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34.新しい日の始まり(最終話)

 

 ルセーネはある朝、カーテンの隙間から差し込む日の光で目を覚ました。


「ん……」


 寝台から起き上がり、ぐっと伸びをする。そのまま窓際までゆっくりと歩いてカーテンを引き、窓を開けて身を乗り出した。

 ルセーネは今、王国騎士団の宿舎を借りて暮らしている。この国のたったひとりの魔術師である彼女には、二階の広々とした角部屋が与えられている。

 目を閉じると、小鳥のさえずりが鼓膜を震わせた。


「今日もとっても良い日……!」


 ルセーネはクローゼットを開き、魔術師のためにあつらえたローブを引き出す。ローブに着替えてから、鏡台の前に座り、ブラシで長い髪の毛を梳かした。昔は癖のある自分の髪があまり好きではなかったが、母譲りの紫が今は大好きだ。


 少しの荷物と杖を持ち、扉に手をかける。しかしはっと気づいて一旦戻り、扉の近くのチェストの前で身をかがめた。


(いけないっ、大事なことを忘れてた!)


 祖父への挨拶を忘れて出かけてしまうところだった。チェストには、祖父が微笑んでいる絵の額縁が立ててある。ルセーネの下手くそな絵ではなく、ジョシュアが祖父の顔の魔物が最後に微笑んだのを思い出しながら描いてくれたものだ。


 祖父はヘルモルト伯爵家に協力して、娘の治療費を稼ぐために長らく罪を犯していた。理由があったとしても罪は罪。それでも、彼の過去と、ルセーネに愛情を注ぎ育ててくれたことは別のことだ。ひどい人とは思いつつ、それでも大切であることに変わりはない。


 ルセーネはそっと目を細め、祖父の絵に語りかけるのだった。


「行ってきます! おじいちゃん!」


 そのとき、絵が入った写真立てが、陽光を反射してきらりと輝いた。まるで「いってらっしゃい」と返事でもするかのように。



 ◇◇◇



 着替えたルセーネが向かった先は王都にある王立美術館だった。街道を歩いていると、ルセーネのことを人々がちらちらと見て、噂話をする。


「見て? あの杖と王国騎士団の徽章つきローブ……」

「ああ、噂の魔術師様ね……? 最近もずっと魔物討伐の前線で活躍しているそうよ。すごいわよねぇ」


 そんな話し声がルセーネの耳に入り、誇らしげにふんと鼻を鳴らす。胸を張って、自信満々に歩いていると、今度はこんな言葉が耳を掠める?


「なんていうか……小さくて可愛らしいのね」

「あの子いくつなのかしら? まだ12歳くらい?」


 がくっとルセーネは膝から崩れ落ちる。


(もうすぐ18歳なんだけど!? 私ってそんなに童顔かな?)


 100年にたったひとりの魔術師も、子どもにしか見えないのでは威厳がないではないか。ルセーネは靴屋のショーウインドウの厚底靴をじとーっと食い入るように眺めつつ、目的の場所へ向かった。


 美術館の前では、ひとりのとりわけ美しい男が人々の視線を集めていた。王国騎士団の騎士服を身に纏い、長い黒髪をなびかせた妖艶な彼はジョシュア・ダニエルソン。

 ノーマイゼ王国で権勢を誇る公爵家の当主で、王国騎士団第1師団長で、剣の天才。


 世間にはジョシュアを賛美する言葉は、いくつも存在する。けれどルセーネにとって、彼を示す言葉は二文字に収束する。――恩人だ。

 7年間の暗闇から、解き放ってくれた大切なたったひとりの恩人。


「ジョシュア様! お待たせしました……!」

「遅い。10分の遅刻だ」

「ごめんなさい。靴屋さんで厚底靴を見てて……」

「身長を盛っても童顔は変わらないと思うがな」

「うっ、バレてる……」


 厚底の意図をまんまと見抜かれ、顔をしかめる。

 二人は受付を済ませて、美術館に入った。広間の中央、最も目立つ場所に――ひとつの額縁が飾られていた。


 素晴らしいバラの茂みに囲われ、ひとりの娘が座っている。伏し目がちな瞳も、扇の弧を描く唇も繊細に描かれていた。そして、その絵の題名は――。


「……100年にひとりの魔術師」

「よく読めたな」


 ジョシュアは偉い偉い、とルセーネの頭を撫でる。彼に少しずつ文字の読み書きを教えてもらい、勉強嫌いなルセーネも最低限の読み書きはできるようになりつつある。


「私は……こんなに綺麗じゃないですよ」


 絵を見上げながら、ルセーネは苦笑する。

 この作品は、ルセーネのことをジョシュアが描いたものだった。街でコンクールの張り紙を見つけたルセーネが、試しに応募してみてはどうかと提案したら、まさかの1番良い賞をもらってしまったのだ。

 そのコンクールは何やら、格式高いものだったらしく、ジョシュアは聖騎士の仕事以外に、教会の壁画などの依頼が殺到しているとか。以前彼が、『画家になって教会で絵を描きたかった』と何気なく夢を打ち明けてくれたことがあったが、見事にその夢が叶ったという訳だ。


 この絵は、感動のため息が出てしまうほどに見事だ。まつ毛の1本まで洗練されていて、女神が天から降りてきたようだと賞賛されている。実物のルセーネより少し、いやかなり美化されているような気がする。だが、この絵が有名になったおかげで、この街の人たちにルセーネの顔を覚えてもらえるようになった。


