16.夜会に出ることになりました
翌朝、王国騎士団の詰め所に行くと、一番にジョシュアの執務室に呼ばれた。執務室にはジョシュアとナジュのふたり。そして、ナジュから青い封筒を差し出される。
(この青い封筒……見覚えがあるような……?)
昨日アビゲイルが見せつけてきた封筒によく似ている。……というか、同じものに見える。受け取ってからひっくり返してみれば、まさに昨日見た王家の紋章が刻印されていて。
不思議に思って頭を上げると、ナジュに中身を見るようにと促される。便箋に文字が色々書いてあるが、ルセーネは文字が読めない。
「パ、パー……い?」
「読んでやるからこっちへ来い」
ジョシュアに手招きされて、手紙を手に持ったまま執務机の前に行く。便箋を置くと、彼は指で文字を差した。
「これは、パーティー、だな。次は読めるか?」
「ええっと……グ、グラ……グレイシー?」
「正解だ」
彼はにこと微笑み、「よく読めたな」と褒めてくれた。彼に褒められて、ルセーネの表情がぱあっと明るくなる。
「それはお前宛ての招待状だ。近日行なわれる、グレイシー王女の誕生日を祝うパーティーのな」
「……!」
淡々とした口調で伝えてくるジョシュアに対して、ルセーネは目を見開いて固まる。王女の誕生日を祝うような高尚な集まりに、自分のような卑しい孤児の出る幕などないはずなのに。
ぽかんとしているルセーネの顔を見て、ナジュが笑う。
「どうして私に? って顔してるわね。雌山羊討伐の功績が王家の耳にも入って、グレイシー王女があんたを招きたいとおっしゃったそうよ。良かったわね」
グレイシーとは一度詰め所で会ったことがあるが、綺麗で気品があり、優しい人だった。そして、ルセーネに退魔の力があることに興味を持ち、羨ましいと言っていたのを覚えている。
「でも私……パーティーの礼儀作法とかマナーとか、全然分からないんですけど」
「そこは問題ないわ。ここにいるダニエルソン公爵がパートナーとして同伴するから」
「えええっ!?」
ぎょっとして大きな声を出し、ジョシュアの方に視線を移すと、彼は顔色ひとつ変えずに頷いた。
いやいやいや、と内心で突っ込む。グレイシーはジョシュアの婚約者候補という立場。ジョシュアは、グレイシーのパートナーとしてこの会に参加するべきではないのか。
まして、無関係の女性と彼女の誕生日会に参加するのは王女に対して不誠実だ。
「ジョシュア様は、王女様の婚約者候補なんですよね……? それなのに私と一緒にいては、不誠実なのでは」
「ジョシュアは縁談の話を断り続けてるけど、グレイシー王女が引き下がらなくてね。彼女は相当彼に執心してるから」
度々王国騎士団の詰め所に押しかけてくるのも、ジョシュアの顔を見るためだけに来るそうだ。それも頻繁で、仕事に支障が出るほどらしい。仕事終わりに待ち伏せされることも、休日に家を訪ねてくることもあるとか。
(グレイシー様にも、そういう一面があるんだ。意外……)
どうやら、ジョシュアが王女の求婚を拒んでいる、という噂は本当のようだ。
ルセーネを伴うのは、グレイシーに自分のことを諦めてもらうための最終手段にすると言う。
「あんたには、ジョシュアの恋人のふりをしてもらうわ」
「…………はい?」
いやいやいや、無謀にも程がある。
第一師団の人たちからも、チビだのチビちゃんだの言われて小動物のように扱われている、冴えない感じの自分が、ジョシュアの恋人のふりなんて。
(絶対もっと他に適役がいる気が……)
その疑問さえ見抜いたようにナジュは言った。偽装の恋人役を依頼したら、その相手がジョシュアに惚れかねないため、簡単に頼むことができないのだと。その点ルセーネは、色恋に無頓着そうに見えるらしい。
(私だって女の子だよ。ジョシュア様のことを好きになっちゃう可能性だって……あるよ)
もしルセーネが彼のことを好きになったら、迷惑がられてしまうのだろうか。
だが、面倒事を押し付けられそうになっていることに気づき、一歩、二歩と後退り逃げの姿勢に入ると、ジョシュアが言う。
「お前が嫌がるなら無理にとは言わない。ただ少し、切羽詰まった状況でな」
「ジョシュア様が……困っていらっしゃるんですか?」
「ああ。早めにケリをつけるのが、彼女のためだとは思っているんだがな」
するとナジュが腕を組みながら言う。
「ジョシュアが意気地ないだけよ。男ならはっきり言うべきね。『俺はあんたが好きじゃない。これ以上は迷惑だから付きまとうのはやめてくれ』って。まぁ、相手が王女様ともなると、難しいのは分かるけど」
