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05.意地悪なお嬢様と家族

 

 家に着いたルセーネは、空腹で音を立てるお腹を撫でながら、使用人用の裏口からそっと中に入る。

 夜中だが居間は明かりがついていて、賑わう声が廊下まで漏れ聞こえてきた。ルセーネは憂鬱な気持ちを抱えつつ、最低限の礼儀として居間に入って挨拶をする。


「ただ今帰りました。浴室をお借りします」


 ルセーネは塔から逃げたあと、ヘルモルト伯爵家で召使いとして居候させてもらっている。貧しい孤児である自分を受け入れてもらったため、かなり待遇は悪い。

 居間では、この屋敷の主であるディーデヘルム伯爵と、娘のアビゲイル、夫人のミレーナがグラスを傾けながら談笑していた。ルセーネが挨拶をしても、見えないふり、聞こえないふり、完全に無視される。


 一家団欒の雰囲気を邪魔するべきではないと思い、すぐに部屋を退出しようとすると、アビゲイルに引き留められる。


「ちょっと待ちなさい」

「は、はい」


 ソファから立ち上がり、つかつかとこちらに歩いてくる彼女。ナイトドレスをルセーネの腕に押し付け、冷たい口調で告げた。


「これ、洗っといて」

「はい」

「あと、部屋の窓のレールが汚れていたからちゃんと拭いて。ついでにカーテンも替えといてね。それから、あたしの靴下が片方見つからないの。探しておいてくれない?」

「分かりました」


 アビゲイルの指示に、ひたすら了承の言葉だけを返して頷く。家主の娘である彼女の言葉は、依頼ではなく命令だ。断るという選択肢は与えられていない。


(めんどくさいなぁ。窓掃除にカーテンの洗濯と……あと何だっけ。ああ、靴下だ)


 靴下くらい自分で探せばいいのに、という口答えは舌先で留めておく。

 ルセーネはこうして、アビゲイルを含むヘルモルト一家にこき使われている。


 アビゲイルはウェーブのかかった赤毛につり上がった瞳をしている。両親に蝶よ花よと甘やかされて育ったためか、わがままで底意地が悪い。

 彼女の話をへこへこと聞いていると、今度はディーデヘルムに声をかけられる。


「ルセーネ」

「は、はい! なんでしょうか、旦那様」


 アビゲイルのナイトドレスを抱えたまま、彼の前に行く。従順なその姿をアビゲイルは鼻で笑いつつ、自分は優雅にディーデヘルムの横に腰を下ろした。

 ディーデヘルムは肘掛に頬杖を着き、顎髭をしゃくりながら、冷たい眼差しをこちらに向けた。


「今日の報酬は?」

「それは……ええっと……」


 指で札をめくるようなジェスチャーを取り、金を要求する彼。ルセーネは冷や汗を滲ませ、目を泳がせる。

 ディーデヘルムはルセーネが退魔師の仕事をしていることを知っている。居候として置いてやる代わりに、報酬を半額渡せとせびるのだ。


「お父様! あたし、ちょうど新しい靴が欲しいと思っていたの」

「はは、そうか。もちろん買ってやるぞ」


 ディーデヘルムの横で、アビゲイルが甘えるようにおねだりしている。


「ごめんなさい。払ってもらえなかったので、旦那様に渡すことは……できません」

「――この役立たずがっ!」

「うわっ!?」


 バシャン。罵声とともに、真っ赤なワインをぶっかけられる。ルセーネの一張羅のドレスが赤く染った。ディーデヘルムは空になったグラスを握り締めながらこちらを睨みつける。


「つくづく使えん女だ。お前みたいな孤児を親切に置いてやってるのは誰だ!? 言ってみろ! おい!」

「だ、旦那様でございます!」

「ああ、そうだ。誰のおかげでメシが食えてると思っているんだ。金も払わずに寝泊まりさせてもらおうなんて、恩知らずにもほどがある。舐めやがって。ったく」


 そう吐き捨てて舌打ちする彼。

 ヘルモルト伯爵家は、数代前に商機を求めてこの街に引っ越してきてから、貴族向けの雑貨を売る商売をしている。詳しいことは、一使用人のルセーネは教えてもらっていないのだが、なんの雑貨を売っているのかさえひた隠しにするので、きっといかがわしい物を売っているのだろうと、ルセーネは密かに決めつけている。

 だがその商売は思うように上手くいっていないようで、加えてミレーナ夫人とアビゲイル、ディーデヘルムの散財によって、家計が火の車になっている。


 最近は借金もしているようだが、贅沢をやめようとはしなかった。ルセーネの雀の涙のような退魔の報酬まで当てにするとは余程の困窮だと想像できる。

 ディーデヘルムたちはルセーネを虐げることで、鬱憤の捌け口にしているのだろう。


 金切り声で怒鳴られたルセーネは、一応しおらしい態度をしているが、全く落ち込んでいない。ディーデヘルムの叱責は、左の耳から右の耳へと抜けて消えてしまっている。


(んもう、せっかくのドレスが台無し……! 大事にしてたのに! まぁ、拳が飛んでこなかっただけマシか)


 ルセーネはあっけらかんと微笑み、猫なで声で言う。


「私みたいな卑しい孤児を住まわせていただいて、旦那様にはとーっても感謝しています。せっかく綺麗な絨毯を汚す前に下がらせてもらいますね! ではごきげんよう〜」


 ワインで濡れたまま居座っていたら、どこかを汚してしまうかもしれない。……というのは口実で、さっさとこの場を離れたかったのだ。

 くるりと背を向けて居間を退出すると、怒鳴られても全く動じないルセーネに、ヘルモルト一家は不審感を示した。


「なんなのあの子、怒鳴られてへらへらしているなんて、気味が悪いわ」

「あんなのただの強がりに決まってるじゃない、お母様。あの子はあーやってあたしたちにこき使われながら、みっともなくてみじめな生涯を送るのよ。可哀想〜」


 ミレーナとアビゲイルの悪口が耳を掠める。聞こえるようにわざとらしく大きな声で話しているのだ。

 扉の外に出て、ふぅと息を吐くルセーネ。


(……塔の中に閉じ込められていた7年間を思えば、今の生活は天国みたいだもの)


 ルセーネにはもはや、怖いものなんてほとんどなかった。どんなに虐げられてもへっちゃらな強い精神の理由はきっと、ヘルモルト一家は予想もつかないだろう。けれど、アビゲイルたちに言われた言葉を思い出して、眉をひそめる。


「でも……みっともなくてみじめな生涯になるのは……嫌だな」


 せっかく外に出られたなら、色んなことに挑戦して、それこそかつての恩人が言ってくれたような、輝かしい人生にしたいものだ。

 ルセーネは俯き、きゅっと唇を結んだ。

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