24.力になりたい
ルセーネは集合馬車で王宮に移動した。ジョシュアが王宮で治療を受けていると聞いたから。
馬車から下りて、王宮の入り口の門を見上げ、その大きさに圧倒される。前回ジョシュアとともに来たときより、大きく感じた。
いつも肌身離さず持ち歩いている王国騎士団の身分差を提示すると、王宮の中に通してもらえた。
だだっ広い廊下を歩きながら、きょろきょろと辺りを見渡すと、使用人たちが忙しなく往来している。
(ジョシュア様の部屋は……どこなんだろう)
闇雲に歩いていても仕方がないので、メイドに尋ねることに。
「あの……すみません」
「なんでしょうか」
彼女はルセーネの姿を上から下まで見ていぶかしげな表情をする。なぜならルセーネは、部屋着のまま屋敷を飛び出してきてしまったから。
「第一師団長のジョシュア・ダニエルソン様が王宮で療養されていると聞いたんですけど、お部屋の場所を教えていただけますか?」
「…………」
メイドは「またか」と煩わしそうな顔をして、手に持っていた花瓶をチェストに置いた。
「申し訳ございませんけど、ダニエルソン様のお部屋は聞かれても答えないように――と上から言われておりますので」
ジョシュアが床に伏せってから、多くの人貴族令嬢や婦人が見舞いに訪れているのだと言う。彼女はすでに今日、四人から同じことを聞かれたとか。
しかし、王女グレイシーが、他の誰の面会も許さずに、自分が甲斐甲斐しく世話をしているらしい。
メイドはジョシュアについて回答する意思はないと示すように、ルセーネに背を向けて視線を落とし、花瓶の花を整え始めた。
ルセーネはあからさまにしゅん肩を落とし、廊下をとぼとぼと歩き出した。一歩踏み出す度に、毛先の長い絨毯に足が沈んでいくような感覚がする。
(このままジョシュア様が呪いのせいで死んじゃったら……どうしよう。やだよ、ジョシュア様がいなくなったら、寂しいよ)
まだ、塔の中から逃がしてくれた礼を伝えられていないのに。ルセーネを助けたあまりに、あの人が死んでしまったら……。
急に不安が込み上げてきて、瞳にじわりと涙が滲んだ。そのとき、どんっと身体に衝撃が加わり、後ろによろめく。
鼻先に掠める香水の優しい香り。俯きがちに歩いていたせいで、誰かにぶつかったのだと理解して顔を上げる。
潤んだ視界が捉えたのは、美しい貴婦人だった。長い紫色のウェーブがかかった髪に、同色の瞳。そして、いかにも上質なロング丈のドレスを身にまとっている。
彼女は複数の侍女と騎士を付き従えており、侍女たちはみすぼらしいルセーネを睨めつけながら、苦言を呈した。
「ちょっとあなた! よそ見をして歩いては駄目でしょう!」
「セシリア様、お怪我はございませんか!?」
侍女たちに責められ、ルセーネはしおしおと謝罪する。
「ごめんなさい……」
セシリアは侍女たちに平気だと答えた。
すると、ルセーネの瞳いっぱいに浮かぶ涙に気づいた彼女が、心配した様子でこちらを覗き込んだ。
「まぁまぁ。そんな泣きそうな顔をして、何か悲しいことでもあったの?」
セシリアはおっとりした口調でそう言い、ルセーネの頬に片手を添えた。その声が優しくて、その手が温かくて、安心したルセーネはぽろっと雫を落とし、彼女の指を濡らした。
彼女はしなやかや親指の腹で涙を拭う。ルセーネはひっくひっくとしゃくり上げながら、掠れた声を絞り出した。
「大切な人が苦しんでるのに私……っ、何にもできなくて……っ。あの人が死んじゃったら、どうしよう……っ」
「お可哀想に……。とても辛かったのね」
セシリアは懐からハンカチを取り出して、ルセーネの鼻に当てる。ふんと鼻をかむと、彼女は優しく拭き取ってくれた。
すると、その様子を見ていた侍女たちがまた声を上げる。
「セシリア様は、お人が良いにもほどがあります!」
「あなた、このお方がどなたか分かっていらっしゃるの!? ノーマイゼ王国が王妃、セシリア・リル・ジェルムストーン陛下なんですよ……!」