ジョシュアが困っている。彼はルセーネのたったひとりの恩人だ。永遠にも感じていた暗闇から、解き放ってくれた人。
(私、ジョシュア様の力になりたい)
ルセーネはきゅっと唇を引き結んで考えたあと、覚悟を決めて言う。
「分かりました。私、協力します……!」
◇◇◇
休日、パーティーに備えてジョシュアと街に出かけることになった。彼に連れて行かれたのは、中心街にある大きな仕立て屋だった。
「いらっしゃいませ。本日はいかがなさいましたか?」
出迎えてくれた女性店員ふたりは、ジョシュアの姿を見て、接客中にも関わらずうっとりと頬を紅潮させる。一方の彼は、自分が見蕩れられていることは意に返さず、淡々とした口調で告げる。
「彼女に似合うドレスを仕立ててやってほしい」
彼に背中をそっと押されて、前に一歩出るルセーネ。
女性たちはルセーネの姿を見て目を瞬かせた。ジョシュアは品のいい服装をしているが、連れのルセーネは洒落っ気などなく、芋っぽさが漂っている。
まるで値踏みされているような気持ちになって縮こまっていると、女性ふたりは小動物を見るように頬を緩める。
「まぁまぁ、小さくてお可愛らしい方ですね。そう緊張なさらないで? はにかみ屋さんなのかしら」
「素材がいいので磨きがいがありますね。妹さんですか?」
妹ですか、という問いにジョシュアは一も二もなく答える。
「恋人だ」
「「こいびと」」
思わず復唱し、顔を見合わせる店員ふたり。
ジョシュアとルセーネは、ひと回り年齢が離れている。親子ほどではないが、傍から見たら兄妹や叔父姪にしか見えないだろう。
(え。恋人設定、もう始まってるんだ……?)
実際は恋人ではなく――恋人のふりだ。それに、本番のパーティー以外のところでも恋人のふりをする必要があるだろうか。
成長期に劣悪な環境で暮らしていたため、ルセーネは平均より背が小さく、幼く見える。やっぱりどう見ても、麗しい成人男性には釣り合っていないような。
「そ、それは大変失礼いたしました。では採寸を始めますので、こちらにどうぞ」
店員のひとりに促され、店の奥へと行く。
採寸が終わり、ドレスのデザインを決めたあと、ジョシュアはルセーネの普段着もいくつか買ってくれた。ルセーネが粗末な服を着ていたのが気になったのだろう。
手続きの待ち時間に、店員がオレンジの果実水を出してくれた。コップに注がれたオレンジ色の液体を眺めながら、ごくりと喉を鳴らす。
そっと手に取って口に含めば、爽やかな風味を鼻腔に感じた。
きらきらと輝くルセーネの瞳を見て、向かいに座るジョシュアがふっと笑う。
「随分と幸せそうな顔をするな」
「とっても美味しくて……! 果実水を飲むの、初めてです。こんなに美味しいものが世の中にあるんですね!」
「初めて……」
ヘルモルト伯爵家でアビゲイルやその家族が、色の着いた飲み物を飲んでいるところを見たことはあったが、自分の口に入ることはなかった。
もちろん塔の中に幽閉されていた間、果実水をお目にかかることなどあるはずもなく。
すると、ジョシュアは同情するような眼差しでこちらを見つめたあと、「俺の分も飲むといい」と自分のコップをこちらに差し出した。
空になったコップをこん、とテーブルに置き、店員に聞こえないのに小声で話しかける。
「あのぅ……こんなに沢山買っていただいて、大丈夫ですか?」
指で円を作って、お金は足りているのかとほのめかせば、彼はコインを示すルセーネの手を下げさせた。
「誰に言っているんだ。そんな心配はしなくていい」
「ですよね……。すみません」
確かに、ジョシュアはこの国で随一の権力を誇る公爵家の当主。ドレスのひとうやふたつ、彼にとっては取るに足らないものなのかもしれない。
ルセーネはジョシュアの分のコップの縁に唇をつけながら、上目がちに尋ねた。
「ここでも恋人のふり、する必要ありましたかね?」
「まぁ、試しだ」
「そんなの試さなくたってどうなるか想像できるじゃないですか。王女様にこんな嘘が通用するとは思えません」
「なるべく早く俺に見切りをつけて、他にいい相手を探してほしいんだけどな」
どうやらジョシュアの方は、グレイシーに気がないらしい。それが分かって、なぜか安堵する自分がいる。ルセーネはコップの側面の水滴を指で撫でながら、おもむろに尋ねる。
「……ジョシュア様は、結婚に興味がないんですか?」
ジョシュアは、難しい顔をしながら呟く。
「興味がないということはない。だが俺は――もう長くないからな」
「え……?」
突然の告白に耳を疑う。ルセーネが当惑していると、会計の準備ができたと店員が報告をしにきて、話を遮られてしまった。