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06.やる気と勇気


 理不尽な仕打ちを受けたあとにも関わらず、ルセーネは鼻歌交じりで浴室に向かった。

 浴室でゆったりとお湯に浸かりながら、ぼんやりと天井を眺める。


「ふはあ〜気持ちいい……幸せ〜」


 ヘルモルト伯爵家には大きめの浴槽がある。生贄時代は、数日に一回桶に入った冷水で身体を拭かせてもらえるだけで、常に全身垢だらけで汚れていた。浴槽の縁に両足首をかけて指先を動かしてみたり、お湯を手ですくったりして遊ぶルセーネ。

 こんな風に温かい風呂に入れるなんて、幸せすぎる。頭にタオルを乗せながら入浴を満喫する。


 浴室で身体を清めたあと、ルセーネは自分の私室として与えられている屋根裏部屋に行った。

 初めてここに来たときはホコリっぽくて蜘蛛の巣が張っており、とても人が住めるような状態ではなかったが、時間をかけて掃除し、今はそれなりに心地のよい空間になっている。


 狭い部屋には、退魔の給料を貯めて買った中古の寝台に、中古のチェスト、テーブルと椅子が置いてある。


 全体的に飾り気はないが、チェストの上に写真立てと花瓶が飾ってある。

 写真立てを手に取り、寝台に突っ伏す。写真立ての中に入っているのは、不器用なルセーネが描いた祖父の絵だ。


 その絵を眺めながらため息を吐く。

 祖父はルセーネが生贄になるとき、ルセーネを庇い逃がそうとして殺された。ふたりで山奥の小さな小屋で暮らしていて、ある日突然ローブを着た男たちが訪ねてきたのを覚えている。今思えば、あれは神力が強いルセーネを生贄にするという村からの理不尽な通達だったのだと思う。


 その夜、祖父に手を引かれながら山を降りて遠い街に逃げようとしたが、すぐに追っ手に捕まってしまった。そして、祖父は殺され、ルセーネは塔の中に幽閉された。


(私はもっと、沢山の人に必要とされたいし、役に立ちたいよ。おじいちゃん)


 今の暮らしはぬるま湯に浸かっているみたいだ。でも、まだ自分にはできることがあるのではないか。7年間も真っ暗な塔の中で頑張って生き延びたのに、今の状態に甘んじていていいはずがない。


(こうしてここにいるということは、私にできることがあるということ。もっと何か、特別なことをしたい)


 ポケットの中を漁り、今日の夜会でもらった名刺を取り出す。


「ジョシュア・ダニエルソン……」


 彼は王国騎士団第一師団で師団長を務めるエリートだ。そして彼は、ルセーネを檻から放ってくれた恩人。ジョシュアはルセーネに入団を受け入れると言ってくれた。


(勢い余って王国騎士団に入りたいなんて言っちゃったけど、大丈夫かな)


 どの団体にも属していない退魔師が、侮られやすいのは事実だ。第一師団に入れば、確実に今と状況が変わる。


(でも、勇気を出して、一歩踏み出すんだ)


 幽閉されていたルセーネが外に出られたのは、ジョシュアがいたからだ。剣を握れないなんて聖騎士として致命的。大変なことが待ち受けているかもしれない。それでも、やれるだけのことをやってみよう。


 7年間くすぶっていた外の世界への憧れ。

 ひとりぼっちだったルセーネが抱えていた、大勢の人の役に立ちたいという願い。

 世間との関わりを隔絶されてきたルセーネは、ただ、自分の生きている実感がほしかった。お前は必要な存在なのだと、誰かに認めてほしかった。

 そしてルセーネが、誰かの役に立つために唯一持っていたのは、退魔の能力だけ。


「おじいちゃん。私……明日、王国騎士団に行こうと思う。第一師団の聖騎士になったらいつか……誰かに必要としてもらえるかな?」


 写真立てに話しかけながら、指先でそっと撫でる。

 人に必要とされる聖騎士になって、いつか塔から解放してくれたジョシュアに打ち明けたい。『助けてくれてありがとう。あなたが救った気の毒な生贄は、こんなに立派になりましたよ』――と。


