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19.ブレスレットの持ち主

 

 一度、無所属の退魔師だったとき、シリルという少年の母親から依頼を受けたことがあった。シリルの首にも呪いの痣があったが、そのときよりもずっと大きくて濃く、禍々しい気配を漂わせている。


 魔物は、自然の力や人が抱く負の感情から発生する魔素を糧に生まれ、成長する。また時に、狙いを定めた人間に呪いをかけて、苦しませ、直接魔素を吸収することがある。


 そして、呪いを解く方法は、呪いをかけた本体を探し出して討伐する他にない。だから、聖騎士を含む退魔師が、神力を痣に注ぎ込むことで、呪いの進行を遅らせて延命し、その間に魔物が倒されるのを待つしかないのだ。


 ルセーネは手を伸ばして、胸や腹部の全体に広がる痣に触れた。指先から、禍々しくて目眩がするほどの魔物の力を感じる。すると彼は、そんなルセーネの手を上から握った。


「ルセーネ。お前の力で、この呪いを焼き切ることはできないか?」


 こちらを見下ろす彼の表情から、切実な思いが伝わってきた。ルセーネはシリルの依頼を受けたとき、延命措置として神力を注ぐのではなく、魔炎で呪いを焼くことができないか試した。


 そのときは痣が小さくなり、確かな手応えはあったものの、ジョシュアの呪いの痣はシリルの倍以上に大きく、根深い。


(こんな呪い……普通に過ごしてるいられるのがおかしいくらいだよ)


 シリルの呪いはジョシュアより小さいものだったが、床に伏せ、憔悴状態だった。


「一体いつ呪いを受けたんです?」

「――3年前だ」


 3年前という言葉に、はっとする。それは、デルム村の生贄少女が、ジョシュアに助けられた年でもある。


「それから、呪いについてはお前とナジュ以外には話していない。くれぐれも口外はしないように」

「どうしてですか? 早く呪いの本体を倒さなくちゃ、ジョシュア様はずっと苦しみ続けるんですよ……!?」


 すでに呪いはかなり進行している。このまま放っておいたら、そう長くはもたないだろう。


 ジョシュアは退魔師の中でも最も身分が高い聖騎士であり、その聖騎士の中でもとりわけ優秀で、神力の保有量そのものが多い。

 だから、奇跡的に3年も生きられたのだろうが、一刻も早く呪いの元となる魔物を倒さなくては。そのために、第一師団の人たちに自分が呪われていることを伝えて、大々的に対処するべきだと訴える。


 しかし、ジョシュアは首を横に振った。


「聖騎士は常に人手不足だ。魔物による被害で苦しんでいる国民が多くいる。だから、騒ぎにして、俺一人のために人員を割く気はない。秘密裏に魔物を捜索させてはいたがな。とりあえず、お前の魔力を試したい」


 どうして、という言葉は喉元で留める。


(ジョシュア様の命だって大切なのに……)


 公爵家の立場のことは、ルセーネにはよく分からない。死にかけてもなお、優先しなくてはならないものがあるのだろうか。

 ただ、彼の願いに頷くことしかできなかった。


「分かり……ました。ここだけの秘密にします。今から魔力を注いでみますね。前に、呪われた男の子に魔炎を使ったときに、反動で痛みが出ました。もしかしたらジョシュア様も、苦しむことになるかもしれませんよ」

