銀の国シュトラール編『謎の女の子』
ランドルフの両親は彼が四歳の時に災害救助に向かった先の事故で死に、叔父であるシュトラール国王が迷わず彼を引き取ってくれた。ランドルフの母である姉を非常に愛していた王は彼を宝物のように大事にしたし、そんな王を心から愛し尊敬してる王妃もまた、王の大事な甥なのだからと慈しんで育ててくれた。三歳下のヴァージルも物心ついた時には兄としてそこにいたランドルフを慕っている。ここは温かだ。それが心苦しい。実子であるヴァージルでなく自分が第一王子として後継ぎ候補である事も。だから十歳で国を出て学びの島である『ディスケーレ』の王立学校へ入学し、兵士育成コースに進んで戦いを学んだ。国を守る一兵士となる為に。それが自分に出来る唯一の恩返しだと思ったからだ。
しかし思わぬ形で恩返しの機会が訪れた。死にたいのではない。ここが命の使い所だと思っただけだ。弟の為に、養父の、国の誇りを守る為になら命などくれてやる。ただし黙ってやられてやる気はない。奴らを道連れにする手段を考えなくては。
しかし事態は進展しないまま5日が過ぎ、期限まで残り2日となっていた。手がかりを求めランドルフが街を歩いていると軽い衝撃があり、「きゃっ!」と女性の悲鳴が聞こえた。咄嗟に相手の腰を支え見ると、大きな瞳を見開き自分を見ている長身の女性がいた。
「……すまない。大丈夫か?」
「こちらこそごめんなさい。ちょっと急いでいたから前をちゃんと見ていなくて」
「王子!お怪我はございませんか?!そこの娘、気を付けないか!無礼であろう!」
こう怒鳴りつけてきたのはマクシミリアンだ。お互いの前方不注意での事であるにもかかわらず、その一方的な物言いにランドルフはムッとする。
「気遣いは有難いが、ぶつかったのは俺の不注意でもある。一方的にこの女性を責めるのは筋違いだろう」
そうたしなめる。マクシミリアンは半瞬の後に「は」と頭を下げ、そのまま踵を返して去って行った。その後姿を軽く嫌悪の視線で見送った後に女性へと向き直ると、彼女もまた険しい表情でマクシミリアンの去った方を見ていた。
「本当にすまない。彼は職務に忠実で少々融通が利かないところがあってな」
「そうかな?あの人何かおかしい」
「立腹は当然だが、怒鳴られたからといって“おかしい”と言うのはいささか短絡的ではないか」
「怒鳴られた事なんてどうでもいい。そうじゃなくて……と、そう言えばあなた王子って呼ばれてたっけ?ごめんなさい!失礼な口の利き方をして。でも丁度よかった。どこか人が来ない所で話せませんか?」
「は?」
一応王子という身分から、若い女性が彼に取り入ろうとしてくる事は多々ある。この女性もそういった類かと無視して去ろうとしたが、彼女はランドルフの袖を掴み、真剣な表情で声を落とし訴えかけてきた。
「突然こんな事を言われて不審に思うのは当然だと思うけど、誰にでも話せる事じゃないからお願い。話を聞いて。ヴァージルさんというのはこの国の王子様?」
「!?……ヴァージルの事を何か知っているのか?」
「やっぱりそうなんですね。その王子様は今誘拐されているんですか?私、それらしき話を耳にして誰かに伝えなきゃと思ったんだけど、知り合いなんていないし余所者の小娘の話なんて誰が信じてくれるかって困ってて。でもあなたの声は優しくて穏やかで、信用できそうだから」
「俺の声が穏やかで優しい?」
不愛想で学校でも多くの学友から『いつも怒っているような声だ』と言われていたランドルフは戸惑った。が、そんな場合ではないと思い直し「ついてきてくれ」と自分の馴染みの店へ連れて行き、そこの個室で話そうとした。が、彼女は
「ここはダメ。尾けられている。どこか森の中がいい。街中は人の声が多すぎる」
と言う。
「しかし森は魔物が出る。危険だぞ」
「魔物が出るという事は人は寄り付きませんよね。その方が都合がいい」
「いや、一応俺は戦えるが危険な事に変わりはない。どこか他の……」
「魔物相手なら私の専門分野だから心配しないで」
「専門分野?」
「私は魔物専門のハンターなの。武器も持っている。腕には自信があるから任せて。とにかく森へ」
