27.緑の炎をまとった龍
数日後。王妃セシリアの掛け合いの元、ジョシュアに呪いをかけた魔物を討伐するための部隊が編成された。聖騎士は常に人手不足。だからこそ彼が自分のために人手を割くことを彼は懸念していたため、今回の作戦について知らせていない。
その部隊を率いる隊長はナジュ、副隊長にはスルギが選ばれた。もちろん、魔物を倒すための重要な手がかりを握るルセーネも同伴する。
セシリアが気を利かせ、ルセーネが生贄だったという事実は伏せられている。
「なあ、なんでお前が師団長に呪いをかけた魔物を見たことがあるんだ?」
「ええっと、それは……――ああっ!」
スルギの問いに、ルセーネはわざとらしく両手で頭を抱えた。
「急に頭がっ! 頭が痛くなって何も考えられなくなってしまいました! おバカになったみたいですぅ!」
「それは元々だろ」
「あいたっ」
王国騎士団の騎士服を若干着崩したスルギが、つんとルセーネの額を指で弾く。
部隊が向かう先は、かつてルセーネが生贄として捕らえられていたデルム村。デルム村の奥には広大な山が広がり、木々が鬱蒼と生い茂っている。ジョシュア曰く、龍の魔物は深い森の奥に消えていったという。
ジョシュアが相当な深手を負わせたため、人間を警戒しているのか、三年間一度も人里に降りてきたことはなかった。
ルセーネの反対側を歩くナジュが、頭が痛いだのなんだのと言っているこちらに、苦言を呈す。
「ちょっと。今日の討伐はあんたにかかってんのよ!? もっとシャキッとしなさいシャキッと!」
「はひぃぃ……っ!」
ばしっと背を叩かれ、ルセーネは目を白黒させながら声を漏らす。彼は男性なのか女性なのかよく分からない見た目をしているが、叩く手の大きさや力は明らかに、男性のそれであった。ずきずきと痛む背中を擦りながら、山道を歩いていく。
王都から馬で3時間。加えて、徒歩で1時間ほどしてようやく、デルム村に到着した。ルセーネのすぐ目と鼻の先に、生贄時代に幽閉されていたあの塔が。
ジョシュアに解放された際に、魔物が塔を破壊したため、雲に届きそうなくらい高くそびえ立っていた塔は、すっかり面影をなくし、瓦礫の山と貸していた。
(またここに……自分の足で戻ってくることになるなんてね)
瓦礫を眺めながら、そんなことを思う。
聖騎士たちが、ナジュの指示を後ろで待ち続けている。森をまっすぐ見据えるルセーネに、彼は耳元で囁いた。
「――本当に、あの方法を使うのね?」
「はい」
広大な森の中から、特定の魔物を探し出すのは、砂の中から針を探すようなものだ。けれど、ルセーネにはあてがあった。おもむろに、手のひらに魔炎を灯す。
騎士団の中には、噂の100年ぶりの魔術師の力を実際に見たことがない者も多く、緑色に燃える炎を目の当たりにして、「おお……」と簡単の息を漏らした。
ルセーネは自分の力が注目を集めていることには全く気づかず、そのまままっすぐ前へと歩き、瓦礫の上に立った。石造りの壁の残骸。その質感を見ると、当時のことを鮮明に思い出す。目の前に広がる孤独感と絶望を、ひとりぼっちで抱きしめていたころを。
(思い出すとやっぱり悲しいな。辛いな。胸の奥がぎゅっとなるような、この感じ……)
塔を出てからは、毎日を生きるのに必死で、あまり昔のことを思い出さなかった。いや、思い出さないようにしていたのだろう。
けれどここに来て、記憶の蓋が開かれ、泣いてしまいそうになった。
そっと伏せた目が、わずかに潤む。
魔物は、大気中の魔素を糧に生まれ、成長する。そして魔素は、自然発生以外では、人間の負の感情から生成される。
(私はあの魔物にとって、格好の餌食だったんだと思う)
なぜなら自分が神力だと思っていたものは、魔物が有するのと同じ魔力で、生贄にとって肝心な神力はからっきしだったのだから。
ルセーネは、100年にひとりの魔術師。神力ではなく魔力を体内に有し、大気中の魔素を巧みに操る。ルセーネは7年もの間、魔物に神力ではなく魔力を注ぎ続け、弱体化どころかむしろ強化させていた。
村の平和のため、となけなしの正義感を掻き集めて神力を磨き上げ、魔物を封じていたつもりだったのに、ルセーネがしてきたことは全く無駄だったのだ。
ルセーネが塔に閉じ込められるとき、ちらりと例の魔物を見たことがあったが、そのときは龍とも呼べない小さな爬虫類のような格好だった。
それが、聖騎士の中でも天才ともてはやされるジョシュアをもってして打ち倒せなかったのは、ルセーネの魔力から魔素を吸い取って力を付けていたからである。
一呼吸置いてから瞼を持ち上げ、両手を前にかざす。そして、魔炎を山へと放った。木や草、動植物を傷つけないように意識を集中させながら。
緑色の幻想的な炎が、木々を縫うようにものすごい勢いで広がっていく。
(炎龍さん。私はここにいるよ。孤独で可哀想な生贄が帰ってきたよ。ねえ、私の魔力が恋しいでしょ?)
塔の中に閉じ込められていたとき、辛い、悲しい、寂しい、そんな負の感情にばかり囚われ、魔物の餌となる魔素を垂れ流していたことだろう。
魔物がルセーネの魔素を養分にしていたなら、ルセーネの魔力の中の魔素に気づき、懐かしく、美味しそうな気配に寄ってくるのではないか。魔物は時に、人に呪いをかけてまで魔素を吸収するほど、魔素に対して執拗だから。それに、ジョシュアに深手を負わされて弱っているとしたら、いっそう強く魔素を欲しているはず。
広い森がうっすらと緑色の炎に包まれる。ルセーネの魔力にも限界がある。額や頬からぽたり、ぽたりと汗が流れるのを見て、スルギが心配そうに眉をひそめた。
まもなく、ルセーネが魔力をかなり消耗したところで、『グォォォ……!』というけたたましい咆哮とともに、茂みの奥から龍が現れた。
ルセーネは森に拡大させていた魔炎を、拳を握ることで消失させ、がくんと膝を地面に付ける。
荒い息をしながら顔を上げれば、視線の先に龍がいた。――緑色の炎をまとって。ルセーネはもう魔力を解いている。この炎は、魔物から放出されているものなのだと理解した。
ルセーネは声を上げる。
「スルギさんナジュさん! あの魔物です……!」




