銀の国シュトラール編『共闘』
ランドルフは驚きを持って女性を見た。
彼女が知っているはずはまずない。ランドルフが学生時の知り合いの事なのだから。他に一切の音がなく、風向きが彼女の方に向いていたのだとしても届くはずがない。これほど明瞭に一言一句違いなく聞き取る事は、あの距離ではまず不可能だ。
「合ってるでしょ?」
「……ああ」
「聞こえたのが本当だって分かってもらえればそれでいい。信じられないのも仕方ないし。だけど念の為に対策だけでも立てておいて、王様にもこんな話を聞いたくらいに話しておいてほしいの」
「君は他国の者だろう。何故そんなに必死になる?」
「だって私以外に今あの人たちの企みを知っている人はいないと思うから。もし無関係だからって何も聞かなかった事にしてヴァージル王子が殺されたりしたら、私は私を一生許せない。そういう性格なの」
「そうか……感謝する」
「出来るだけ急いで。あと、さっきの騎士さん?警戒しておいた方がいい」
「そう言えば“おかしい”と言っていたな。何かあったのか?」
「息づかいが興奮状態の人のそれだった。私は表情の判断は優れていないけど、嫌な息づかいと目つきであとを尾けていたから、あなたが危ないと思って注目を浴びる為にわざとぶつかったの。案の定あの人舌打ちしていたよ。王子様にぶつかって無礼だからって、舌打ちはしないでしょ」
この女性は一体何者なのか。年齢は明らかに自分より若そうであるのに、状況判断に優れ肝が据わりすぎている。魔物ハンターを生業としているからだろうか?
マクシミリアンについては以前からランドルフも漠然と苦手意識を持っていた。周囲の評価が高いので自分の感覚がおかしいのかと思っていたが、彼女の言葉が正しいならその勘は当たっていた事になる。いや。彼女の言葉を既に信じている自分がいる。突然ここまで詳細な話をしてくる初対面の人物など、普通に考えれば怪しい事この上ないのだが、あまりに澄んでいる彼女の瞳と、明快で裏を感じさせない言葉と態度は、信用するに足ると思えたのだ。それにヴァージルに関わる情報は何でも欲しい状況である事も手伝い、気付けばランドルフは女性にこう問うていた。
「……君が昨夜宿泊した宿と部屋を教えてもらえるか?」
「え?」
「今ならまだそこにいるかもしれない。いなかったとしても何らかの手がかりが残されていないか調べたい。部屋だけ教えてもらえればいい」
「分かった。信じてくれてありがとう。で、作戦なんだけど」
「いや待て。作戦?君は部屋だけ教えてくれれば……」
「もしその場にヴァージル王子がいたらどうするの?あなたが単身乗り込んで、もし王子の命が惜しければあなたの命を寄越せなんて言われたら」
「構わん。俺の命などくれてやる」
その言葉を聞いた瞬間に女性は表情を険しくし、歩み寄ってランドルフの胸ぐらを掴んだ。
「“くれてやる”じゃないでしょ!それだと何の問題の解決にもならないでしょうが!あなたが死んで、せめてヴァージル王子は救おうと王様が身代わりになったら、王妃様だけ残してみんな殺されるわよ!本当に救いたいなら無責任な発言しないで!」
「だからといって無関係な君を巻き込む理由にはならんだろう。これは我が国の問題だ」
「うるさい!これは私の性格の問題だ!救える命は救いたい。それに昨日の話だと、あの人たちは毒なり爆薬なりを作って悪い事をしようとしていて、王様はそれを許さない方なんでしょ?この国は希少鉱物を抱えた大国。そういう立派な方が治めていないとダメ。もし王様も王子様も殺されて国を悪い人たちが手にしたら、この国だけの問題じゃなくなる。多くの人が不幸になる。違う?」
「……」
「私が女だから、通りすがりの他人だから危険な事に巻き込むわけにはいかない。当たり前の考えだけど、ここで口論している時間が惜しい。いい?聞いて。万一口止めの為に買収されていたりしたらいけないから、宿屋の人にも何も聞かない方がいい。あなたは王子様だし、街中の宿屋に立ち寄るのはあまりにも不自然だから、まずは酔った私を宿屋まで送ってくれた体で中に入るの。それであの人たちがいた部屋の前に行く。話し声がしていなくても、私には部屋の外から中に人がいるかどうかくらい分かるから、人がいると確認したら、私が酔った女が破廉恥な事を喚いているって感じで騒ぐ。それで戸が開いたら中を確認して。もし開かなかったらぶっ壊してでも開けるから。ヴァージル王子がいた場合、あなたは何も考えずにとにかく王子を救出して。あの人たちの相手は私がする」
