼を言って、マリーを抱き上げた。
マリーも人間に聞こえないように小さな声で「ありがとう」と言って、こっそり手を振った。
キケリキー男爵は、ぱちりと片目を閉じて見せてから、くるりと背を向け、そのままどこかへ走り去った。
「ニワトリが落とし物を届けてくれるなんて、不思議なこともあるもんですねえ」
店員さんは言う。
「ええ。母の家から帰る途中、もしかしたらと思って寄ってみたら、こんなことになるなんて」
「娘さん、喜びますね」
「はい。今は車で寝ていますが、明日の朝になってこの子が戻っていたら、きっとびっくりしますよ。それじゃあ、私はこれで。どうもお世話になりました」
「ご来店ありがとうございました」
*
「……と言うわけで、カラスにさらわれたマリーは、クニコちゃんところへやっと帰ってくることができました。これにてマリーの大冒険はおしまい。めでたしめでたし」
お父さんのお話を聞き終えて、クニコちゃんはパチパチと拍手した。その膝の上には、マリーがちょこんと腰かけている。
「ミカちゃんとダンプカーさんも、ちゃんとおうちに帰れたかな?」
と、クニコちゃん。
「マリーも帰ってこれたんだっから、きっと大丈夫さ」
お父さんは言う。
クニコちゃんはうなずき、そうしてパッと目を輝かせる。
「わたしもキケリキー男爵に会いたい!」
「また今度、おばあちゃんのうちへ行く途中、あそこのパーキングエリアで一緒に探してみようか?」
と、お母さん。
クニコちゃんは、ちからいっぱいうなずく。
「でも、キケリキー男爵は自由を愛するニワトリだからなあ。もしかしたら、今頃一羽で大冒険に出掛けてるかも知れない」
お父さんは腕組みをして、うーんとうなる。
「それじゃあ、会えないの?」
クニコちゃんはしょんぼりする。
「どうかな。でも、大冒険だからね。友だちのマリーに会いたくて、うちまで飛んできても不思議じゃないよ」
「そっか。男爵が来たら、ぜったい三人で遊ぼうね!」
クニコちゃんは笑顔になって、マリーを抱きしめた。
それはとても素敵な約束だったから、マリーはクニコちゃんの胸の中で、一人こっそりうなずくのだった。