仮にも一国の王子たるもの、このように胡散臭い話に耳を貸すなどもってのほかなのだろうが、今はヴァージルの所在についてどんな小さな手がかりでも欲しい事、相手が女性なので何か仕掛けてこようとしても取り押さえる自信があった事、もし犯人一味なら身代わりになろうとしていた自分にとっては、それこそ都合がいいと考え、女性を森へと案内した。
「ここならいいか?」
「うん、大丈夫。でも……」
いきなり表情を変え、女性は剣を抜いた。やはりそういう事かとランドルフも剣に手を掛けたが、彼女は自らの指をその剣で軽く斬り何かつぶやくと
「左に避けて!」
と叫んだ。
「なんだ?!」
ランドルフが咄嗟に指示に従うと、彼女はその場で剣を振って衝撃波のようなものを放出した。わけが分からないながら後方に何かいるのかと振り返ると、200mほど後方に体長2m超ほどもありそうな獣型の魔物がいた。ランドルフも剣を抜き構えたが、その間に女性が横を通り抜け魔物に駆け寄って斬撃を加える。魔物は先の衝撃波で足を斬られており、ロクに動けないまま頭部を割られ、あっさりと消滅した。
あっという間の出来事でランドルフが呆然と見ている先で彼女の持つ剣がぼんやりとした光を放っている。その剣を一度振って鞘に納めると、小走りでランドルフの元へと戻ってきた。
「突然ごめんなさい。驚かせてしまって」
「……いや。助かった。俺は魔物がいたとは全く気付いていなかったからな」
「あいつは森の中では割とよく見るヤツでね。突然出現するタイプなの。単純な物理攻撃しか出来ないヤツだから強さは中級くらいだけど、どこから現れるか分からないぶん厄介」
「どこから現れるか分からない?それでどうして君は分かる?」
「私、数年前までずっと魔物がウヨウヨ出る森に住んでいて、その頃には目が見えなかったから耳と気配に頼って戦っていたの。って、今は私の話をしている場合じゃない。ともかくまたあいつが出てきても私は気配が分かるから大丈夫。人の気配もないから私が聞いた話を伝えますね」
彼女の話によると、昨晩泊まっていた宿屋で深夜に話し声が聞こえてきたらしい。
『王は頑なだから恐らく要求は拒否するだろう。が、ヴァージル王子の代わりに自らの身を差し出すと言い出す可能性は高い。そうなれば邪魔な王を消せるし、そうでなくても後継ぎの王子は確実に殺せる』
『いずれにせよヴァージル王子を殺すなら先にやっておいた方が面倒がなくていいのではないか?』
『いや、王の身柄を確実に押さえられるまでは餌として置いておいた方がいい』
『ランドルフ王子はどうする?』
『あれは血の繋がりのない偽物の王子だから適当な理由を付けて継承権を剥奪すればいい。王妃は人が良いだけの無害な女だ。自分が実権を握る為に利用させてもらう』
『しかし王に味方する者は多い。そいつらをどうやって黙らせる?』
『なに、ヴァージル王子を殺せばそれだけで脅しになる。王が甘い性格であるお陰で周囲の者達も腑抜けが多い。貴様らの家族は毒や爆薬の素材にされたくはないだろうと脅せば言う事を聞く』
「会話に加わっていたのは声の種類だけで五人。ヴァージル王子がその場にいたかどうかは分からない。私は耳の良さと記憶力には自信があるから内容は間違いない」
「すまないがにわかには信じられんな。そのような物騒な会話を別室に聞こえるほどの大きな声でするとは思えん」
「言いましたよね?耳の良さには自信があるって。う~ん……そうだなあ。あ、今から私、さっきの魔物がいた辺りまで離れますから、王子様はここで自分だけに聞こえる程度の声で何か呟いてください」
そう言って宣言通り魔物がいた位置まで走っていく。「いいですよ~!」と手を振ってきたので、半信半疑ながらランドルフは彼女が絶対に知らないであろう言葉を、万が一にも唇の動きで読まれないよう背中を向けて呟いた。ランドルフは試しに「もういいぞ」と、200mほど離れている人間には聞き取れないだろう程度の声で言ってみたのだが、彼女はそれを合図にすぐ戻ってきた。内心(よく走る女性だな)と感心しているランドルフに彼女は満面の笑みを浮かべて言う。
「“ゼノは本当に先生を殺したのか?”ですよね」