「相手?どうするつもりだ?」
「私の武器は斬らずに気絶させるだけという芸当も出来る。任せて」
「相手は複数人で、しかも人間だぞ。魔物を相手にするのとは勝手が違う。もし躊躇などしては君自身の身が危険だ」
「大丈夫。狭い室内での立ち回りは相手も躊躇するだろうから、昨晩くらいの人数なら抑えられる。それに私は人も斬った事がある。躊躇はしない」
「なに?」
「ともかく私は平気。あとは誰か……そう、王様か王妃様は通信機は持っている?」
「ああ。二人とも持っているが」
「じゃあお二人に今の話を全部、これからする事も含めて書いてメール機能で送って。今すぐに。もしあの人たちの仲間が別にいたとしたら、部屋の中の人達を確保しても終わらない。下手をすると強硬手段に出るかもしれないから、注意喚起しておいた方がいい。その方が何も知らないより咄嗟の時に動ける。息子の言葉なら耳を貸してくれるでしょう?」
そう。半信半疑でもランドルフがそうと信じたというなら、恐らく王も王妃も聞き届けて備えてくれる。そんな人たちを醜い策略の果てに失いたくはない。この女性の言う通り、手をこまねいて手遅れになって後悔するような愚を犯すわけにはいかないのだ。巻き込む以上彼女は何としても守る……そう心に決め、ランドルフは通信機を取り出した。
「ではありがたく君を巻き込ませていただく。俺はこの国の第一王子ランドルフだ。君は?」
「ヴィアです。出身地は分からない。ごめんなさい。ルーメンの森で拾われて十五歳までそこで育って、それからは定住していないから益々怪しいと思われるかもしれない」
「ルーメン?聞いた事ないな」
「うん。今まで知ってるって人に会った事ないの。でも私を育ててくれた人が“ここはルーメンの森だ”って言っていたから。もしかしたら他の人には別の名前で呼ばれている土地なのかもしれない」
森で拾われた。つまりそこに捨てられていたという事だ。
彼女は先刻のような魔物がウヨウヨ出る場所に住んでいたと言った。魔物以外にも森には腹を空かした野生の動物も出るだろう。そんな場所に捨てるという事は、彼女の親は我が子が死んでもいいと考えていたと思われる。しかも数年前まで目が見えなかったと。それが先天的なものか後天的なものかは分からないが、その育ててくれた人とやらがいなければ、確実に彼女は今頃ここにはいない。聴力が異常に優れているのも、目が見えず、魔物が当たり前のように出現する環境に身を置いていた結果研ぎ澄まされたのだろうか?魔物を狩る時の慣れた動き、衝撃波を放出したり麻痺に使えるという変わった武器を所持している事、危険に躊躇なく自ら飛び込んでいくところも含め、平凡な日常を送っている者から見れば異常としか思えない人生をこれまで送ってきたのだろうと容易に想像がつく。それでいながらよくこれほど真っ直ぐに成長したものだと思った。
メールを送り終えたランドルフは、改めてこれからの事を考えて顔をこわばらせた。もし失敗すれば弟の命はその場で失われるかもしれない。その場にいなければ、それはそれで期限を待つか、次の犯人一味の動きを見ない限り所在の確認すら難しいだろう。命はあるとしてもケガなどは負わされていないだろうか。家族に負担をかけないようにと、自ら命を絶とうとしたりはしていないだろうか。不安ばかりが募る。と、ヴィアと名乗った女性がランドルフの背中をぽんっと叩いた。
「行こう。考えていたって何も変わらないよ。何が何でも助けるって事にだけ集中して、他の事は考えない。意識的にそうするの。大丈夫。私もいるから」
「……今日ついさっき出逢ったばかりの君がいるから大丈夫、というのも根拠のない事だな」
「私の耳と腕の良さはあなたの目で確認したでしょ?それが根拠」
そう言ってニコッと笑う。自分よりずっと過酷な人生を送ってきたであろう女性が王子であるランドルフを気遣い励ましてくれている。こんな事でどうする。決して楽観はしないとしても彼女の言う通りまずは助ける事に集中しなければ。そう思い、ランドルフも軽く笑って
「その根拠、信用させてもらうぞ」
と、握手の手を差し出した。彼女は「任せて」とその手を握り返す。
元々警戒心が強く、決して楽天的とは言えない性格をしているランドルフが、不思議とヴィアの言葉は信用できたし不思議な安心感も覚えた。