33.100年にひとりの魔術師
超上級の魔物を倒したルセーネは、国王から直々に褒賞を与えられることになった。
魔物討伐において大きな功績を上げた退魔師や聖騎士は、しばしば王家から表彰されることがある。時には、領地や爵位を下賜されることも。
「ルセーネ。手と足が一緒に出てるぞ」
国王の謁見の間で表彰されることになったルセーネ。
聖騎士の制服を着て、控え室で行ったり来たり、落ち着きがなく動き続けるルセーネに、ジョシュアが突っ込みを入れる。
ジョシュアは今日、付き添いで来てくれた。彼はソファで足を組みながら言う。
「無理もないか。国王陛下から直々に感謝状をいただけるなんて、そうそうないことだからな」
「……今は言わないでください! 緊張して吐き気が――うぷ」
ルセーネは顔を青くさせながら、手で口元を抑えた。
ヘルモルト伯爵家のその後についてたが、国の決まりで禁止される魔物の取引をしていたことで、爵位と領地は没収された。さらに、王女を誘拐した罪が重なり、ディーデヘルムは処刑。ミレーナとアビゲイルは共犯扱いされ、流刑となった。ヘルモルト家の商いに関わっていた者たちも、次々に処断されている。
だが、およそ17年前の、王女誘拐事件の真相が公になることはなかった。他でもない――ルセーネの意思によって。
そのとき、扉がノックされて、控え室にセシリアとグレイシーが入ってきた。グレイシーは自分の祖父が、17年前の大罪を犯した張本人であり、実母は病死し、父はグレイシーが生まれる前に死んでいるという事実にひどくショックを受けたそうだ。
自分はもう王宮にいることができないと、王宮を出る支度までしていたが、ルセーネは王家に告げた。
祖父ゼリトンの罪を公にはせず、王女ルセフィアネは行方知れずのままにしてほしい。そして、グレイシーを王女として王宮にいさせてあげてほしい――と。
「ルセーネさん、どうしてですの……? あなたこそ、ノーマイゼ王国の本物の王女なのですわよ。わたくしとは違う、正真正銘――純血の」
「でも、私の望む生き方じゃありません。王女様って、ダンスのお稽古をしたり、刺繍をしたり、色々忙しくて大変なんでしょう? 私、勉強って苦手なんです。毎日息が詰まりそう。私には王女様は向いていないかなって」
「それでも、散々ひどいことをしたわたくしの立場など、守ってやる必要などありませんのに……」
拐われた王女が隠れていることで、グレイシーの立場は今までと変わらないし、本物の王女の影に怯える必要もなくなる。
グレイシーはジョシュアに縁談の白紙を申し込んだらしいが、実は元々好意がなかったと分かった。憧憬のようなものは多少あったのかもしれないが。嫌がらせについては、すでに何度も謝罪されている。
ルセーネはあっけらかんとした様子で伝える。
「私、喧嘩をしたのって生まれて初めてです! でももうわだかまりは無しです。仲直りしましょ?」
「なんですのよ……それ」
これまでの嫌がらせを『喧嘩』という言葉で済ませてしまうルセーネのおおらかさに、グレイシーは拍子抜けする。
すると、セシリアがふっと笑った。
(私は王女様にはなりたくないし、グレイシー様の居場所がなくなっちゃうのも嫌だよ。それなら、今のままが合っている気がする)
人には適材適所というものがある。ルセーネは実父である国王に会ったことがまだないが、ジョシュアに教えてもらいながら、下手くそな字で手紙をしたためた。
17年間、苦労を強いられてきたルセーネを哀れんだ国王は、彼女の切実な願いを無下にすることができなかった。
後日、ルセーネのもとに、子どもでも読みやすい字で、『現状維持は約束する。だが、父のもとにも時々会いに来てほしい』という旨が書かれた手紙が届いた。
ルセーネは文字の読み書きの絶賛勉強中なので、やはりそれもジョシュアに読んでもらった。
「私は、もっともっと、誰かのお役に立ちたいんです。貴族のご令嬢としての才能も、神力もからっきしだけど、私には――魔力があるので」
ふと、ひとりぼっちで悲しかったころを思い出す。
今はただ、誰かに必要とされたい。誰かの役に立ちたい。そんな7年分の思いがルセーネを強く突き動かしているのだ。
「私はいつか……この国で一番の魔術師になりたいです!」
「「…………」」
グレイシーとセシリアは顔を見合わせる。そこにジョシュアが、「一番も何も、魔術師はお前しかいないだろう」と以前と同じ突っ込みを入れた。
「私はあなたがやりたいと思ったことを応援するわ」
