5
広場で立ち往生して、少し経つが、マサヨシはまだ生きていた。
相変わらず、途絶えた足跡を見る形ではあるが、動くに動けない。しかし、少し時間が立って冷静になれば、自然と思考が落ち着き考えがまとまる。このまま、動かずにいても射かけられるだけであるし、動かなければ状況は変わらない。
「おい! 見ているのか!」
選択したのは、声をかけることだった。
何を馬鹿なことを、という考えもあったが、それよりも選んだのは対話だった。もちろん、考えなしという訳ではない。
一つは、敵対していないことの表明だ。自らに敵意がないことを、マサヨシは相手に知ってもらおうと考えた。もう一つの理由は、確認である。これでもしも反応があれば、まだ、交渉の余地がある。会話の余地がある。逆に、ないようであれば、もう逃げるしかない。
そうなった時、手段は選ばないつもりだ。
「何もしない! 話をしたいだけだ!」
反応はない。
もしや、もう居ないのではないか。
あくまで、足跡を偽装しただけにすぎず、追跡者を返り討ちにするつもりなどはないのではないか。
そんなことを考えたときだった。
「伏せろ」
オーイシが囁いたのが聞こえ、咄嗟に屈んだ。
風切音と共に、さくっと雪の上に何かが飛んできた。
矢だ。
間違いなく、居る。
「悪くないな。いい腕だ」
オーイシが感心するような声を出した。
雪の上に伏せたが、たいして変わらない。隠れるところはない。
まさしく絶好の狩られる状態だ。
「俺は敵じゃない!」
と、訴えかけるしかできない。
が、それは効果があると思っていた。一つは、矢が飛んできた箇所だ。
それは、別段、マサヨシを狙ったものではないのは明確であったからだ。別に直感という訳ではない。ただ、狙ったにしては場所が離れすぎていて、マサヨシの立っていた場所を狙ったとはとても思えないからだ。ならば、交渉の余地は十二分にあると思っていた。
「話がしたいだけだ! 俺はマサヨシ! 話がしたいだけだ!」
その呼びかけの後、とくに返答も反応も、なかった。
流石にもうどこかへ立ち去ったのだろうか。
そう、思った時だった。
サクリと、雪の上を歩く音が聞こえた。
耳をすませば、間違いなく、二足歩行の足音である。
「動くな」
くぐもった声が聞こえる。
目線だけを向ければ、雪の上を確かに人影が進んでくる。間違いなく、村で見た人影だ。
思っていたよりも、みすぼらしい服装のその人影は、ゆっくりと近づいてくる。
手には弓を持ったままである。その弓に矢をつがえているので、いつでも射かけられるようだ。
指示には従うしかない。
「話がしたいというのは、なんだ」
「興味だ」
「それだけならば、だいぶと勇敢だ。本当の目的は」
くぐもった声が聞こえる。
そして、弦が引き絞られた。
顔を雪から上げて、人影を見た。何重にもマフラーを巻いて、首から上は何もうかがえない。
ただ、緑色の、深い森のような緑色の目が見えた。
「そうだ。一つは興味、そして、もう一つの目的は、勧誘だ」
「勧誘?」
「そうだ。誘いだ。メリットもあるぞ」
「とても、今のお前が、何かを提案できるとは思えないがな」
「そうだろうか。狩人ならどうだ、この冬は厳しいか」
弦がビリビリと鳴くのをやめた。
しんしん、と雪が降る。
「悪くはないが、良くもない」
「だろうな。少し前に、狼を見た。彼らは皆、飢えていた」
ふっと、人影が笑い、空気が緩む。
「狼をまるで人間みたいに呼ぶとは思わなかった。それで、どうした、その狼を狩ったか」
「いいや、逃げた。そんな勝てるような人間に見えるか。雪の上に這いつくばっているのに」
「それもそうだな。だが、見せかけかもしれない。話がそれたな、続けろ」
いい兆候だ。狩人は、マサヨシの話に興味を持っている。
ただし、気を抜くことはできない。
「この冬を終わらせられるとしたら、どうする」
「脳みその代わりに、雪が詰まったのか? それとも、私の耳に、氷が詰まったのか」
「どちらでもない。もう一度言うぞ。この忌々しい、雪がなくなったら楽だと思わないか」
雪を一掴みして、開ける。
ばらばらと固まった雪が、落ちた。
迷っているのが沈黙から読み取れた。
「俺は今、旅の途中だ。雪の女王に会いに行く」
「雪の女王だと? そんなおとぎ話を信じているのか」
「おとぎ話かどうかは、確かめて決める」
「信じられない。そんな物に命を賭けているのか」
「だが、誰かがしなければならない。この冬を終わらせなければならない」
狩人は迷っている。
間違いなくだ。しかし、それは、あくまで、マサヨシが正気か狂気かの判断だ。
「もしも、冬が終われば狩りはしやすくなる」
「そうだな。なるほど、それで、勧誘というのは」
「腕のいい狩人がいれば、食料調達が楽になる」