人間が生まれてきた理由
人間はなんの為に生まれてきたのか。そんな哲学的な問いからほど遠い生活を送るようになってしまいました。そんな中、ある哲学者の思想に触れ、「なるほどな」と思ったので、そのお話をしたいと思います。
その哲学者の名前はサルトル、1905年にフランスで生まれました。彼が唱えたのが実存主義です。その中で、「実存は本質に先立つ」という言葉があります。
はて、これはどういった意味なのでしょうか。例としてお箸をあげてみましょう。お箸とは、食べ物をつまんで食す道具です。この「食べ物をつまんで食す」というのが本質にあたります。つまり、本質とはその道具の存在理由、作られた目的にあたります。
弓の場合はどうでしょう。弓の本質(作られた目的)は矢を遠くに飛ばすことです。ハサミであれば物質を切り分けることが本質です。
サルトルはそういった道具とは違う存在が人間であると言いました。人間は本質を前提としては作られていません。ただ存在することで成立しています。ただ存在させる為に世界に生み落とされるのです。それが実存であります。
つまり、本質は各人がそれぞれの理想によって決めればよいということになります。この本質を選択できるという自由な主体性を持ち合わせているのが道具と人間の大きく異なる点なのです。
どうでしょうか。人間が道具のような存在でないと思えば、少し希望が広がる感じがするのではないでしょうか。ある人によっては仕事の為の人生、ある人によっては芸術の為の人生、または人生の目的が多数に重なることもありですし、もっと言えば目的なんかを持たなくてもそれが人生になります。そう思えば、なんだか人生を丸ごと肯定された気にもなりますよね。
と、最近出会った哲学者の思想について述べてみました。お暇つぶしに読んで頂けたなら幸いです。またお会い致しましょう。