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村を出てからも、雪は降り続けた。
マサヨシは冬の野宿の仕方を知らないので、道沿いに進んだ。
いくつかの村落に厄介になり、自らの食料を宿代としていくらか分け、渡した。
すると、必ずと言っていいほどに、村人から聞かれることがあった。
「どこへと向かうのです」
それに対して、マサヨシは、決まりきった言葉で返すことにしていた。
「雪の女王に会いに行くのです」
マサヨシの言葉を聞いた村人の反応は、別れるのが常だった。呆れ果てて肩を竦めるか、可哀そうな人を見るような目を向けるのだ。しかし、それは、マサヨシにとって見れば、大した反応ではない。勝ち目のない旅であることは、重々に承知している。
存在するかどうか確かでもない、雪の女王に会いに行く。
正気の沙汰とは思えないが、それでも、やるしかない。
マサヨシがその日、泊まった家でも、似たような問答が行われた。村落から離れた一軒家で、家主の老婆は快く受け入れてくれた。暖炉の前で、マサヨシからその話を聞くと、老爺は目を細め、その孫娘の女は年頃で分別もつくであろうに、あからさまに、嫌そうな顔を浮かべた。
「ほう。それはそれは、たいそうなことで」
「全くもって。途方もない旅です」
「でしょうな。話には聞けども、見たことはない。おとぎ話の存在だ」
「違いないです」
「それよりも、あなたは、身近な恐怖を知っておくといいでしょう」
老爺はそう言うと、小さく、笑った。
「なに、身近な恐怖とは言いましたが、簡単なことですよ。実は、近頃、周囲で狼が見られておりましてな」
「狼ですか」
「えぇ、この雪ですからねぇ。飢えているのですよ。だから、通りがかる人を食うとか」
「それは、怖いな」
マサヨシはぞくりと寒いものが背中を走った。それは寒さのせいではないのは違いない。
その晩、暖炉の傍で眠り、翌朝、雪の降る中、家を出た。
老爺は狼避けのまじないだ、とローズマリーの枝で、ぽんと肩を叩いた。それが、どれほどの効果を成すのか、マサヨシにはわからないが、老爺からの気遣いだと思えば、無下にもできないのである。そして、もしも、その効果がきちんとしたものであれば、それはそれで助かるというのもあった。
しんしん、と静かに降り積もる雪の中を歩いていく。
いつしか、道は途切れ、針葉樹が立ち並ぶ森になっていた。
聞こえるのは、雪を踏みしめ、固める音、そして、自らの息遣いくらいなものだ。
が、その音の中に、いつしか、異なる音が混ざり始めた。
苦しげな大きな息遣い。
それが、何の声なのか、考えが回らない。マサヨシは、ふと、狼のことを思い出した。
ひょっと、すると、これは狼の息遣いではないか。近くにいるのか。
その思いが、ふと頭に浮かぶ。
が、ふいに、木々が切れて、開けた空間に出たとき、あっと、声が出た。
森の中に、かつて川であた場所に、一匹の大蛇が寝ていたのである。いや、よくよく見れば、大蛇ではない。頭には鹿のような角を持っているし、艶めかしい鱗の皮膚を持ってはいるが、蛇にはない腕と足がある。何より、大きい。マサヨシよりは、優に大きく、牛や馬なんか目じゃないくらいに大きい。
もしかすると、ドラゴンであろうか、と思い至るが、翼がない。
今までに見たことのない生物である。
その瞳が、マサヨシを認めたとき、ふうっと強く、息を吸い込んだ。
「やれやれ。人間か」
ついで、息とともに大蛇が吐き出してきたのは、そんな言葉だった。
人の言葉を解する大蛇というのは、見たことがないので、たまらず、マサヨシは腰を抜かした。
たしか、ドラゴンを見たことがあるという村人が言っていたが、ドラゴンは、人の言葉を話さない、らしい。