「構わない。――やってくれ」

「……はい」


 ルセーネはゆっくりと深呼吸して、意識を集中させる。

 右手を痣の前にかざし、痣のみを魔炎で燃やす。ジョシュアはその様子を不思議そうに見下ろしていた。


「不思議だ。この炎は触れても熱くないんだな」

「コントロールできるので。今はこの障りだけを燃やすように集中しています。痛かったら言ってください」

「器用なものだな。元々痛みは常にあったから、これがお前の炎によるものなのかは分からない。だが大丈夫、平気だ」

「……そう、ですか。じゃあ続けます」


 かなり深い呪いだ。平然としているように見えるが、痛みや苦痛は相当だろうと想像する。

 ルセーネが魔力を注ぎ続けて30分ほど。ようやく痣が小さくなり始めたとき、ジョシュアは額に脂汗を滲ませ、眉間を寄せた。


「痛みますか?」

「大丈夫だ。――っく」

「無理は駄目です。とても辛そうに見えますし、身体の中の神力も弱まっています。これ以上続けるのは危険です」


 汗ばんでいるのは彼の額だけではなく、呪いが広がる上半身も湿っていた。

 ルセーネの方も、彼の身体を傷つけないように意識を持って集中させて魔力を送り続けていたため、頬からぽたりと汗が垂れ落ちる。

 神力を送るのをやめてから、ジョシュアに問う。


「こんなに強力な呪い……ジョシュア様は一体、なんの魔物に呪われてるんですか?」


 すると彼は、しばし逡巡し、間を開けたあとに答えた。


「――炎龍。デルムという小さな村で呪いを受けた」


 ……と。ルセーネの心臓がどくんと大きく跳ねる。

 頭に思い浮かんだのは、赤い瞳を炯々と光らせ、緑色の炎をまとった炎龍。デルム村の高い塔の中で、ルセーネと鎖で繋がれていた魔物だ。

 動揺したルセーネは目を泳がせ、よろめき、寝台から立ち上がる。


(ジョシュア様は、私の大切な恩人は……あの炎龍に呪われてしまった。私を助けたばっかりに……?)


 ルセーネが塔から解放されたあと、あの魔物は深手を負って森へ逃げたという。神力をまとった剣で致命打を受ければ、数年、あるいは数十年回復にかかることもあるとか。けれど、ジョシュアは魔物に致命傷を与える代わりに、呪いを受けてしまった。


 またふらりとよろめき、咄嗟に天蓋付きの寝台の柱に捕まって支えにする。


(もう、打ち明けられない。私があのときの生贄だなんて、絶対に言えない)

 

 いつか立派な聖騎士になったら、あのとき救われた生贄だと明かすつもりでいた。だが、自分のせいでジョシュアが呪われていると分かって、打ち明けることなど到底できなくなった。あまりにも申し訳なくて。


「ルセーネ……」

「はいルセーネです! はは、魔力を使い過ぎて、喉が渇いちゃいました」


 彼は気を使って水の入ったコップを差し出してくれる。ルセーネは震える手でそれを受け取って飲んだ。


「また体調が回復したら、解呪のために力を貸してくれるか?」

「もちろんです。でもまた、苦しい思いをするかもしれませんよ」

「ああ。分かっている。そろそろ帰ろう。送っていく」

「結構です。……ジョシュア様も疲れてるでしょうから、お構いなく」


 彼の気遣いを跳ね除け、娼館を出る。そのあと、自分がどうやって家まで帰ったのか、ほとんど記憶がなかった。



 ◇◇◇



 深夜に、ルセーネは自室の寝台に横たわり、天井のシミをぼんやりと見上げていた。

 またジョシュアに、アビゲイルのことを紹介するのを忘れてしまったけれど、今はそんなことはどうでもよかった。


(あの炎龍を見つけ出して倒さなくちゃ、ジョシュア様が……死んでしまう)


 生贄として閉じ込められてから、七年越しにようやく手を差し伸べてくれたたったひとりの恩人。誰よりも特別な人。そんな彼が自分のせいで命を脅かされているなんて。

 ルセーネは半身を起こし、寝台から下りてとぼとぼとチェストの前まで歩いた。


 チェストの上には、ルセーネが描いた下手くそな祖父の似顔絵が飾ってある。そっとチェストを横にずらせば、祖父の顔をした黒い影が。


(また少し……大きくなってる)


 祖父の顔をしているといっても、所詮魔物は魔物だ。人に害をなすかもしれない危険な存在だと分かっているのに、倒せずにいる。魔炎の力さえ使えば、いとも簡単に塵にすることができるのに。


 魔物は、自然後からや人が放出する負の感情から作られた魔素から生まれる。この魔物は恐らく――祖父の思念から生まれたのだろう。一体ヘルモルト伯爵家になんの恨みがあるのかは分からないけれど。


(魔素を吸収すればするほど、魔物は成長する)


 脳裏に浮かんだのは、ルセーネが7年ぶりに塔の外に出たときに見た、緑色の光。

 ルセーネが閉じ込められていた塔はその炎に包まれて、瓦礫の山になった。あの魔物は、ルセーネと一緒に塔に閉じ込められたときは確か、両手くらいの大きさしかなくて、見るからに弱そうだった。つまり、ルセーネから放出された魔力を吸収し、弱体化するどころか力を得ていたということ。

 ルセーネの魔力を糧にしていたから、炎の色が緑色だったのだろう。それ以外の可能性なんて考えられない。


「おじいちゃん……っ。私、どうしたらいいのかな。私が全部、悪かったのかなぁ」

「…………」


 泣きそうになりながら話しかけたが、返事は返って来なかった。

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