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ゲンは山に対して、非常に慣れているようだった。
山を歩んでいくその足取りは軽やかであったし、ふっと足を止めることもあった。足を止める時というのは、何か異常があった時で、その時こそ、ちょうど、すぐ近くを落石あったりというのがあった。また、遠くの山肌で雪崩が起きていたりというのが見えた。
その雪崩に呼応するように、別の雪崩が起きる。
雪崩が続く。
ふいに、頭の上が、すぐそばにある山肌の上が気になり、マサヨシは目をやった。
左手にある山肌の上には、雪がしっかりと積もっている。もしも、あの遠くで起きた雪崩に、呼応して、頭上の雪が崩れ始めたら、と想像し、冬の寒さとは違う寒いものを感じる。それでも、冷静に山道を歩き続けられたのは、ゲンの存在があったからこそだと思う。
「行くぞ。雪崩はここまではこない」
そういうと、ゲンは歩き始めるのだった。
狩人というその経歴から、きっと山に慣れ親しんでいるのであろうという予測もつくし、また、オークという種族としての生まれが影響しているのであろうとも考えられた。しかし、それは、種族に対する偏見でもある。
人が皆、同じ個体でないのと同じように、オークもまた同じ個体は存在しない。
ゲンが山に詳しいのは、あくまで、彼が山に慣れているからでしかないのだ。
「どうすれば、そこまで山に詳しくなれるんだ」
何度目かの夜、風除けの洞窟の中で、小さい焚き火を前に並んで座っていた時、そんな風にマサヨシは聞いた。
それに対して、ゲンは短く答えるのであった。
「慣れればわかる」
身も蓋も、何の参考にもならない返答であったが、それ以上の答えを期待はできそうにない。
そして、マサヨシがゲンに興味を持っていたように、ゲンもまた、マサヨシに対しての興味を持っていた。
正確には、マサヨシが連れているオーイシに関してだ。オーイシは焚き火の前でとぐろを巻くと、目を閉じて、暖を取っていた。その奇妙な生物に対して、ゲンは興味深々というようで、布切れからかろうじて見える、その眼を輝かせていたが、肝心のオーイシはそっけない態度だった。
「何処から来たのか」
「東」
「どういう生き物なのか。何を食うのか」
「何でも食う。お前も食うぞ」
ゲンの質問に対して、オーイシはそんな風に、短く返すだけである。
しかし、それでも二人は長い質問に、短い返答をし続けるうちに、心を許しつつあったのを、マサヨシは感じた。
三日目の夜。
ちょうど、峠を越えようという所であった。峠の手前に都合よく、猟師小屋があったので、そこを間借りする。もうこの冬は使われていないらしく、その証拠に、燃料の薪などは全て失われていた。空っぽの暖炉には、蜘蛛の巣が薄らと張っている。
近くの森から、薪になりそうな枝葉を持ってくると、それで暖を取った。
揺れる炎を見ながら、マサヨシは意を決した。
「なぁ、ゲン。その顔を見せてくれないか」
ゲンは目線だけ、マサヨシへと向けた。
沈黙が答えという訳ではないだろうに、何も言わなかったのは、驚きと困惑があったからであろうか。
明らかに、迷っているのが目から伺い知れた。
「なぜ、顔を見たがる」
「それは、俺たちは仲間だろう。旅の一行だ」
「それは、そうだが」
「なら、顔くらい隠さなくてもいいんじゃないか」
「おい、マサヨシ」
珍しく、オーイシが口を挟んだ。
暖炉の中で燃える火を見ながらである。
「別に顔など、見たくもない。見せたくもないものを、無理に見たがるのは無粋というものじゃないか」
「ぶすい?」
「かっこよくないということだ」
そう言われてしまえば、マサヨシもそういう気がしてくる。しかし、それではよくないと思うのでもあった。
こちらの顔を相手は知っているのに、こちらは相手の顔を知らないというのは、無礼であるというような気がする。
それこそ無粋ではないか。
という、気がマサヨシにはしないでもなかった。
が、それを口にすること自体が不毛な気もするので悩みどころである。
「別にいい」
マサヨシの悩みを吹き飛ばしたのは、ゲンの発言だった。
顔を見せるかどうかは、ゲンの気持ち次第であったのだ。そこをまったく無視していた。
が、ゲンは体を二人から背けると、顔に巻いた布を取り外していく。初めのころは興味を持っていないようにふるまっていたオーイシであったが、次第に、目線はゲンのほうへと移っていった。
背中越しに、どんどん、布が取れていくのが見る。
一枚の長い布が終わり、長い髪の毛が見えて、くるりと、こちらを女の顔が向いた。