20.大好きな祖父との優しい記憶
大好きな祖父と、デルム村の小さな小屋で細々と暮らしていたころ。貧しかったけれど、ルセーネには足りていた。それで幸せだった。
祖父ゼリトンは昔は退魔師の端くれだったらしく、神力について教えてくれたのは彼だった。
「おじいちゃん、神力ってなぁに?」
あぐらをかいた祖父の膝の上に座り、絵本を読んでもらうルセーネ。
「神力っていうのはな、人の祈りや願い、正のエネルギーから生まれる神気を利用した力のことだ。そして稀に、神力を扱える人がいる。それは、悪い魔物を倒すことができる特別な才能なんだよ」
「とくべつ……!」
きらきらと目を輝かせるルセーネを見て、彼は小さく微笑む。自分にもその才能があるのかと尋ねれば、彼はルセーネの頭を撫でながら答えた。
「あるぞ。ルセーネにも、おじいちゃんにもちっとだけな。神力を磨けば、大勢の人たちの役に立つんだよ」
祖父はおもむろにナイフを手に取って握り、目の前にかざした。彼が神力を送ると、ナイフは白い光をまとう。ルセーネがその輝きに「わぁ……!」と感嘆すると、祖父はそれで丸い石を真っ二つに切った。
ルセーネは子どもだが、普通のナイフで石を切れないということは知っていた。
「石が半分こ!?」
「神力をまとわせると、どんなものでも切れるんだよ。魔物でもね。おじいちゃんの力は全然大したことないがな。お前もやってみるか?」
「うん! やる!」
ルセーネは夢中になっていた本はそっちのけで、神力に興味を示した。
手を切らないように気をつけるんだよ、と念押しされて渡されたナイフを両手で握り締め、全身で力みながらふぬぬぬ……と念を送る。
祖父は、身体に力を入れるだけでは神力をまとわせられないのだと苦笑した
「ルセーネ。『意識』が大事だよ。この小さな刃に光を送ることを、頭の中で想像してごらん」
「意識……」
身体の力を抜き、助言通りに身体から光を送るような想像をした。すると、ぼうっと音を立てて緑色の炎が上がり、ナイフも、石も、黒い炭になってぼろぼろに崩れ落ちた。
「わっ!? おじいちゃん!?」
ルセーネが仰け反るように祖父の顔を見上げると、長く伸びた髭にまで着火し、焦げ臭い匂いが鼻を掠めた。祖父とルセーネはあわあわしながら髭の火を叩いて消す。
ルセーネから放たれた火を見て、祖父はびっくりして目を見開く。
「ごめんなさい! お髭が……」
「ははっ、お前はすごいなぁ。炎を扱う神力使いは初めて見たぞ。ルセーネは才能があるかもな」
祖父は恐らく、神力と対になる魔力を扱える人間がごく稀に、もっと言えば100年に1度現れるということを知らなかったのだろう。
珍しいものを見ても気味悪がったりせず、むしろ朗らかに笑った。
「すまんなぁ。ルセーネ」
「……?」
けれどすぐに祖父の表情からは笑顔が消えて、悲しそうな顔を見せた。時々彼は、こういう顔をする。
あやすように頭をぽんぽんと撫でられながら、小首を傾げるルセーネ。どうして祖父が謝るのか、分からなかった。
◇◇◇
生まれてから9年ほど、デルム村の小屋で祖父と過ごした訳だが、祖父との別れは突然やって来た。
その夜は、ローブを羽織った退魔師が数名ほど、ルセーネと祖父が暮らす家を訪れた。
「待ってくれ! わしはどうなってもいい。せめてあの子だけは……」
「そういう訳にはいきません。あなたが9年も行方をくらましたことで伯爵はお怒りです。約束通り、彼女を差し出していただきますよ。従わなければ、あなたの娘さんとお孫さんがどうなるか、分かっていますよね」
「なんて卑劣な……」
祖父と退魔師が話しているのを、ルセーネは近所の人から分けてもらった野いちごを食べながら眺めていた。
いつもは温厚で優しい祖父が、珍しく眉間に皺を寄せて声を荒らげている。
一体何を揉めているのかと不安になり、野いちごの甘さを感じられなかった。
「……分かった。せめて今夜だけは、あの子とふたりで過ごさせてほしい。最後に好きなものをめいっぱい食べさせてやりたいんだ」
「ゼリトンさんがそうおっしゃるなら。では明日の朝、彼女を預かりに参ります」
「ああ。あの子が不安になる。早く帰っておくれ」
退魔師たちは口の周りを野いちごで真っ赤に汚したルセーネを一瞥して帰って行った。祖父は小屋の戸を閉めて施錠し、性急な動きでこちらに歩み寄った。
一方のルセーネは、先ほどの会話の中の『好きなものをめいっぱい食べさせてやりたい』という部分だけしっかり聞き取っており、期待の眼差しを向けた。
「ルセーネね、お肉とあったかいスープが食べたい!」
「ルセーネ」
すると祖父は、ルセーネの両肩に手を置き、深刻な表情を浮かべた。いつになく焦っている様子に、ただならない何かが起きているのだと子ども心に察する。
「おじい……ちゃん?」
けれど彼は、こちらを不安にさせないように作り笑顔で言う。
「今すぐ引っ越そう。できるだけ遠いところに」
「おじいちゃんも一緒?」
「ああ。おじいちゃんも一緒だよ。今度は山じゃなく、海に近いところでふたりで暮らそう。おじいちゃんは狩りだけじゃなくて釣りも得意なんだ」
「お魚食べれる!?」
「ああ。たんと食わせてやるぞお」
「やったあ! おじいちゃん大好き!」
満面の笑みを湛えて飛びつけば、彼はルセーネを強く抱きながら目を潤ませた。
彼はそっとこちらの身体を引き剥がして言う。
「おじいちゃんな。お前に内緒にしてたことがあるんだ」
「え……?」
「お前は、ルセーネではなく本当の名前がある。よく覚えておきなさい。お前の誠の名は――ルセフィアネだ」
「ふうん?」
きょとんとするルセーネを、祖父はもう一度すまないと謝りながら抱き締めた。
◇◇◇
ルセーネは着替えとお気に入りの絵本を鞄にわくわくしながら詰めて、祖父と一緒に山を下りた。
しかし、馬車の移動中に追っ手に見つかってしまう。突然馬が止まったかと思えば、扉が蹴られて壊される。
「――きゃあっ!」
「ルセーネ!」
襲撃してきた退魔師のひとりに、ルセーネは馬車の外へと引きずり出されそうになる。
しかし祖父がぎゅうと力強く抱き締めて、ルセーネを取り上げられないように迷った。
「おじいちゃん、怖いよ……っ」
「大丈夫、おじいちゃんがついてるからな」
「おじいちゃん……っ」
しかし次の瞬間、祖父が大きく目を見開いたかと思えば、唇の端から血を流し出した。
はっと息を飲み、ゆっくりと視線を落とすと、祖父の胸を退魔師の光る剣が貫いていた。
「ルセー……ネ」
最後に名前を呼んで瞳からつぅと涙を流し、祖父は絶命した。
「どうして……っ」
ルセーネはあまりのショックで、泣くことができなかった。ぽっかりと心に大穴が空いてしまい、現実を受け入れることもできなかった。
そしてルセーネは高い塔に、生贄として閉じ込められるのだった。