話すのは一部の種であり、往々にして、何も話さないという。しかし、今、目の前の大蛇は、人の言葉を理解する。
「なんなんだ」
「何と言われても、うぅむ。名前はない」
困ったように、大蛇は言った。名前のない大蛇は、また、一つ大きく息を吐き出した。
おかげで、マサヨシはその大蛇をよくよく観察することが出来た。
未練場、大蛇の腹には、一本の矢が刺さっている。新しく、おそらく、昨日、一昨日辺りに刺さったのではないかと思えた。かなり、痛そうであり、その大蛇も身動きするたびに、苦痛の息を漏らす。
「それ、抜こうか」
「抜けるのか?」
「いや、刺さっているだけだろう」
造作もないことだろうとマサヨシは思った。というのもそれほど、難しい矢ではないと思ったからだ。しかし、近づけば、それが難しいと感じる。というのも、その矢はかなり、太いのだ。
大きさとしてみれば、マサヨシの腕くらいはある。おおよそ、枝という感じだ。かなり太い。
手で掴んでも、かなり、しっかりと刺さっているのを感じる。
この大蛇の腕で、抜けないものかと考えるが、大蛇の腕は細く、そういう力任せというのはできそうにない。
ぐいと力任せに、引き抜くと、大蛇の皮膚と肉を切り裂きながら、矢を引き抜く。
「助かった」
大蛇は、のそりと、立ちあがる。そして、尻尾がぴしゃりと地面を打った。
手に持った矢を、マサヨシはしみじみと眺める。綺麗な矢だ。鏃の金属は、鉄にしては黒い。矢にしては大きく、マサヨシの身長よりもある。これを射るには、かなり大きな弓がいるように思えた。一体、どのような巨人が使っているのだろうか。
「お前、こんなところで、何をしていたんだ。人の子」
「いや、少し野暮用で」
マサヨシは、今までと同じように、事情を話した。
大蛇は、何度もうなずき、事情を理解したようであった。
そして、しばらく、考え込んだ後、大声で笑った。
「奇妙なことだ。雪の女王に会いに行くとはな」
「何がおかしい」
「くっくく、いや、人間というのも、奇妙なことを考えるものだな。気に入った」
大蛇が、己の前脚を伸ばし、爪でマサヨシの胸の辺りを軽くひっかいた。
「面白い奴だ。ここであったのも、我が国では、多生の縁という、いずれまた会うこともあろう」
「ならば、名前を教えてくれ」
「名前なんてものはない。私は、名もなき龍だ。故に射られた」
「リュウ?」
「お前たちには理解できない、はるか遠くから来た。名前はない、それだけでよい」
大蛇はげらげらと笑って、ふわりと浮いた。羽ばたきもせずに、浮くのは初めて見た。
「ならば、俺が名前を付けてやろう」
興味深そうに、大蛇は目を細める。
「ほう。どのような名前だ」
ちらりと、辺りを見回す。名前を付けるときは、直感的に名前を付けるのが良い。
先ほど、刺さっていた矢が目に入る。が、それを名前に付けるのは、気が引けた。というよりも、嫌だと思う。
ナイフで刺された人間に、ナイフなんて名前を付けたら、嫌な気持ちになるものだ。
ちらと、ついで、目に入ったのは、大きな石だ。岩の根に絡めとられてはいるものの、しっかりと巨体を維持している。
「オオイシってのはどうだろう」
「オーイシ、なるほど、悪くない」
大蛇はしばらく、ぶつぶつと、何度か名前を口にし、それから、また、同じように笑った。
「良いではないか。オーイシ、大きい石のようだ。どっしりと構えて良い名前だぞ」
「それは、良かった」
冷や汗がたらりと背筋を伝った。
「では、人の子、いや、マサヨシよ。また、いずれ会おう」
そう言うと、オーイシはふわりと、身をくねらせて、天へと昇って行った。しばらく、その不思議な動きを見送っていたが、灰色の雲に消え、もう、見えなくなった。
ゴロゴロと雷の音と、風が強くなるのを感じ、先を急がねば、と矢を持って再び歩き出した時だった。
狼の遠吠えが聞こえた。