「言っただろう? 俺にはお前が一番眩しく見えると。それにお前は……とても綺麗だ」

「綺麗……だなんて」


 ジョシュアの目に自分がどう映っているのか気になっていたけれど、彼が描くルセーネがあまりにも綺麗で、眩しくて、胸がきゅうと甘やかに締め付けられる。

 彼の前でだけ鼓動が高鳴る理由は、鈍感なルセーネも薄々分かっている。彼に対して、恩や憧憬以上の特別な気持ち――恋心が芽生えているから。


(こんな風に素敵に描いてもらえるなんて思わなかったよ。それに、期待しちゃう)


 ジョシュアはこの絵を描く前に、絵には描き手の想いが現れると言っていた。これではまるで、ルセーネのことが好きだと言っているようだ。

 勘違いしそうになってしまう。まかり間違ってまかり間違っても、ルセーネみたいな小さくて子どもっぽい女に惚れることなどないと分かっているのに。この絵には、描き手が溢れるばかりの愛情を詰め込んでいるのが、素人目にもこれでもかと分かってしまう。


 ルセーネは勇気を出して尋ねてみる。


「最近も……ジョシュア様に縁談の話がひっきりなしに舞い込んでいるそうですね。それを全部――断っていらっしゃるとか」

「それがどうかしたのか?」

「……もう呪いは解けました。今も……結婚には全く興味がないんですか? だ、どっ、どなたか気になる人がいたりとかは……」

「…………」


 ドキドキと心臓が早鐘を打ち、やけに顔が熱い。胸の鼓動は確かに、何かの期待を主張しているようで。

 するとジョシュアは、こちらの顔を覗き込み、不適に口の端を持ち上げる。


「――俺の妻になるか?」


「……! からかってますか?」

「からかってなんかいない。本気だ。大体、気がなければ休日に一緒に出かけたり、文字書きを教えたり、あんなあからさまな絵を描いたりはしない。少しは気づいていただろう?」

「ちょっとだけ、そうだといいなとは……思ってましたけど。でも、分かりづらいです。ジョシュア様は基本、何を考えているのか分からないので。つまり……ジョシュア様は私のことが、好きってことで……いいんですか?」


 すると彼は、一も二もなく答える。


「ああ。――大好きだよ」

「!」

「それで、答えは?」


 あまりもストレートに告白され、ルセーネはかあっと顔を赤くする。

 自分にとって彼は、たったひとりの恩人だ。七年間、暗い塔で過ごし、何もかも諦めていた。外に出るという希望すら打ち破れていたときに、ようやく手を差し伸べてくれた彼。


 三年越しに再会を果たしたときも、彼は王国騎士団に入れるように力添えしてくれて、ルセーネが困っているときにはいつも助けてくれた。助けられてばかりだったけれど、今は自分もジョシュアを助けたいし、自分がたくさんのものを与えてもらったように、何かを返したいと思うようになった。


 ルセーネにとって楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、そうでないことも。この人にはなぜか全部、分かってほしいと思う。そして彼に対する感謝だけではなく、もっと特別な感情が胸の中で膨らみ続けていた。


(私の気持ちなんて、きっとバレバレだよね)


 命懸けでジョシュアを呪いから救おうとしたこと、恩という言葉だけでは収まりきらない苛烈なほどの愛情を、彼には見透かされている気がする。

 澄んだ眼差しでジョシュアを見上げて、小さな唇を開く。


「はい。私も、ジョシュア様のことが大好――」

「きゃああっ! ――魔物よ!」


 ルセーネが承諾を口にしかけたのと、美術館の奥から悲鳴が上がったらほぼ同時だった。


「誰か! 退魔師はいないの!?」


 二人の間の和やかな雰囲気は、一瞬で仕事モードに切り替わる。互いに顔を見合わせて、頷きあい、悲鳴がする方に走り出した。



 ◇◇◇



 ――数年後。

 ルセーネは不思議な炎を操る力で、数多の功績を上げ、いくつもの勲章を与えられた。

 かつての恩人がくれた『輝く未来が待っている』という励ましの通り、100年の月日とともに忘れ去られていた役職――魔術師という地位を与えられ、多くの人に必要とされる存在になった。

 そしてルセーネのことを、その恩人であり、婚約者となったジョシュアがいつも目にかけるのであった。



『100年にひとりの魔術師ルセーネ様だわ!』

『お目にかかれてなんて光栄なんだ……! ありがたい……!』



 魔術師は剣ではなく、杖を使って魔物と戦う。国王から下賜された杖を持つのは、この国でルセーネただひとり。街を歩く度に、ルセーネに対して歓声が上がる。


(ああ、私……必要としてもらえてるんだ。誰かの力になれたんだ。頑張って生きてて良かったなぁ。嬉しいなぁ)


 人生を諦めていた生け贄は、100年にひとりの逸材だった。

 恩人との再会を果たした彼女は、ようやく念願が叶い、本当の自分の居場所を見つけられた喜びを噛み締めるのだった。

 それに、あの七年間は無駄ではなかった。暗い塔の中でやることといえば、魔力の叩き上げくらい。でもそのときに培ったもののおかげで望む場所にまで辿り着き、あの日々があったからこそ大好きな人にも出会えたのだから――。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ひたむきな可愛い女の子を書きたくて思いついたお話でした。


もし少しでもお楽しみいただけましたら、ブックマークや☆評価で応援してくださると嬉しいです…!

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