32.祖父との決別
「これは人を襲った。お前の祖父ではない。その思念から生まれただけの――魔物だ」
「…………」
ディーデヘルムは喉を抑えながら、げほげほと咳き込む。その背中をミレーナが擦っていた。
そんな彼らのことをジョシュアが冷たく見据えた。
「魔物は倉庫の箱から溢れているようだった。なぜ屋敷にこれだけの魔物がいる? どうしてこんな状況になったんだ? 答え次第ではただでは済まされないこと、分かっているんだろうな」
「な、何も知らない!」
「知らないで通ると思うな。偽りを言えば、罪はより重くなるぞ。どの道もう言い逃れはできない」
ジョシュアの言葉に、ディードリヒは苦々しい面持ちで下唇を噛む。それからぽつりぽつりと語り始めた。
ヘルモルト伯爵家は、表向きには貴族向けの雑貨を売る商売をしていることになっているが、実際は魔物を販売して儲けていた。
だから時々、屋敷に商品が預けられることがあった。ルセーネも以前、この屋敷で退魔師の姿や、魔物が入った箱を目にしたことがある。
魔物を売買すること、使役することは国の決まりで一切禁止されている。しかし時折、物好きな貴族が高値で買い求めるのだという。観賞用にしたり、拷問に使ったり、用途は様々だ。
「じゃあ、おじいちゃんとは一体どんな関係なんですか?」
「おじいちゃん?」
「私はその人……ゼリトンに育てられました」
「!」
ディーデヘルムは目を見開いたあと、額を手で押さえた。
魔物を生み出してしまうほどの強い恨みがあったのだとして、生前の祖父とディーデヘルムの間に何があったのか。
今度はルセーネがそう尋ねた。
「ごく稀に、生贄を捧げて魔物を封じることがある。俺はそれを利用して、弱体化させて扱いやすくなった魔物を売ることがあった」
「!」
ディーデヘルムは生贄となる子どもを拐う仕事を、長らくゼリドンにさせていたそうだ。
そして、彼には病床に伏せった娘がおり、子どもを拐って得た金は治療費に当てていた。
その娘は昔、ヘルメルト伯爵家でメイドをしていたらしい。
あるとき、大貴族から「観賞用に龍の魔物が欲しい」という依頼が伯爵家に舞い込んだ。しかし用意があったのは中級レベルの扱いにくい魔物。そこで神力が強い子どもを拐うことにしたディーデヘルム。
孫が生まれて人攫いから足を洗い、王宮で下働きをして慎ましく暮らしていたゼリトンに目をつけ、彼の仕事中に生まれたばかりの孫を取り上げ、孫を返して欲しければ、神力持ちの子どもを拐ってこいと言ったのだ。
そのときはまさか、勤め先の王宮で生まれたばかりの王女を拐ってくるとは、ディーデヘルムは夢にも思わなかった。
自分の孫を取り戻すために、王女を誘拐するという大罪を犯したゼリトン。しかし、誰の子か気づいていなかったディーデヘルムは、依頼の魔物を弱体化させるために、子どもをある程度まで成長させてから生贄にするため、ゼリトンとともにデルム村に送った。
そして、ディーデルヒは、ゼリトンとの約束を守る気は毛頭なく、その翌日に赤子を王宮の門の前に捨てさせた。まもなく赤子の母親であるゼリトンの娘は病死する。
「ゼリトンが拐ったのがこの国の王女で、俺が捨てたあの男の子が王女として育てられると知ったときは、いささか驚愕したことよ」
ディーデヘルムはあまりの事態に恐れおののき、そのときから神力持ちの子どもを拐ってくることは一切辞めた。
とりあえず、依頼のために龍の魔物を弱体化させることにしたディーデヘルムは、ゼリトンを口封じのために殺し、赤子のほうも、魔物の弱体化のために利用したあとに処分するつもりだった。
「だが、何年たっても、待てど暮らせど、魔物は弱体化せず、むしろ強化していった。ついには、ヘルモルト伯爵家が雇っている退魔師では手に負えない強さになっていった」
「それは多分……私が神力ではなく――魔力を有していたからだと思います」
「はっ。つまり、お前が養分になっていたって訳か」
ディーデヘルムは自嘲気味に、乾いた笑いを零す。
ヘルモルト伯爵家の商いの実態を知っていたらしいミレーナとアビゲイルは、決まり悪そうに俯いたいたが、アビゲイルが何かに気づいたように、はっと顔を上げる。
「ま、待って! じゃあ……ルセーネはこの国の王女ってことなの!?」
「ああそうみたいです」
「そうみたいですって……。嘘よ、そんなの……信じられない。この子が……?」
あっさりと頷くルセーネに対し、ミレーナとアビゲイルは衝撃のあまり口をあんぐりとさせている。彼女たちは今までずっと、ルセーネのことを見くびってきたから。
かと思えば、ミレーナはわなわなと震え出した。
「ここまでずっと隠し通してきたっていうのに……。もう我が家はおしまいよ」
「ママ、泣かないでよ! ママが泣いていると……あたしまで泣きそうになるから……うわぁん」
ぐすぐすと泣き、すっかり感傷に浸っているヘルモルト一家を横目に、ルセーネは壁に突き刺さった祖父の顔の魔物の元まで歩む。
神力をまとった剣で刺され、すっかり弱っていた。
「ルセーネ、危ないから近づくなと――」
「ごめんね。おじいちゃん」
ルセーネは魔物にぎゅっと抱きついて、囁きかける。
この魔物がどうしてヘルモルト伯爵家に住み着いているのか。ずっと謎だったことがようやく分かった。孫を取り上げられ、離れ離れになって暮らし、娘は死んだ。ディーデヘルムへの恨みつらみが、思念となり、魔物を発生させたのだろう。
「私、おじいちゃんの苦悩を何もわかってあげられなくて……。ごめんね。ごめんね……」
祖父のことが気の毒でたまらなくなり、泣きそうになっていると、瞳から一筋涙が伝った。祖父を抱き締めたまま、魔力を送る。祖父の顔をした魔物は、緑色の炎に包まれる。
(……やっぱり最後は、私の手で送ってあげたい)
そっと身体を剥がすと、祖父の顔と視線がかち合う。緑色の炎の奥で、祖父は懐かしい微笑みを浮かべて、最後の最後に言った。
「ルセーネ。大好きだよ」
「うん、私も大好き。おじいちゃん」
強い火力で、跡形もなく消えていく魔物。ルセーネがぼやける目を手で擦っていると、ジョシュアが頭を撫でた。
「ゼリトンは死をもって罪をあがなっている。そして少なくとも、お前と過ごした時間は、紛れもなく幸せだったはずだ」
今や本人に聞くことはできないけれど、祖父の笑顔は瞼の裏にいくつも鮮やかに焼き付いている。
たとえ彼にどんな過去があったとしても、罪人であったとしても、ルセーネのことを大切に思い、可愛がってくれたという事実は消えない。世間の人たちが祖父を許さなくたって、ルセーネは彼のことが大好きだ。
ルセーネはこくんと大きく頷いた。