『冷暖歌姫』
第一章
「き、今日も暇だな」
「暇ですねー」
人がめっきり来店しなくなる時間帯、通称『談話タイム』である夜八時。
僕、瀬崎翔は固唾を呑んでこの場にいた。
「そ、そういえば、昨日の学年テストはどうだったんだ?」
「トーストですか? 残念ながらうち、電子レンジしかないですよ」
「なんでトーストの話になるんだよ。テストだよ、テスト。ちなみにジャムは何派?」
「テストですか? そうですね……先輩が所有しているエロ本冊数くらいの点数は取れたと思いますよ。それと、ママレード派です」
「そうか。……ってことは、にじゅ……って言わせるなよ!」
危うく巧妙な誘導尋問にハマるところだったぜ……。いやハマったか。
「へー。先輩、バリュエーション豊富なんですね~」
「ま、ママレードの話だろ? 僕は年に二十缶のママレードを身体に塗りたくるんだよ」
「先輩……。そんなにママレード使ったら、まあまあママ味が増しますね」
「言い終えた後のその清々しい顔やめろ。全然意味わかんないし上手くもないからな。お前はさっさと勉強して、せめて自分の体重くらいの点数取れるようにしろ」
「うわ……先輩それセクハラですよ。まじ引くわ~。ママもドン引き」
うっ……思わぬ大ダメージ。
エロ本に対抗した形で励ましたつもりだったんだがな……。
そしてお前はママではない。
と、そんなこんなで人を嘲笑うように煽り言葉で罵倒してくるのが一つ年下の後輩、愛垣恋美。
去年からバイトしているうちの店員だ。
身長は小さめ。その小ささはレジの後方に陳列されている最上段のたばこは背伸びをしても届かないほど。
そして何より注意すべきなのはこいつの性格。
人をからかうのが趣味で隙があれば先ほどのようにすぐ小馬鹿にしてくる気を許せないやつだ。
こいつのせいで今まで何回、羞恥に晒されてきたことか……。
「そんなことより先輩!」
「なんだ? エサはまだだぞ」
「私はペットじゃないですよー。はい、これでいいですか?」
もう少しワンワンごっこに付き合ってくれよ……。
「それで話なんですけど、先週転校してきた……」
「あ、あっれ~? 恋美ちゃん、もしかして前髪のコントラストブライトめに変えた~? あと少し顔丸くなったよね? いももちみたいで可愛い~」
誰から見ても一目で分かる、明らかな話題逸らし。
噂によれば、彼女の特徴的な要素である右側の一部分だけ水色に染められている前髪は一週間ごとに色をこまめに調整しているらしい。
少し持ち前の女子力を出しすぎた気がするが、今のJK(女子高生)は褒めれば調子に乗ってこの誘導に乗っかってくると腐れ縁の心友が自信満々に言っていたので信じてみることにした。
「先輩……」
「おう! なんだ⁉」
まるで後輩の分のサーフィンボートも準備万端で用意して待っているような、自分でもつい違和感を感じてしまうほどの爽やかな返事で返す。
それを聞いた恋美は一旦、深呼吸を挟んだ後、
「色変えてないし、わざとらしすぎて話変えようとしてるのバレバレだし、いももちってなんですか? デブって言いたいんですか? 褒め言葉じゃなくて、ただの罵倒ですよね。それと――」
「ちゃん付け辞めてください。控えめに言って吐き気がします」
Oh……ジーザス……。
ちゃん付けがまずかったのか?
ともかく、褒めれば今の女子高生なんでもしてくれるとデマを流した心友許すまじ。
「で」
「あのゴム(コンドーム)先輩が先輩のクラスに転入してきてからそろそろ一週間ですけど、なにかあったんすか?」
恋美は半眼で呆れた表情をしながら、触れてほしくなかった話題に触れてくる。
やっぱりその話か……。
もう誤魔化すのは難しいそうだな。
そして、どうやら彼女が転校してきたことをすでに恋美は把握済みらしい。
「神坂美成子な」
神坂美成子、歌手名は神坂水名子。
本名と歌手名の漢字違いの理由は不明。
路上ライブなどを定期的に行った末、今の事務所にスカウトを受け、十七歳で歌手デビューを果たす。
ファーストシングルでは美麗な歌声でファンを獲得し、CD売上週間ランキングでは四位といきなりのヒット。
みるみるうちに彼女の名前は世間に広まっていった。
そんな活動初期の頃から高い評価を得ていた彼女にはある一つの問題点があった。
それは『ギャップ』だ。
歌唱時はカメラに笑顔を振りまき、楽しそうに曲を大切に届けていた彼女。
だがその反面、番組のトークコーナーなどの会話の場では一切、笑顔を見せることはなかった。
その様子はありとあらゆる情報を通し、瞬く間に有名になっていった。
そして、世間は彼女にある異名を付けた。
『冷暖歌姫』
温度差が激しい彼女にはうってつけだとみんながみんな口を揃えて言った。
とはいっても、当の本人である神坂水名子はそんな異名を気にも留めていなかったらしいが。
そんな彼女は何ら変わりなく、その後も活動を続け、世間に様々なヒット曲を生み出し、持ち前の歌唱力、美貌、顔の良さで人気を得て、新曲を出せば週間ランキングTOP3には必ず食い込むほどの実力派シンガーになった。
そして僕、瀬崎翔も大のファンでデビュー当時からずっと応援していた。