「わ、わたくしも……あなたが残してくださった王女の役目を全うできるように……もっともっと励みますわ」
ふたりの言葉に、ルセーネは何も答えない。足をもじもじとさせ、ほのかに顔を染め、長いこと間を開けてからゆっくりと唇を開く。
「あの……もし、もし……ご迷惑じゃなければ……その……」
なかなか言い出せず、煮え切らない様子のルセーネに、首を傾げるグレイシーとセシリア。ルセーネは純粋な眼差しでふたりを見据え、甘えるように言った。
「私にはもう家族がいません。だからその、他に人がいないときは、お姉ちゃん、お母さん……て呼んでもいいですか?」
「「……!」」
ルセーネの可愛い懇願に、彼女たちはきゅんと胸を抜かれる。グレイシーはこちらの手を握り、セシリアは肩を撫で、もちろんだと笑顔で答えるのだった。
そのあと、謁見の間にて。絢爛豪華な一室に、貴族や騎士団の上層部や、宮廷の役人など、大勢の人が集まっていた。そして、最も高い場所に、国王が座していた。
(この人が……私のお父さん)
セシリアのように柔らかい雰囲気の人を想像していたが、峻厳とした佇まいで、気難しそうな感じの男だった。シャンデリアの眩しさと、国王の威光に圧倒されていると、彼が言った。
「こちらへ」
「ひゃいっ!」
緊張のあまり声が裏返ってしまい、そこかしこから微笑ましげな笑いが零れる。
ガチガチになり、手と足が同時に出るへんてこな歩き方を披露しながら、手先の長い赤い絨毯の上を歩く。
国王の前でルセーネは片膝をつき、慣れない騎士の礼を執った。今、この国に魔術師という身分は存在せず、ルセーネは剣が使えないにもかかわらず、聖騎士という肩書きを持つ。
「面を上げよ」
「表……? あの、裏はどこにありますか?」
「顔を上げなさい、という意味だ」
「……! す、すみません!」
とんちんかんなルセーネに、再び周りからくすくすと笑いが聞こえる。
真っ赤になった顔を上げると、国王と視線がかち合う。近くから見ると、目元がルセーネとよく似ているような気がする。遠くで見たら威圧感があったが、そのまま眼差しは優しげで、娘との再会に感激しているのか、少し潤んでいるようにみえた。
「此度の功績、見事であった。国の民と平和に寄与し、魔物を討伐した功績を労い、感謝状を贈呈する」
「あ、あの……恐悦至極にございます。国王陛下」
国王は顎をしゃくりながらうむ……と呟く。国王に直接感謝状を差し出されて、どぎまぎしながらそれを受け取る。
「それからもうひとつ。ダニエルソン公爵――例のものを」
「はい」
すると今度は、国王の近くに控えていたジョシュアがこちらに歩んできて、ローブを背に羽織らせた。
「え……?」
王国騎士団の徽章が入った、上質なローブだ。
どうして急にこんなものを、と小首を傾げていると、ジョシュアが説明する。
「陛下は、お前の今後の活躍に期待し、王国騎士団に新たな役職――魔術師を設けられることにしたんだ」
ざわり。ジョシュアの言葉に、広間が騒がしくなる。
ノーマイゼ王国には、100年もの間魔術師が現れなかった。魔術師という役職の存在さえ、人々にとってもはや忘却の彼方になりつつあって。それが今、復活しようとしているということだ。
国王は、部下に指示して布に乗った長い杖を持ってこさせる。金が基調になっていて、先端に緑の大きな宝石がついてる。加えて、金が螺旋を描く可愛らしい装飾が施されており、それがルセーネの乙女心をくすぐる。
まさに、ルセーネのためだけに作られたとっておきの杖だ。
「文献によると、魔術師は剣ではなく、杖を使うそうだ。これは文献に記された通りに、特殊な製法で作らせた特注品。そして、耐熱素材でできている。さあ、受け取りなさい」
「……! ありがとうございます……!」
あえて告げられなかったが、この国の熟練の職人に作らせた、高価で貴重な品物である。
ルセーネが瞳を輝かせ喜ぶ姿を見て、父である国王は満足げに頬を緩める。
「早速試してみよ」
「――はい」
ルセーネが魔力を込めて杖を振るうと、いつもより強い火力の魔炎が放出された。謁見の間の天井の近くをくるりとゆっくり旋回し、静かに消失していく。美しく幻想的な緑色の炎に、人々は感嘆の息を漏らした。
「これからの活躍を期待しているぞ、ルセーネ」
「……はい。国の平和、そして人々を守るために、尽力することをここに誓います」
こうしてこの瞬間、100年ぶりの魔術師が誕生したのである。100年にひとりの魔術師ルセーネには、惜しみない拍手が送られたのだった。