 明日は第一師団の詰め所に行こう。そう決心してまもなく、疲労が溜まっていたルセーネは意識を手放していた。



 ◇◇◇



 ジョシュアはルセーネを送ったあと、再び夜会が行われた屋敷へと行った。


「まさかダニエルソン公爵様に息子を診ていただけるとは、ありがたい限りですわ」


 ジョシュアが訪ねると、夫人は歓迎してくれた。シリルという呪われた少年がいる寝所へと案内される。

 シリルは二週間前に白い蛇の魔物に噛まれて、呪いをかけられたらしく、それから坂を転げ落ちるように体調が悪くなっていったらしい。呪いの痣が拡大したここ数日は憔悴しきっていたらしい。


「ついさっき、呪いの痣が完全に消失したのです。これはつまり、呪いの本体である魔物が討伐されたということでしょうかね……?」

「実は先ほど、この屋敷の近くの道にいた白い蛇の魔物を倒しました。このくらいの大きさの」


 手で魔物の大きさを示すと、夫人は言った。


「シリルが噛まれたのもちょうどそのくらいの大きさだと言っていました。屋敷の庭で噛まれたので、公爵様が倒してくださった魔物かもしれません」


 痣が消失しているということは恐らくそうだろうと告げると、彼女は感激のあまり涙ぐんだ。

 シリルの肌を確認しながら、ジョシュアはおもむろに、自身の胸に手を伸ばした。ジョシュアの胸に刻まれた――黒い痣が疼くのを感じる。


「ああ、なんとお礼を言っていいものか……」

「お役に立てたなら幸いです。でも、魔物を発見したのは私ではなく――ルセーネという娘です。彼女が魔物を追いかけているところを見つけまして」

「ルセーネ……ああ、さっきの胡散臭い退魔師ね」


 ルセーネが「待てーーっ!」と大声を上げながら鬼の剣幕で魔物を追いかけていたのを思い出す。

 まるで親の仇でも打とうとするかのような、ムキになった様子がおかしかった。


(なんだ、あの可愛い生き物は)


 ふっと小さく笑いを零し、拳でそれを隠して咳払いする。


「こちらに伺ったのは、彼女のことを聞くためです。彼女の施術後――痣が小さくなったというのは本当ですか?」

「ほんの少しですよ?」

「…………」


 ジョシュアは絶句した。ほんの少し、と夫人は言ったが、その少しを成し遂げた者など他に見たことも聞いたこともない。

 ルセーネはやはり、魔力の才能を持つ、100年にひとりの逸材で間違いない。そしてどこで修行したか知らないが、暴走させたりせずにコントロールもできている。


「あのような怪しげな力を使う退魔師は初めて見ました。やっぱり、国がお認めになった聖騎士でないと、信用なりませんね。ちっとも役には立ちませんでしたよ」


 不思議な力を使う少女退魔師は、理解されていないために、これまでこうして心無い言葉を投げかけられてきたのだろうか。この国では、魔術師のまの字すら聞かなくなっている。けれど100年に一度、確かに魔力を扱う魔術師が生まれるのだ。


 魔術師たちは数百年前、大飢饉がノーマイゼ王国で起きた際に、魔物を使役して不作を引き起こしたと言いがかりを付けられて、一斉に処刑され滅んだ。実際には人々の鬱憤の捌け口になっただけで無実だった。


 死んだ魔術師たちのノーマイゼ王国への恨みからか、その後はぴたりと魔術師は生まれなくなった。けれど100年に一度、刹那的な微笑みのように魔術師が生まれたのである。そしてそれが――ルセーネなのだ。悲劇的な死を遂げた魔術師たちの供養のためにも、ルセーネを庇護しなくてはならないと思っている。


 嫌味っぽく呟いた夫人に対して、ジョシュアは強い確信とともに否定する。


「彼女は――100年にひとりの逸材です。才能が開花すれば、大勢の人々の役に立つでしょう」


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