そのファン度は、彼女のライブ、イベントなどは欠かさずに毎回、足を運んでいたほどに彼女の虜になっていた。
そんな人気絶頂中の彼女が一ヶ月前、突如として歌手活動休止を発表。
原因はおそらく、二ヶ月前の歌番組のスタジオ収録にて歌唱中、一人の観客が突然ステージを飛び越え、神坂水名子に性的目的で手を加えようとしたのが原因と思えた。
活動休止期間は未定。
神坂水名子という未来ある歌手は、わずか一年未満で歌手活動を休止したのだ。
僕自身、この知らせを聞いたとき、ショックを受け、悲しみに暮れたのは記憶に新しい。
そんな、心に浅くとも深くとも、傷を負っている可能性が高い彼女が、
「いきなりこの店に客として現れてコンドーム買ったと思ったら、次は転校生として現れるんだもんなあ」
口に出して状況を説明すると一層、超展開のように感じてしまう。
「で、そんなすごい人がクラスで何かしたんですか⁉」
恋美がまだかまだかと、まるで犬のように尻尾を振るようにしつこく問い詰めてくる。
「特に変わったことはないよ」
そう、変わったことはない。
「でも何かはあったんですよね?」
「……まあな」
話は一週間前に戻る
※ ※ ※
「神坂美成子です。よろしく」
「「「「「えええええ⁉」」」」」
クラスの全員が驚いていた。
「なんで神坂水名子が⁉」と当然の疑問を問いかける者、「やべー、俺ファンなんだよね!」と距離を縮めて親しくなろうとする者、「神坂さん。メアド、交換しよ☆」と下心丸出しの者などがゴミのように寄ってたかって話しかけている。最後の方は僕個人の偏見かもしれないが。
とにもかくにも、僕も驚いたその一人だったことに変わりはない。
歌番組には必ずと言っていいほど出演していた彼女、オリコンランキングでは常連歌手の彼女、そんな神坂水名子と同じクラスメイトになる実感なんて全く湧いてこないし、湧いてくるはずもない。
昨日のことといい、普通じゃありえないことが連続して発生しているため、思わず自分が学園ハーレムモテモテラブコメ最強主人公になったのかと錯覚してしまうほどだ。
……最強は盛ったか。
「はーい! みんな席に着いてねー」
すると、教室中に聞き心地がいい声が聴こえてくる。
盛り上がっている中、騒がしいクラスメイト達に明るく着席を促す女子生徒が一人。
深沢愛梨、このクラスの委員長。
真面目でスポーツ万能、成績もそこそこ優秀、交友関係においては女子生徒からは厚い信頼を寄せており、男子生徒からは告白されるのが日常茶飯事といったクラスのマドンナ的存在の女子生徒だ。
まさに「高嶺の花」というのは彼女のことを指すのだろう。
そんな雲の上の存在ともいえる彼女にはある、懸念要素が存在した。
それは……。
「そういえば深沢。お前、また振ったんだってな」
男子生徒の一人が嫌味っぽく口を開く。
「……! なんでそれを……」
「いや、さすがだわー。これで何人目? やっぱアイナシって言われるだけあるなー」
あははと馬鹿にするように嘲笑する。
「…………」
彼女には一つの悪辣なあだ名があった。
『アイナシ』
名前の愛梨の読み方を変えてアイナシ。
なんでも、相手の好意にわざとらしいほどに気が付かなく、それに加え、思わせぶりな態度や行動を示すので、勢いに任せて告白に踏み切った男子をことごとく振っているらしい。
それがきっかけとなり、人でなしに加え、愛がないという意味合いから付けられたあだ名、それが『アイナシ』らしい。
なんともばかばかしい悪辣なあだ名だろう。実にくだらない。それはもう、呼ぶだけで一種の悪口に過ぎない。
そんな不名誉なあだ名を聞いて、本人がいい思いをするわけがないのだ。
「あたし、そのあだ名は――」
「はい、静かにしろ」
教師の沈静の発言により、なにを言おうとしたのかは分からないが、なんとも言えない表情を見せながら愛梨は席にとどまる。
「それじゃ、神坂の席は窓際の一番後ろの席な」
「はい」
神坂美成子はすたすたと歩き、指定された席へ向かっていく。
おいおい、まさか……。
「隣、よろっ⁉……しく」
そう、神坂美成子は隣の席だったのだ。
朝、いつもはない空席が存在していたからまさかとは思っていたが、隣の席だとは……。
神坂はこちらを向いて挨拶をしている途中に気づいたのか、僕の顔を見るたび、明らかに動揺した素振りを見せる。
先ほどまでの冷え切った表情が一瞬だけ拍子抜けになった。
「お、おう、よろしく……」
とりあえず挨拶を返す。
しかし神坂の顔を見ると、やはり昨日のことが頭から離れない。
別に気になるわけではないのだ。
ただ、そういう人間だということを認識していなかったので僕の中の認識を改めるために必要なだけであって……僕自身、気になどしていない……はず。
諸々のことを本人に詳しく聞きたいところではあるが、それは難しいだろう。
なんせ、神坂美成子と挨拶をした程度で周りの視線が痛く感じるのだから。
きっと、その種類は妬み、軽蔑、憎悪、そういった、どうしようもなく救いようがない系統の視線。
あまり出過ぎたことはしない方がよさそうだ。