侍女たちが身分を明かしたセシリアは、相変わらずにこにこと微笑んでいる。ルセーネは大きく目を見開いた。
「ええっ!? お、王妃様とは知らず、無礼を働きました……! すみません……!」
「無礼だなんてとんでもないわ。だから謝らないで。温かいお茶でも飲みながら、ゆっくりお話を聞かせてくれるかしら」
彼女は穏やかで気さく、包容力がある人だった。思わぬ誘いに、ルセーネは瞳を瞬かせた。
◇◇◇
王妃の私室は、白の調度品で統一されていて、上品な雰囲気だった。どれも金などの宝石で装飾が施されており、高級感が漂っている。
ルセーネは、自分が明らかに場違いなことを感じ、そわそわと落ち着かない様子でいた。
侍女たちは、見知らぬ少女であるルセーネに強く警戒しつつ、紅茶を淹れてくれた。
テーブルの向かいに座ったセシリアが、こちらを見つめながら優美に微笑む。
「そんなに恐縮しなくていいのよ。さ、紅茶を飲んで? ああ、ミルクや砂糖は入れる?」
「さ、砂糖を……」
すると彼女は、手ずから角砂糖を入れてくれた。
「温かくて心が落ち着くわよ。お菓子も好きなものがあればどうぞ。どんなのが好きか分からなかったから、とりあえず沢山用意させたわ」
セシリアの指示で、別の侍女がワゴンを押してくる。その上には、美味しそうなお菓子がずらりと並んでいた。
いつものルセーネなら目を輝かせて感激していただろうが、ジョシュアのことが気になってそれどころではない。
ルセーネは紅茶をひと口飲んで、セシリアのことを見据えた。
「私は今、王国騎士団で聖騎士をしているルセーネと申します。あの……聖騎士と言っても剣は握れないんですけど。えっと、じゃなくて、師団長ジョシュア様は……私の恩人なんです」
騎士団に入るときも力を貸してもらい、それより前にも助けてもらったことがあるのだと、拙いながらに説明する。
「ジョシュア様の呪いはかなり進行しています。早く本体の魔物を倒さないと、もう長くないかもしれないんです……っ」
「……どうしてあなたが、ダニエルソン公爵の呪いのことを? それを知るのは、王家のごく一部だけなのに」
意外そうな顔をする彼女に対し、ルセーネはスカートを握り締め、ジョシュア本人から話を聞いたのだと伝える。
セシリアいわく、ジョシュアはパーティーで倒れてから七転八倒の様子で、三日前からはほとんど目を覚まさなくなったという。医者によると、もう彼は手遅れ、今生きているのが不思議なほどだと匙を投げたという。
「肝心な魔物を見たことがあるのは、ダニエルソン公爵本人だけ。それを探すのは容易ではないわ。三年間探し続けても見つからなかったというから、魔物は深い森でなりを潜めているのでしょう」
魔物の姿を見たのは、ジョシュアだけではない。ルセーネもジョシュアに呪いをかけた魔物の姿を一度目にしている。
もう時間はない。倒しに行くのなら、自分が行くしかない。
ルセーネは目を泳がせながら、必死に思案を巡らせた。自分ひとりであの強そうな龍を倒しに行ったところで、犬死にするだけだ。天才と言われるジョシュアですら仕留め損ねたのだから。
王国騎士団の第一師団の隊をいくつか出動させるくらいでなければ、あの魔物は倒せない。曲がりなりにも聖騎士として魔物と戦う経験を積んだルセーネは、肌感でそう考えている。
だが、騎士団を動かす権限を持っているのは、騎士団の上層部と、それ以外では――王家だけ。
目の前にいる人の良さそうなセシリアに頼めば、力を貸してくれるのではないか。
だが、助けを求めるには自分がかつて、生贄だったことまで打ち明けなければ説明がつかない。脱走した生贄だと話したら、再び捕まえられて生贄として閉じ込められてしまうのではないか。そもそも生贄は、身寄りのない孤児や罪人などが使われるため、偏見の対象になりうる。騎士団での立場がまた悪くなるもしれない。
色々な思いがせめぎ合い、しばらくの逡巡の末、小さく口を開く。
「王妃様。図々しいことは百も承知で、お願いがあります。ふたりきりでお話したいのですが、他の方を退出させてくださいませんか……?」